浜田 和幸(はまだ かずゆき、1953年3月17日 - )は、日本の政治家、国際政治経済学者。参議院議員(1期)、国民新党代表代行兼幹事長、総務大臣政務官、外務大臣政務官を歴任。鳥取県米子市出身。新日本製鐵、米戦略国際問題研究所、米議会調査局等を経て、2010年参院選にて鳥取県選挙区から立候補し当選。総務大臣政務官や外務大臣政務官を歴任。専門は「技術と社会の未来予測」「国家と個人の安全保障」「長寿企業の戦略経営」。米ワシントン・ロータリー・クラブ米日友好委員長、発明王エジソン生誕150周年祝賀事業実行委員長、日本バイオベンチャー推進協会理事、国連大学ミレニアム・プロジェクト委員、特許庁工業所有権副読本選定普及委員、鳥取県公園都市推進事業委員などを歴任。 テレビ、ラジオのコメンテーターも務めた。鳥取県米子市生まれ。父は国鉄職員、母は農家の出身。鳥取県立米子東高等学校を卒業。東京外国語大学外国語学部中国語学科に進学。1975年に卒業し、新日本製鐵に入社。その後ジョージ・ワシントン大学大学院で政治学博士号を取得。1987年から戦略国際問題研究所主任研究員、1995年からアメリカ連邦議会調査局経済部コンサルタントを務めた。1997年、国際未来科学研究所を設立した。また、ワシントンロータリークラブ米日友好委員長、発明王エジソン生誕150周年祝賀事業実行委員長、日本バイオベンチャー推進協会理事、国際連合大学ミレニアム・プロジェクト委員、特許庁工業所有権副読本選定普及委員、鳥取県公園都市推進事業委員などを歴任。2010年、第22回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で鳥取県選挙区から出馬。地元選出の石破茂自民党政調会長らの支援を受け、初当選を果たした。2011年6月27日、枝野幸男内閣官房長官を通じて菅直人首相から3月11日に発生した東日本大震災の復興を担当する総務大臣政務官への就任の要請を受けて、翌日、自由民主党に離党届を提出して、総務大臣政務官に就任した。なお浜田の引き抜きに対し、直属の上司にあたる総務大臣の片山善博は不快感を表明した。浜田の離党、総務大臣政務官就任に反発した自民党は7月5日、党紀委員会で浜田の離党届を受理せず、除名処分を決定した。浜田の引き抜きへの関与が取り沙汰された亀井静香は「いま政治家に求められているのは、日本国が直面する未曾有の危機をどう克服するかという、きわめて緊急かつ重大な役割なのだ」と述べ、浜田を擁護した。また村上正邦元自民党参議院議員会長は「新しい参議院議員としての第一歩を雄々しく踏み出した勇気ある行動」と浜田の行動を評価した。続く野田内閣では外務大臣政務官に起用されている。2011年12月29日、国民新党に入党。国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約を日本が批准するか否かの問題に関してセミナーで講演し、2012年4月時点において、国際社会が持つ価値観に大いに関係する課題であるとの認識のもと、外務省が同条約の批准を最優先課題にしていることを明らかにした。2012年4月、消費税増税法案への閣議決定に反対した国民新党代表の亀井静香と亀井亜紀子への解任騒動後、同党の代表代行兼政策調査会長に就任。2012年12月、第46回衆議院議員総選挙において落選した下地幹郎の後任として同党の幹事長に就任。2013年2月27日、野間健と共に国民新党からの離党を表明したが、同年3月8日に離党を撤回(野間は離党)。2013年3月21日、国民新党解党により無所属に。同年7月24日に新党改革の荒井広幸、無所属で同年の参議院議員選挙に当選した平野達男とともに参議院院内会派「新党改革・無所属の会」を結成。2014年11月20日、次世代の党入党を発表、翌21日の同党総務会で正式に承認された。入党の理由については「自主憲法の制定を綱領に掲げ北朝鮮による拉致問題に積極的に取り組む次世代の党の政治姿勢に共感した」としている。2016年4月13日、日本のこころを大切にする党を離党。同時におおさか維新の会に入党を打診。2016年4月26日、おおさか維新の会への入党が了承され、次期参院選の全国比例代表公認候補者として発表された。2016年5月27日、熊本地震の被災地支援関連法案などを審議する参院本会議を欠席し、維新府議団・市議団の会合に出席し、「今日は顔見世興行です。本会議があるが、欠席届を出して皆さんにあいさつに来た」と説明し参院選への支援を呼びかけた。2016年5月28日、おおさか維新の会の松井一郎代表は「自分の選挙だけのために休んで、支援要請した。公認できない」と語った。2016年5月31日、おおさか維新の会の馬場伸幸幹事長はが浜田の公認取り消しを発表。浜田が27日の参院本会議を欠席し、大阪府内で政治活動をしていたことが理由で、馬場は「議員は本会議、委員会に出席するのが本分で、非常に遺憾」と述べた 。2016年6月2日、おおさか維新の会は、浜田が「一方的な公認の取り消しは理不尽」として5月31日付で離党届を提出し、6月1日付で離党届を受理したと発表した。第24回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から無所属で出馬するが、落選。単著共著
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