LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

王大テイ

王 大楨(おう だいてい/おう たいてい)は、中華民国の外交官・政治家・歴史学者。字は芃生。。号は曰叟。日本留学経験を持つ外交専門家として、特に国民政府期の活動が顕著な人物である。高等小学磁業学堂を経て、陸軍小学に入学する。1909年(宣統元年)秋、中国同盟会に加入した。1911年(宣統3年)9月、武漢陸軍学校に進学する。翌月、武昌起義(辛亥革命)が勃発すると、黄興配下の革命派として戦う。1912年(民国元年)2月、南京に赴き、軍需学校に入学する。その後、いったん湖南に戻り、湘軍(湖南軍)の程潜配下となった。1916年(民国5年)、王大楨は日本に留学し、陸軍経理学校高等科で学んでいる。1918年(民国7年)、シベリア出兵に際して、王もこれに随従してシベリアと外モンゴルの現地調査を行った。翌年、東京帝国大学経済学部に入学、学習している。1921年(民国10年)、アメリカに赴き、ワシントン会議中国代表団咨議をつとめる。翌年帰国し、山東問題交渉(「魯案」)の担当者の1人となった。1924年(民国13年)初めに山東省統計講習所所長に任ぜられ、翌年、再び日本へ視察に赴いている。1926年(民国15年)に帰国し、国民革命軍の北伐に参加する。湖南の唐生智率いる国民革命軍第8軍に編入され、第8軍第2師参謀、第35軍参謀長、安徽省軍事庁長を歴任した。寧漢分裂後、蒋介石の下に転じ、国民革命軍総司令部参議に任ぜられている。1928年(民国17年)5月3日に済南事件が勃発すると、駐日特派員に任ぜられ、日本へ赴き交渉に当たった。帰国後は外交部条約委員会顧問に任ぜられている。1931年(民国20年)、満州事変(九・一八事変)が勃発すると、東北外交研究委員会宣伝主任に任ぜられ、さらに国際連盟調査団中国代表処専門委員も兼任してジュネーヴに派遣された。1935年(民国24年)、駐トルコ公使館参事に任ぜられ、翌年、駐日大使館参事に転じている。1937年(民国26年)5月、軍事委員会国際問題研究所を主宰した。同年8月、第2次上海事変が勃発すると、王大楨はビルマ(ミャンマー)、ベトナムへ赴き、滇緬公路開設の下準備に奔走した。1945年(民国34年)、中国国民党第6期中央執行委員候補に選出されている。1946年(民国35年)5月17日、病没。享年54(満53歳)。なお王大楨は歴史学者としても、日本古代史や匈奴史に関する著作を残している。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。