カーエアコンとは、自動車に装備されているエア・コンディショナーである。初期の車載エアコン装置は、カーヒーターやカークーラーといったかたちで独立して制御されており、温度調節の機能はほとんど存在しないことが一般的であった。冷媒に不可欠なコンプレッサーの駆動は基本的にエンジンにより行われる。一部のハイブリッドカーなどでは、エンジンが稼動している時間を短くするためにコンプレッサーの駆動をモーターで行っていたり、コンプレッサーのプーリーにモーターを内蔵したものもある。暖房はエンジンを冷却した冷却液(冷却水、クーラント)を室内のヒーターに導き、熱交換している。一部の電池式電気自動車では、原動機の廃熱を利用できないために電熱線でヒーターコア内の水を温めて発熱する暖房を用いている。カーエアコンの冷温風、とりわけ冷房サイクルを通して供給される乾燥した送風により、フロントガラスやサイドガラスの霜取りや曇り取り(デフォッガー/デフロスター)を行う機能も持たせられている。冷房の場合はエンジンの回転でコンプレッサーを稼動させるため、エンジンの負荷が増え、加速が鈍り、結果燃費も悪化する。馬力換算では数馬力から十数馬力のロスとなる。コンプレッサーを作動させる際にはアイドリング回転数を何割か上昇させるアイドルアップが行われるため、AT車の場合にはクリープ現象もより強力に働く。普通車の場合、1kW~3kW(1~4馬力)程度の負荷が掛かり冷暖房能力としては3kW程度である。 暖房の場合は、ガソリンやディーゼル車では捨てているエンジンの排熱を利用するので、冷房に比べて消費電力はわずかであり、燃費が目立って悪化することはないが、自動車によっては、暖房時に車内の曇りを防ぐために、除湿運転を同時に行うものもある。この場合、コンプレッサーを作動させるので、燃費は冷房の時のように悪化する。この除湿運転を解除できるかどうかは車次第である。電気自動車では暖房に電熱を用いるため、燃費は冷房以上に著しく悪化する。カーエアコンの歴史はアメリカ車やドイツ車において、第二次世界大戦以前から始まった。アメリカ車においては早くは1930年代にはミスト散布の原理を用いたカークーラーの導入が始まり、1939年にはパッカード製自動車においてコンプレッサーを用いた冷房装置が採用された。この時代のコンプレッサー式カークーラーはトランクをほぼ丸ごと占有するほど巨大なものであったため、戦前はあまり普及しなかった。同時期の1938年、ナッシュ・モーターズはの商標で、エンジン冷却水を室内のごく小さなラジエーターに導入することで温風を生む温水式ヒーターを世界で初めて自社の自動車に搭載する。ナッシュは家電メーカーのケルビネーターと合併、ナッシュ=ケルビネーターとなり、戦後の1954年にのオプションとして設定されたAll Weather Eyeは、温水式ヒーターとトランク内蔵型コンプレッサー式カークーラーを一つにした世界初のカーエアコンシステムであった。このAll Weather Eyeはナッシュ=ケルビネーターの後裔アメリカン・モーターズの正規オプション品となっただけでなく、瞬く間に競合製品が多数開発されるヒット商品となり、その後のアメリカ車に置けるカーエアコンシステムの代名詞的存在となった。その後、アメリカ車は1950年代から1960年代に掛けてかなりの割合でクーラー・ヒーターを含むカーエアコンの導入が行われることになり、現在に至っている。ドイツ車においては黎明期のポルシェやフォルクスワーゲン・ビートルなどの空冷式エンジンの車種においてマフラーの熱を室内に導入するヒートエクスチェンジャーの導入が始まり、自動車におけるヒーター装備の嚆矢となった。特に、自動車用空冷エンジンの主流となったブロワーファンによりエンジンブロック内部に大量の冷却風を取り込む強制空冷式エンジンにおいては、冷却風の一部を車内に導入するベンチレーターを装備してヒーターの代用とする例もあった。このような空冷式エンジン車のヒーターはエンジンの廃熱を効率よく利用できる反面、エンジンの回転数や外気温によっては十分な暖房効果が得られにくく、シリンダーやキャブレターなどの接合状態があまり良くない場合には、温風に燃料やエンジンオイル、あるいは排気ガスの臭いが混ざる場合があることが欠点であった。ドイツの空冷車には地域によっては初期のアメリカ車と同様にミスト散布式カークーラーが装備される場合もあり、その後1960年代から1970年代にかけてカーエアコンが装備されるようになっていった。