学校法人仁川学院(がっこうほうじんにがわがくいん)は兵庫県西宮市甲東園二丁目に事務局を置く学校法人である。兵庫県西宮市のカトリックミッションスクールであり、修道母体はコンベンツァル聖フランシスコ修道会。
幼稚園~高等学校までを設置、各校はカトリックミッションスクールとしては稀な共学制を採用していることでも知られる。学院は西宮市内の閑静な住宅街の中に立地しゆったりとした清楚な校風があるがカトリック校としてキリスト教主義教育を行っており服装の乱れや礼儀の指導が細かく、厳しいのも特徴のひとつである。また学院はキリスト教に由来するため宗教色の強い傾向を持つのも仁川学院の特色といえる。カトリック・コンベンツァル聖フランシスコ修道会を修道母体とする仁川学院は1950年(昭和25年)に設立された。
仁川学院の創立は1930年にポーランドから来日した修道士、マキシミリアノ・コルベ神父が日本国内で宣教活動を行う最中に呼び寄せた同じくポーランド宣教師のサムエル・ローゼンバイゲル師により成し遂げられた。1936年にコルベ神父はローゼンバイゲル師に後を託して日本への修道会布教の礎を作るという業績の下で帰国。ローゼンバイゲル師はその後、仁川学院開設に至った。1950年-カトリック・コンベンツァル聖フランシスコ修道会がマリアの園幼稚園を設置、仁川学院が開学する。
1956年-学校法人仁川学院に教育を移行。仁川学院小学校設立
1962年-仁川学院中学校・高等学校の設立
初代幼稚園長ローマン・クエーチェン師就任。 宗教法人役員会において、学校法人設置許可申請および土地の寄付の採択がなされた。 学校法人設立許可および仁川学院小学校設置許可を兵庫県知事に申請する。小学校舎建築開始。 初代理事長サムエル・ローゼンバイゲル師が就任し仁川学院が開学する。仁川学院小学校が開校(初代校長 八巻頴男師就任) 仁川学院中学校・高等学校の創立を理事会が決議する。 小学校第1回卒業証書授与式を行う。 学院歌、校旗の制定。高等学校グラウンド整備。 中学校・高等学校第1回卒業証書授与式を行う。 事務局が設置される。(初代事務局長 平川兼夫師就任)、第2代理事長に末吉矢作師が就任。 コンベンツァル聖フランシスコ修道会総長が来校する。 学院創立15周年式典。 追悼ミサはじまる。 学院の教育理想像であるマキシミリアノ・コルベ神父が列聖される。理事長橋口師がバチカンで列聖式典に参加する。 学院創立30周年(1986年)にあたりローマ教皇ヨハネ・パウロ二世より祝福文を賜る。 阪神淡路大震災により高等学校舎が損壊する。高校プレハブ校舎建設。 第5代学院長(理事長)、第8代中学校・高等学校長 園田善昭師就任。 学院生が募金活動を行いタイ王国・バーンチャムベン校に体育館を寄付。1950年創立で仁川学院では最も古く創立されたが当初は宗教法人カトリック・コンベンツァル聖フランシスコ修道会が教育を行っており学校法人仁川学院に教育が移譲されたのは1956年である。仁川学院の教育はキリスト教カトリックの精神に基づいており、カトリック校教育は、「キリストは完全な人間の模範である」という概念から、それに近い人材を教育することが大きな目標であるとされている。仁川学院は「Pax et bonum」というキリスト精神、平和や善の精神を持つ人々を創りだすことをその目標としている。
そのため仁川学院は関係の深い二人の聖人を教育理想像とし、学院長をはじめ園長、学校長はクリスチャンコードに則って現役の神父が担当している。
~"Pax et Bonum"~
”和と善”を意味するこの言葉は、コンベンツァル聖フランシスコ修道会の創設者であり教育理想像であるアッシジのフランシスコのモットーである。 人は神の似姿である 故に人の尊厳を保ち 神以外の何者も恐れるな 大自然に学び愛せよ 而して創造主に近づけ 自己放棄と祈りを忘れるな 而して真の知恵を求めよ 真の愛を保て 而して他者に己が心を開け 若き日に規律と礼儀を身につけよ 秩序の中に和あり 故に秩序を学べ すべてに善を行って 倦くことを知るな
出典:wikipedia
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