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里見郷

里見郷(さとみのさと)は、群馬県内の烏川流域の古称である。旧榛名町の烏川南岸、旧里見村 (群馬県)がこれに該当する。現在の高崎市榛名支所の上里見町・中里見町・下里見町・上大島町に相当する。贈鎮守府将軍・新田義重の庶長子・新田義俊(里見太郎)が上野国碓氷郡里見郷に移り、その地の名を苗字としたとの伝承もある。「里見村誌」によれば、「里見郷」の由来と伝承されているものは二つあるとしている。しかし、両説とも伝承の域を超えず、はっきりしない。おそらく「里見郷」の由来は、中世この地の地頭職であった里見氏から名づけられたものであるともいえるし、又里見に住して里見を名乗ったともいえると「里見村誌」は結論付けている。以下、里見村の歴史は、里見村 (群馬県)の項上里見神山上町天王耕地に祀ってあった八坂神社で、祭神は、素戔嗚尊(スサノオ)で荒神である。この祭りの日に樽神輿を造り、素戔嗚尊の化身となった十二歳から十五歳位の少年が全裸で町中を神輿をかつぎ巡り、大いに暴れまわって、仕舞いに烏川の難慶淵へかつぎ込み禊をする祭り行事があった。村人は素戔嗚尊の乱暴を止めてはならないという掟であったという。明治8年に作られた八坂神社の幟があるので、その頃盛んに行なわれたようである。上里見神山上町北裏の浄土山の本堂に、毎年8月16日の夜(盆の16日)百八の燈明を掲げ、祈祷をする行事で仏事である、雛壇の様に数段を作り、皿に灯油を入れ灯心を浸してこれに火を付けるので百八の燈明が一斉に輝く様は荘厳である。これは、祖先の霊に功徳を与え、己の百八煩悩を消滅し、村の豊作を祈願する祈祷と言われている。ただし、翌朝まで火を絶やしてしまうことがあると、村に災害が起こるという口伝もあるため、村人は交代で寝ずの番をしたという。伝承では、新田義貞は里見氏五世忠義の子として生れた。生れた年は不明であるが正応元年(1288年)の間と推定されている。幼名を里見小五郎といったが宗家新田朝氏に子がなかったので、その養子となり小太郎義貞と改名したといわれている(「上野志」「新田正伝記」より)この伝承を元に明治23年8月、里見水戸之介が全国から浄財をつのり、光明寺(中里見)境内に「新田公旧里碑」を建設している。

出典:wikipedia

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