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M41軽戦車

M41ウォーカー・ブルドッグ(エム41ウォーカー・ブルドッグ)は、アメリカ合衆国が開発した軽戦車である。愛称の“ウォーカー・ブルドッグ”は朝鮮戦争で第8軍の初代指揮官としての任務中、交通事故死したウォルトン・ウォーカー中将にちなんで名付けられた。1946年にゼネラルモーターズ社がM24軽戦車の後継として開発し、アメリカ陸軍を中心に西側諸国で広く使用された軽戦車である。日本の陸上自衛隊においても1960年代初頭から1980年代初期まで装備され、国産の61式戦車の配備が進むまでは、M24軽戦車及びM4中戦車と並ぶ自衛隊の主力戦車の一つであった。T37の名称で試作が開始され、フェイズI、II、IIIという3種類の異なる試作車が製作された。これらのテスト結果を受けて、フェイズIIの各部に改良を図った試作車が"T41"'と改称され、3輌が製作された。T41は先行生産車の試験結果を待たずして100輌が発注されたが、同年6月には朝鮮戦争が勃発し、T41の初期生産車が実地試験を兼ねて朝鮮戦争に投入された。実戦での運用の結果、装備されたステレオ式測距儀の不具合を筆頭に多くの問題が指摘され、これを受けて既存生産分以外のT41の発注は取り消され、照準装置を従来型のものとし、砲塔も内部容積に余裕のある大型のものとしたT41E1が改めて開発され、1953年5月に「M41軽戦車」(76mm Gun Tank M41)」として制式化された。M41の生産はゼネラルモーターズ社の傘下キャデラック社が行なった。生産型第1号車は1953年半ばに完成し、以後1,802輌が生産された。生産はその後砲架を改良し、AOS 895-3空冷ガソリンに変更したM41A1軽戦車に移行。さらにエンジンをAOSI 895-5に変更したM41A2、M41A3に改修され、最終的には5,500輌近くが生産された。重量19t、砲塔は圧延鋼板と鋳造部品(防盾・砲架まわり)を組み合わせて溶接した、油圧または手動で全周旋回可能な物となっている。主砲としては、新たに設計された60口径76.2mm戦車砲T91E3(T94)を採用した。これは、新型の76x580mmR弾を使用しており、これは同じ口径76.2mm砲でも、従来のM4中戦車のM1戦車砲や、M10駆逐戦車のM7戦車砲より軽量かつ射程・威力ともに勝る物であった。改良された量産型主砲はM32と呼ばれる。副武装として主砲同軸と車長用展望塔の銃架にブローニング M2 12.7mm機関銃を装備した。このうち、主砲同軸機銃は初期生産車以降はブローニング M1919 7.62mm機関銃に変更されており、その後初期生産車も順次M1919に換装している。操行装置はM24よりも進化して超信地旋回可能なクロス・ドライブ式アリソンCD-500-3(オートマチック前進2段・後進1段)となり、従来の戦車のようなレバーではなく、T字型ハンドルで操縦を行った。この操行装置とコンチネンタルAOS895-3水平対向6気筒ガソリンエンジン(グロス出力500馬力)、さらにトーションバー式サスペンションの組み合わせにより、路外での高い機動力を発揮できた。M41は試作車両であるT41が開発中に朝鮮戦争に投入されたものが実戦における運用の初である。折しも朝鮮戦争が勃発した当時、朝鮮半島でアメリカ陸軍機甲部隊が装備していた戦車は、第二次世界大戦末期に配備が開始されたM24軽戦車であった。これは、当時アメリカで使用されていた軽戦車としては最高の物であったが、対する北朝鮮軍の主力戦車はソ連製のT-34-85中戦車であり、攻撃力・装甲が劣る軽戦車の限界で、対戦車・装甲車用の徹甲弾や成形炸薬弾どころか、対人・対非装甲目標の榴弾で容易に撃破されてしまった。そのため、軽戦車ながらT-34に対抗できる火力を持つと期待されていたT41は、試験終了前の1951年に生産ラインから直接戦場に投入された。結果、本車の特徴の筆頭であったステレオ式測距儀は走行時や射撃時の振動によって狂いを生じやすく、故障が多発するために実用性が極めて低いとされ、また砲塔内が狭すぎるとの評価であった。このため、改めて砲塔を再設計した量産原型車のT41E1では、照準装置を従来型の直接眼鏡及び潜望鏡式とし、砲をT91E3に変更、砲塔を容積に余裕のある形状に変更している。M41はベトナム戦争でも実戦投入された。南ベトナム軍にも供与され、北ベトナムのPT-76軽戦車やT-54戦車と戦っている。レバノン内戦でも軍や民兵によって運用されていた。その後、アメリカ陸軍ではM551シェリダン空挺戦車が登場し、主力偵察戦車の座を譲ることになるが、28ヶ国において使用が続けられた。台湾やデンマークでは旧式化したM41に近代化改修を施し、それぞれM41D、M41DK-1として採用した。M41は軽戦車ゆえの運用のしやすさから、現在も二線級装備として保有している国がある。2006年9月19日にタイで発生した陸軍によるクーデターでは、首都バンコクの各所にクーデター勢力側のM41が展開された。日本の陸上自衛隊は第2次防衛力整備計画においてアメリカの無償援助による225両の取得を計画し、最終的にM41A2 147輌の供与を受けた。M41は1961年よりM24に替わる形で全国の戦車部隊に配備が進められた。国産の61式戦車が開発・配備されると61式への更新が進められたが、自衛隊に供与されたアメリカ戦車の中では最も長く装備されており、最後の車両が退役したのは61式の次世代の国産戦車である74式戦車の開発・配備以後の1983年のことである。なお、自衛隊からアメリカへ返還された車両の一部は台湾に再供与され、その後も使用されている。

出典:wikipedia

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