第50聖詠(だい50せいえい、, , )とは、ダヴィド(ダビデ)が、ウリヤの妻であったヴィルサヴィヤ(バテシバ)と姦通したのち、夫ウリヤを死なせる事で奪って妻としたことを、預言者ナファン(ナタン)に叱責された際に詠った痛悔の聖詠(詩篇)と伝えられるもの。経緯は列王記第二巻(サムエル記下)11章3節 - 12章25節に書かれている。「50」の番号付けは正教会で使用する聖詠によるもの聖詠経などでは「第五十聖詠」と漢数字表記される。日本聖書協会訳の詩篇では第51篇に相当する。この数字の違いは、正教会の聖詠はギリシャ語の七十人訳聖書を底本にしている一方で、日本聖書協会訳の詩篇がヘブライ語聖書(マソラ本文)を定本にしていることに由来する。七十人訳聖書とマソラ本文とでは区切り方が違うことから、日本正教会訳の聖詠と、日本聖書協会訳の詩篇とでは、日本語の訳文のみならず、区切り方・数え方といった構成も異なっている。「神よ、爾の大なる(おおいなる)憐みに因りて(よりて)我を憐み、爾が恵みの多きによりて我の不法を抹し給へ(けしたまえ)。」で始まる。正教会において、痛悔機密、朝の私祈祷、領聖預備規程の晩祷、晩堂課、早課、第三時課など、使用される場面は多岐にわたり、頻繁に用いられる。洗足式との関連で、第50聖詠中の「イソプを以て我に沃げ(そそげ)、然せば(しかせば)我潔くならん、我を滌へ(あらえ)、然せば我雪より白くならん」の節(9節)が引用されて説明されることもある。
出典:wikipedia
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