本記事ではキリスト教における神の子(かみのこ、, , , )の概念を主に扱う。「神の子」はキリスト教において多義的である。ラテン語での"は、カトリック教会で特に第一バチカン公会議で出された教皇令を指して用いられることがあるが、本項では詳述しない。キリスト教(正教会、非カルケドン派、カトリック教会、聖公会、プロテスタント)において、三位一体の神(至聖三者)のうちの子なる神(神子:かみこ)である「神の子」は、受肉(藉身)してイエス・キリストとしてこの世に来たと信じられている。前述、後述の通り、「神の子」は三位一体の神(至聖三者)のうちの子なる神(神子:かみこ)のみを指すわけではない。この語義であることを特に明確にする場合には、「子なる神」、「神の独り子」、「神子(かみこ)」といった表記が使われる。「神の子」は、旧約聖書においてメシアの称号でもある。メシアとは「油つけられし者」との意味であり、待望されていた救い主(キリスト教においてはイエス・キリスト)としてのメシアに限定されない称号であるが、注解者によっては旧約聖書の幾つかの箇所につき、「神の独り子」イエス・キリストが預言されていると解釈されることがある。たとえば詩篇(聖詠)2:7における「(神の)子」は、神の独り子イエス・キリストのことが預言されているとキリスト教においては解釈されることがあり、これは使徒行伝4:25 - 4:27においても示されていると捉えられることがある(ただしそのような解釈をとらない者もあり、同箇所についても様々な解釈がある)。新約聖書においては「神の子」は、待望されていた救い主としてのキリスト(メシア)という称号とともにしばしば用いられている。福音書において、イエス・キリストを「神の子」と呼んでいる個所として以下が挙げられる。上記箇所を分類すると以下のようになる(ルカによる福音書 22:70は二つに分類)。また、「神の子」という文言で表現されずとも、三位一体の神(至聖三者)のうち父なる神(正教会では「神父(かみちち)」とも呼ばれる)からの声として、イエスが「子」と呼ばれる場面において、イエスが「神の子」であると表現されている箇所がある。使徒言行録、使徒の手紙(書簡)において、イエス・キリストを指して「神の子」と記述している個所として以下が挙げられる。キリスト教においては、「神の独り子」としてイエス・キリストを指す「神の子」の語義のほかに、キリストを信じる者、神から祝福された者、神を信じる者を指して「神の子(ら)」と呼ぶ用法がある(この用法における「子」は「養子」の意である)。この用法においては、新約聖書におけるローマの信徒への手紙8章14節「すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。」(口語訳聖書)がしばしば挙げられる。ほかに、マタイによる福音書5:9における「平和をつくり出す人たちは、さいわいである。彼らは神の子と呼ばれるであろう」(口語訳聖書、真福詞の一部)が挙げられる。旧約聖書においても、神の民を指すものとして「神の子」(神の養子)の概念は登場する。たとえばが挙げられる。旧約聖書では「神の民」「神の養子」という意味での「神の子」のほかに、様々な概念がある。そのうちには解釈が分かれるものがある。たとえば創世記6章2節における「神の子たち」は、(アダムの子である)セトの子孫であると解釈されることもあるが、天使を指すと解釈されることもある。シリアのエフレムなどの多くの教父、およびトマス・アクィナスは、前者の説を採る。
出典:wikipedia
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