霧島山(きりしまやま)は、九州南部の宮崎県と鹿児島県県境付近に広がる火山群の総称であり、霧島連山、霧島連峰、霧島山地あるいは霧島火山群とも呼ばれる。最高峰の韓国岳(標高1,700m)と、霊峰高千穂峰(標高1,574m)の間や周辺に山々が連なって山塊を成している。有史以降も噴火を繰り返す活火山(気象庁の活火山ランク付けはB)であり、特に新燃岳と御鉢では活発な火山活動が続いている。火山噴火予知連絡会によって火山防災のために監視・観測体制の充実等の必要がある火山に選定されている。北海道の大雪山と同様に霧島山という固有の山はなく、個々の山岳はそれぞれ個別の名称で呼ばれる。山岳群に加えて大小の湖沼群を抱え、高千穂河原やえびの高原、霧島温泉郷などの観光地に恵まれる。山塊の中心部は霧島錦江湾国立公園(霧島地域)に指定されている。日本百名山、日本百景の一つであり、2010年9月にはジオパークの一つとして認定された。北部は加久藤盆地、北東部は小林盆地、南東部は都城盆地、南部は高隈山地と姶良台地(シラス台地)、南西部は北薩火山群、北西部は肥薩火山群に隣接する。宮崎県えびの市、小林市、高原町、都城市、鹿児島県霧島市、湧水町にまたがる。日本でも有数の多雨地域であり、年間降水量は4,500ミリメートル以上に達し、このうち約半分は6月から8月に集中している。霧島山の北東山麓は古くから馬の産地として知られており、薩摩藩も多くの牧場を所有していた。明治維新後も多くの国営牧場が設置され軍馬が産出された。第二次世界大戦後は民間に払い下げられ牛や豚による畜産が盛んな地域となっている。また、茶(鹿児島茶)の栽培も盛んである。火山群は大まかに北西から南東の方向へ並ぶ傾向を示しており、大浪池や韓国岳などを含む北西部(韓国群)と高千穂峰や新燃岳などを含む南東部(高千穂群)に分けられる。地熱が豊富であり、霧島温泉郷などの温泉地に恵まれ大霧発電所では発電にも利用されている。硫化水素や二酸化炭素を噴出する噴気孔が散在する。「霧島火山群」として日本の地質百選に選定されている。四万十層群と呼ばれる地層と、その上に重なっている第三紀火山岩が基盤となっている。30万年前に大噴火を起こした加久藤カルデラの南縁付近で火山活動が繰り返され、30万年前から15万年前にかけて安山岩または玄武岩から成る栗野岳、湯ノ谷岳、烏帽子岳、獅子戸岳、矢岳の古期霧島火山が形成された。休止期間を経て10万年前から活動が再開し、古期霧島火山の上に新期霧島火山が重なるように形成された。約6万年前のえびの岳火山での噴火(2.3 DRE km)以降、約4.5万年前に大浪池での噴火(2.9 DRE km)、約7600年前に古高千穂峰での噴火(2.11 DRE km)、約4600年前に御池での噴火(1 DRE km)などの活動を起こした。白鳥山や蝦野岳などがつくられた後に活動は東西に分かれ、西部では大浪池、韓国岳、甑岳などが、東部では大幡山、夷守岳、二子石、中岳、新燃岳、高千穂峰などが形成されている。完新世に入ってからも大幡池や御池などの噴火があった。有史以降の噴火活動は御鉢と新燃岳に集中していおり、御鉢では玄武岩質安山岩~玄武岩、新燃岳では安山岩~デイサイトのマグマを中心に噴出している。日本本土最南端の高山地帯であり火山地帯でもあるという特徴的な地域のため、明治初期から昭和初期にかけて多くの植物学者が訪れた。このためキリシマエビネ、キリシマノガリヤス、キリシマスズなど多くの植物が霧島山で最初に同定されている。日本において霧島山を南限とする植物はカツラ、ヒノキ、ウラジロノキなど100種以上あるのに対して、霧島山を北限とする植物はツクシチドリとツクシヒメアリドウシランの2種のみである。霧島山にのみ自生する固有種として、ノカイドウやクモイコゴメグサなどがある。植生分布は、最高峰の韓国岳山頂付近にミヤコザサやコツクバネウツギ、標高1,500メートル付近にススキやミヤマキリシマ、標高1,400メートル付近にヤシャブシやマイヅルソウ、標高1,200メートル付近にアカマツ、標高1,100メートル付近にモミやツガなどが多く見られる。特にミヤマキリシマは標高700メートル以上の日当たりの良い場所に広く分布する。ホオジロ、アオゲラ、シカ等の野生動物が生息しており、国指定霧島鳥獣保護区(大規模生息地)に指定されている(面積11,364ha、うち特別保護地区1,884ha)。多様な生物が見られる貴重な場所として森林生物遺伝資源保存林にも指定されている。一方で、野生のシカが増えすぎ樹皮を食べられて立ち枯れする樹木も出るなど問題となっており、観光客が餌付けをしないよう呼びかけが行われている。湖沼が多いため水鳥が多く見られる。最も多い種はマガモとカルガモであり、ヒヨドリとアトリも多い。ヒヨドリは春と秋に多く見られることから渡りの中継地になっていると考えられている。古代においては天孫降臨説話の舞台とされ、高千穂峰の山頂には天孫降臨に際して逆さに突きたてたという天の逆鉾が立てられている。「霧島」が最初に文献に登場するのは837年(承和4年)8月の続日本紀であり、諸県郡の霧島岑神社を官社とする旨が書かれている。「霧島」の名称は周囲が霧の深い地域であることに由来し、特に霧が立ちこめた都城盆地から高千穂峰を望んだときに、まるで霧の中に浮かんだ島のように見えるためとする説が一般的である。この他に、イザナギがカグツチを斬った故事にちなんで「切り嶼(きりしま)」と名付けられたとする説や、火山活動による噴煙を霧に見立てたとする説などがある。古代から山岳信仰の対象となっており、中世においては修験道の霊山であった。10世紀中頃に性空が修行に訪れ、山中の様々な場所に分散していた信仰を天台修験の体系としてまとめ、霧島六社権現として整備した。軍神であるヤマトタケルを祀っていたことから、南北朝時代に勢力を伸ばした島津氏に信仰され、九州南部各地に霧島神社が建てられた。近世に入って1714年(正徳4年)に霧島山南西部で硫黄谷温泉(霧島温泉郷)が発見され温泉保養地として知られるようになった。1866年には坂本龍馬・おりょう夫婦が新婚旅行に訪れている。1929年(昭和4年)には林田熊一が林田温泉を開発し、1934年3月16日に日本で最初の国立公園(霧島国立公園)に指定された。1950年代後半になると、えびの高原や高千穂河原が登山拠点として整備され多くの登山者が訪れるようになった。霧島山山中に仙人の住む仙境があるという伝説がある。また、特に霧島神宮周辺に見られる神秘的な現象は霧島の七不思議と呼ばれている。
出典:wikipedia
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