天野 弘昌(あまの ひろまさ)は、東京都出身。日本の牧師、各聖書学校講師。日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の正教師。元教団理事、前総務局長、草加神召キリスト教会主任牧師。教団内外超教派での講師。(セミナー、講演会、聖会、キャンプ等)東京都に生まれる。近藤勇、土方歳三記念碑の前に、洋装洋品店を経営する両親に育まれる。幼少期から活発躍動的でリトルリーグの野球少年でもあった。同時に厳格な親の教育熱でほぼ塾通い、習い事で明け暮れる。四谷大塚進学教室にも通った。学生時代、腕を損傷した為、中学ではサッカー部に所属し、吹奏楽部でもクラリネット奏者であった。高校に入学してからは、兄の死を契機に、医学部受験生となり勉強に集中した。しかしながら、ある医大の実態に接し躓き、理系の科目で受験出来る文系の大学に暫定的に入学する。大学ではほぼESSに所属活動し各大学と関わり続けた。その関係で英国に留学する。その影響で国際的ビジネスに興味と関心を抱き、外資系の銀行に就職する。献身するまでの期間、米国為替事務に従事した。中学1年生の時に実の兄を失う。
実兄は優秀な学生生活を送っていたが、就職の内定が決まっていたにもかかわらず薬を飲んで、突然、家族の留守中に自殺する。
後日わかった事は、実兄は異母兄弟であった。父親の再婚に伴い、幼少期に連れ子として継母に育てられた。
その実兄の生い立ちと自殺が家族を暗闇に落とした。父親は胃を患い入退院を繰り返す。
母親は精神的な病気を患う。そんな逆境の中、両親の面倒を少年ながらみてきた。そんな時に、まず母親が顧客に勧められて聖書を読み始め、主の愛と救いに預かる。その後の癒しと回復に驚き、聖書に興味と関心を強く抱く。
当時、アルベルト・シュヴァイツァーや野口英世に憧れていた心をとらえる。
そして高校生の時、初めて特別伝道集会に参加したその日、主に不思議な出会いを通して回心する。
その後、大学生活、米資系銀行員時代、クリスチャンとして敬虔に教会に集い、主の証詞をし続けた。
与えられている立場や働きを献げきる事に葛藤を覚えた。
当時バブル絶頂期であり、外国為替銀行の仕事や海外出張等に享受していた。
しかし、主が不思議な導きと御業を通して献身を迫られた。
そしてもう逃げられない状況の中、明確なビジョンと確信を得て、CBC(Central Bible College)に入学する。
出典:wikipedia
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