エイドリアン・エムリス・ストリート(Adrian Emrys Street、1940年12月5日 - )は、サウス・ウェールズ出身の元プロレスラー。イギリスで活動後、1980年代にアメリカに渡り、ゲイ・ギミックのペイントレスラー "エキゾチック" エイドリアン・ストリート("Exotic" Adrian Street)に変身。異色のヒールとして西海岸や南部を中心に活躍した。少年時代からボディビルディングで体を鍛え上げ、その肉体美と容貌を買われ雑誌のモデルにも起用されていた。ロンドンのYMCAにてレスリングのトレーニングを積み、1957年8月8日、キッド・ターザン・ジョナサン("Kid Tarzan Jonathan")のリングネームで16歳でデビュー。その後、"ネイチャー・ボーイ" エイドリアン・ストリート("Nature Boy" Adrian Street")を名乗り、バディ・ロジャースに影響を受けた金髪ヒールとして、1960年代から1970年代にかけてデール・マーティンズ・プロモーションズ(ジョイント・プロモーションズ系列)を主戦場に活動した。1970年代前半は同タイプのボビー・バーンズとのタッグチーム、ヘルズ・エンジェルズ("The Hells Angels")でも活躍し、ロイ&トニー・セント・クレアーのセンセーショナル・セインツなどと抗争。エンジェルズ解散後は1976年と1979年に世界ミドル級王座を獲得している。1981年に英国を離れ、スチュ・ハートの主宰するカナダ・カルガリーのスタンピード・レスリングや、オットー・ワンツの主宰するドイツ・オーストリアのCWA(キャッチ・レスリング・アソシエーション)など海外に進出。CWAではスティーブ・ライトやミレ・ツルノと対戦した。1982年、"エキゾチック" エイドリアン・ストリート("Exotic" Adrian Street")のリングネームでカリフォルニア州ロサンゼルスのNWAハリウッド・レスリングに登場。妻のミス・リンダ("Miss Linda")をマネージャーに従え、けばけばしい化粧とピッグテール風の髪型というヘアメイクを施し、試合中も対戦相手やレフェリーの尻を愛撫しキスを迫るなど、ゲイ・ギミックのキャラクターを確立する。同年3月14日にはスウィート・ブラウン・シュガーからNWAアメリカス・ヘビー級王座を奪取。タッグでは "ダイヤモンド" ティモシー・フラワーズと組み、5月にクリス・アダムス&リンゴ・リグビー、8月にマンド・ゲレロ&ヘクター・ゲレロを破り、アメリカス・タッグ王座を2度獲得した。ロサンゼルス地区の総本山だったオリンピック・オーデトリアムでは、"The Battle of the Undefeated" と銘打たれたミル・マスカラスとのシングルマッチも行われている。1982年末からはテネシー州メンフィスのCWAに参戦。ジム・コルネットのヒール・ユニット「コルネット・ダイナスティ」に加入し、スコットランド出身のビル・ダンディーを相手に抗争を繰り広げた。1983年はフロリダのCWF(チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)に進出し、イライジャ・アキームをボディーガードに従えてダスティ・ローデスと抗争を展開。彼は自身のホームページにおいて、ダスティの息子ダスティン(ゴールダスト)はエキゾチック・エイドリアンに大きな影響を受けたに違いないと語っている。1984年はテキサス州サンアントニオのSCW(サウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング)を経て、ドリー・ファンク・ジュニアの招きでNWAミッドアトランティック地区のジム・クロケット・プロモーションズに参戦。フロリダでのダスティ・ローデスとの遺恨試合を再現し、ワフー・マクダニエルやジミー・バリアントとも抗争した。一時ベビーフェイスに転向して彼らとタッグを組んだが、再びヒールターンしてビル・ワット主宰のMSWAに登場。1984年9月26日にテリー・テイラーを破りミッドサウスTV王座を獲得した。同年の末からはメンフィスのCWAに戻り、ランディ・サベージとの抗争を開始した。1985年下期よりアラバマのCCW(コンチネンタル・チャンピオンシップ・レスリング)に定着し、7月15日にオースチン・アイドルからNWAサウスイースタン・ヘビー級王座を奪取。翌1986年もノーベル・オースチンやウェンデル・クーリーと同王座を争い、1987年4月10日にダッチ・マンテルに敗れるまで、通算4回に渡って戴冠した。その後はリップ・タイラーがガルフ・コースト地区で旗揚げしたWOWに参戦。1991年はダラスのGWFに単発出場し、バディ・ランデルやキング・パーソンズと対戦した。引退後はフロリダ北部のガルフ・ブリーズに居住。以降もレジェンド選手のリユニオン・イベントやレセプションに顔を見せており、NWAレッスル・バーミングハムなどアラバマのインディー団体にもゲスト参戦している。また、プロレスラー養成所 "Skull Krushers Wrestling School" のトレーナーとして後進の指導に携わり、自身のデザインによるリングコスチュームの販売なども行っている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。