おはようパーソナリティ中村鋭一です(おはようパーソナリティ なかむらえいいちです)は、1971年4月-1977年3月に放送された朝日放送ラジオの早朝ワイド番組。放送時間はAM7:15〜AM9:30。当時、朝日放送のアナウンサーでスポーツ中継一筋だった中村鋭一がこの情報番組の司会に挑戦。日本で初めて司会者が「パーソナリティ」を名乗ったラジオ番組と言われる(ただしこれには異説もある。詳しくはラジオパーソナリティの項を参照)。関西での聴取率はトップを誇り、カーラジオの占拠率が6割を越えたこともあったという。阪神タイガースが試合で勝利した翌日の放送では、中村が球団歌の『阪神タイガースの歌(六甲おろし)』を熱唱したことでリスナーから大変な人気を集めた。さらには、勝った試合のハイライトシーンを放送したり、対読売ジャイアンツ(巨人)戦に勝つと軍歌の『凱旋』を歌うなど、だんだんと派手になった。1972年にはテイチクレコードから、中村歌唱による『阪神タイガースの歌』のレコードが発売された(制作には朝日ミュージックサービス(AMC)が関わっている)。また、「鋭ちゃんといっしょに阪神を応援しよう」という企画を立て、リスナー3000人を招待してファンに小旗やメガホンを配り、甲子園に出かけて観戦することもおこなった。中村は後のインタビューで「(応援に)集団でメガホンを使うのはあそこからやと思います」と述べている。1974年頃、「お天気おじさん」で親しまれた福井敏雄を発掘したり、1976年には喜納昌吉を出演させて「ハイサイおじさん」を関西エリアでヒットさせたりなど、話題に富む番組であった。キダ・タローも友人としてしばしば番組に出演し注目されるようになった。この番組の人気を見たMBSラジオは、対抗して早朝の生ワイド化に踏み切り、阪本時彦アナウンサーを起用した『おはようリスナー阪本時彦です』をスタートさせた。中村に対抗して東京出身で巨人ファンという阪本の個性を押しだそうとしたが、「後発の弱みもあって、健闘も及ばなかった」。そこでMBSラジオがそれに代わる番組として1974年4月にスタートさせたのが、今日に続く『ありがとう浜村淳です』である。1977年3月、中村は4ヵ月後に控えた参院選大阪地方区出馬に伴い、同局を退社(結果落選、のちの1980年に同選挙区で出馬し初当選)。それに伴い番組も降板した。中村の降板後は番組担当者を道上洋三に交代し、この番組の放送枠は現在放送中の『おはようパーソナリティ道上洋三です』へと引き継がれた。
出典:wikipedia
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