シフゾウ("Elaphurus davidianus")は、偶蹄目(鯨偶蹄目とする説もあり)シカ科シフゾウ属に分類されるシカ。本種のみでシフゾウ属を構成する。シカのような角をもちながらシカでない。ウシのような蹄をもちながらウシでない。ウマのような顔をもちながらウマでない。ロバのような尾をもちながらロバでない。このように四つの動物に似た特徴をもちながら、そのいずれとも異なるために「四不像(中国音:スープシャン)」と呼ばれる。19世紀末に野生状態では絶滅してしまったが、イギリスで飼育されていた個体群の維持・繁殖は成功し、種の絶滅のせとぎわからの奇跡の生還を果たした。1980年代には中国で再び野生に戻されるまでに復活し、IUCN(国際自然保護連合)のレッドリストでも1996年には絶滅寸前(CR)とされたが、再び野生個体数が減少し、2008年に同レッドリストが改訂された際、保全状態が野生絶滅 (EW) にあらためられた。中国の明代の物語である『封神演義』では神獣として描写されている。日本では、帰化した際に植生改変やニホンジカとの交雑が起こる恐れがあるとして特定外来生物に指定されている。体長約220cm、尾長約66cm、成獣の体重は150-200kg。シカ科に属するが、上述の通り、幅広の蹄、ウマのような顔、長い尾など、独特の外見をしている。メスはオスの半分程度の大きさである。体毛は、夏は赤茶色、冬は灰色がかった黄淡褐色をしている。青白い顔にはつぶれたような形の特徴的な鼻をもつ。草、木の葉などを食べる。妊娠期間は9ヶ月前後。一度に生まれる子供の数は1頭ないし2頭。14ヶ月ほどで成獣となり、寿命は23年程度と考えられている。シフゾウは古くは中国北部から中央部にかけての沼沢地に生息していたが、19世紀半ばには北京郊外にある清朝皇帝の狩場である南苑()を除き、絶滅してしまった。1865年、フランス人神父A.ダヴィッド( 1826年-1900年)が南苑に生息しているシフゾウを「発見」し、この動物をヨーロッパに紹介した。ダヴィッド神父の名はシフゾウの学名における種小名"davidianus"や、英名であるPère David's Deerに残されている。1895年に南苑を襲った洪水と、1900年の義和団の乱による戦乱のため、飼育下にあった1頭のメスを除き、南苑のシフゾウは全滅した。最後のメスも1920年に死亡したことで、中国からシフゾウは姿を消してしまった。ヨーロッパの動物園で飼育されていた個体も第一次世界大戦中に全て死に絶えた。シフゾウは群れを構成しないと繁殖がうまくいかないという習性を持っていたものと考えられている。この段階で、シフゾウという種は完全に消滅したと考えられた。しかし、シフゾウは絶滅してはいなかった。イギリスの大地主・ベッドフォード公爵()が、ヨーロッパの動物園で余ったシフゾウ18頭を買いとり、自分の荘園にて飼育していたのである。この群れでは、1920年当時、いまだ50頭ほどが生き延びていた。これらの生き残りたちは繁殖を重ね、個体数は順調に増加していった。1946年、ベッドフォード公爵家は、200頭ほどまで増えていたシフゾウの群れを分割し、他の動物園などに提供することを決めた。その子孫たちも順調に増え、1985年には元の生息地である南苑に放されることになった。その年、ついに野生のシフゾウが復活した。のちにシフゾウは江蘇省に設けられた保護区にも放されている。これら野生のシフゾウも、世界中の動物園で見られるシフゾウも、すべてベッドフォード公爵が飼育していた50頭の子孫にあたる。日本では植生などを食害すること、ニホンジカとの属間交雑による遺伝子汚染が懸念されることから、本種も含めたシカ亜科の構成種は2006年に特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律により特定外来生物に指定され、輸入・飼育(施行前から飼育されていた個体は登録すれば飼育可能)・販売・譲渡・遺棄などが原則禁止された日本では1888年にペアが恩賜上野動物園へ寄贈され、オスは1896年にメスは1898年に死亡した。このペアは1890年と後にもう1回繁殖に成功しているが、1890年に産まれた個体は成獣になる前に死亡、後に産まれた個体も成獣になったものの明治時代のうちに死亡している。1936年に四不像が京都市動物園で飼育されたが、これはトナカイだったとされる。中国明代の神怪小説『封神演義』では神獣として描かれており、その姿は麒麟の頭で獬豸のような尾を持ち、体は竜に似ると記述されている。物語の主人公である道士・姜子牙が騎乗した。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。