日本車で温水式ヒーターを初搭載したのは1955年の初代トヨタ・クラウンであった。1958年に登場したスバル・360にはヒートエクスチェンジャー形式のヒーターが装備された。この時代までは冷房は走行風による外気導入、暖房はヒートエクスチェンジャーという構成が主体であった。1970年代に入ると、排ガス規制への対策から2ストローク機関から4ストローク機関への転換が進んでいき、同時に冷却方式も空冷から水冷へと移り変わっていった。強制空冷エンジンと異なりエンジン冷却ファンの冷却風を直接利用できないため、従来のベンチレーターと並行してブロワーモーターの装備も進められることになった。この時代のヒーターは足下のみから温風が出るセミエアミックスタイプのヒーターが主流であった。この時期と同時にメーカー(販売店)オプションとしてカークーラーの導入が進められた。このカークーラーは構造そのものは現在のカーエアコンの冷房装置とほぼ変わらぬものであるが、現在の車ではダッシュボードの内部に配置されているエバポレーターやブロワーモーターといったクーラーの構成部品が一体化されており、これをグローブボックスの位置にはめ込むか別の筐体としてダッシュボード下に吊り下げるというものであった。こうしたタイプの吊り下げ式カークーラーは必ずしも自動車部品メーカーの手により生産されるものばかりではなく、一般の家電メーカーが主体となって開発された後付け品も多数存在した。今日のようなヒーター・クーラー双方からの風を混合する温度調節機能を備えたカーエアコンは、1970年代後半から1980年代に一般化した。しかし、1980年代の大衆車はカーエアコンは販売店オプション扱いのものがほとんどで、この時代のカーエアコンは送風温度を手動で微調整するマニュアルエアコンであり、この時代の一部車種には室内温度センサーや日射センサーによって室内の温度を自動調整するオートエアコンは、一部のスポーツカーや高級車に装備されるに留まっていた。 当初はエアコン装備による重量増や、エアコンをかけることによるパワーロス・燃費の悪化が発生するため「搭載しない」のが当たり前だった。現在でもエアコンを搭載しない車両は少なくなくなく、クールスーツと呼ばれる特殊な装備で空調はしないもののドライバー周辺を冷やすもので代用することも多い。しかし、それでも徐々にではあるがレースが長丁場になる耐久レース、あるいはそれに近い性質のレースではそれでも搭載する例が増えている。特に屋根のある車両では走った時に車内へ新鮮な空気を外から取り込むようにしていても車内に熱がこもりやすい。しかも、ドライバーの装備は安全対策として真夏であっても首から下はレーシングスーツなどで全身を覆い、さらに頭部はヘルメットを着用しているためおのずと熱がこもりやすい。そのため暑さによるドライバーの集中力低下や脱水症状の可能性が高まり、そのままリタイヤや自分自身や他車を巻き込んだクラッシュのリスクが高まる。エアコンを搭載することで重量が増えたりパワーロスは避けられないものの、それでもドライバーが長時間運転に集中しやすくするために搭載される。またWECのようにルールで常時室温一定以下にしなければならないと定めている場合もあるため、このような場合は事実上エアコン、あるいはそれに準じた仕組みを搭載しなければならない。カーエアコンはフロン12(R12)が冷媒として用いられてきたが、1990年代に入るとフロンによるオゾン層破壊が環境問題として取り上げられた影響で、R12からR134aへの切り替えが行われた。先進国での製造禁止が法制化された影響でR12ガスの入手が困難となった事から、パッキン類やレシーバータンクの交換を行った上でR134aへの転換を行うレトロフィットや、従来のR12エアコンにそのまま投入可能な代替R12ガスといった製品が広く普及していくことになった。2013年1月からはGWP:150以下の冷媒の使用を義務付ける欧州連合(EU)の法律を順守するためにHFO-1234yfへの切り替えが始まったが、ダイムラーなど一部のメーカーはHFO-1234yfが可燃性ガスで衝突時などに引火しやすい点を問題視し、R134aの使用を続けている。
出典:wikipedia
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