砂川国夫(すながわ くにお、1970年(昭和45年) - )は、沖縄県平良市西仲(現 宮古島市平良字西仲)出身の沖縄の民謡歌手である。主に自身の生まれ島である宮古島の民謡を歌っている。影響を受けた唄者は、里国隆(奄美)、山里勇吉(八重山)としている。北小→北中→宮古高校を経て1989(平成元)年3月に進学の為上京。1995年、正月休みで宮古島に帰省した際、重信時計店(現 重信民謡研究所)で三線を購入し独学で始める。棚原玄正グループの名嘉間ヨシの歌う「家庭和合(きないわごう)」を聴き、その素朴なメロディーと歌詞に感動し、是非歌いたいと最初に覚えた。この歌は現在でも大事な歌として大切に歌っており、2009年に発売されたシングルCDに収録されている。2001年11月、新宿を散歩中に偶然通りかかった新宿西口と東口の連絡通路(通称角筈ガード下)を見渡しながら、「ここで路上ライブをやったら気持ちいいだろうな。」と、日を改めて三線を持って初めて路上ライブを決行する。多少緊張しながら「とりあえず1曲歌って人が集まらなかったら帰ろう」と「豊年の歌」を歌い始めた途端に人がぞくぞくと集まり始めた。中には沖縄県人会のメンバーも数人おり、「唐船ドーイ」を演奏した瞬間、県人会のメンバーを中心にその場にいた全員がカチャーシーを踊り始め、通りが一時通行出来ないほどの人で埋め尽くされた。全くもらうつもりも無かった投げ銭も入り、これがきっかけで三線弾きとしての音楽活動を開始した。しばらくは新宿を拠点に路上ライブを行い、中野~立川間の中央線沿線や調布、高幡不動、赤羽、蒲田、渋谷と活動の幅を広げていく。また春の桜の時期になると、花見の宴会の席を着物姿に三線を持って周り、唄三線でその場を盛り上げる「花見三線流し」も行っていた。日本そば屋や沖縄料理店、イタリア料理店で働きながら三線の腕を磨き、沖縄料理店では時折行われるライブで歌っていた。この頃に国吉源次の歌う「池間の主」を聴き、「宮古にこんな素晴らしい歌があったんだ!」と生まれ島である宮古島の民謡に深い感銘を受け、以来宮古民謡にのめり込む様になる。2003年、恵比寿のライブバー「にんにくや」で開催された沖縄民謡関係のイベントで初めて宮古民謡のみで構成した選曲でステージを務める。同年吉祥寺北口にある沖縄料理屋「ニライカナイ」にて初の単独ライブを行う。全曲宮古民謡でのステージであった。2004年8月、自らのプロデュースによるイベント「島唄巡り ~奄美 沖縄 宮古 八重山~」を六本木の沖縄ライブ酒場「島唄楽園」にて開催。出演者は、井出宏則(奄美民謡)、矢島敏(沖縄民謡)、蔓木忍(八重山民謡)および砂川であった。各島の民謡を聴きながらその島を旅しているように楽しんでもらおうというコンセプトのもと、出演者がそれぞれの島の民謡を歌い、島のことを語るという企画であった。フィナーレの「八重山六調~張水のクイチャー~奄美六調~唐船ドーイ」の各島の踊り歌のメドレーによるカチャーシー大会では客席はもちろん、店のスタッフも総出で踊りだし、大盛り上がりのなか大成功をおさめた。この模様は週刊朝日に掲載され大きな話題となり、翌年(2005年8月)にもこのイベントは開催された。2005年、帰沖の準備のために半年間沖縄本島に暮らす。その際に沖映通り沿いの民謡居酒屋「豚々美」(後に閉店)や国際通り傍の「島唄カフェ まるみかなー」(同)にて初の沖縄でのライブを行う。2006年、関東の様々な沖縄料理店や沖縄関係のイベントに多数出演。初めて関西(京都)でのライブを行うなど精力的に活動する。また、東京 乃木坂にある沖縄料理店「島唄楽園 美海店」にて宮古民謡三線教室を開講し、講師として宮古民謡の指導にも携わるようになる(後に休校)。2007年2月、宮古民謡の道を深く探求し、自身の歌の更なる発展を目指し、18年近く住んだ東京を離れ沖縄本島へ移り住み、那覇市に拠点を構える。・原点に戻ろうと国際通り(ホテルJAL CITY~むつみ橋交差点間)で路上ライブを行う傍ら、国際通り沿いの民謡居酒屋に多数出演、東京、神奈川、大阪と県外でもライブを行う。・2007年8月、宮古島のライブハウス「ROADHOUSE雅歌小屋」にて念願だった故郷でのライブを行う。・2008年、国際通り沿いの民謡居酒屋の観光客に媚びた選曲やライブ進行を強要されるのに嫌気がさし、出演していた店をすべて辞め、路上ライブやライブハウス、県外での活動が中心になる。同年、国際通りで路上ライブを行っていた際に偶然通りかかった仲田まさえの薦めで仲田幸子芸能館松山店に出演。・2009年9月、東北ツアーを慣行し、いわき、仙台、岩手県宮古市、青森、新潟でライブを行う。新潟に立ち寄った際に上越市板倉区にある中村十作記念館を訪ね、十作の墓前で奉納演奏を行う。同年11月、1stシングル「なりやまあやぐ c/w豊年の歌 家庭和合」を発売。・2011年9月、沖縄音楽専門の着うた配信サイト「沖縄ちゅらサウンズ」より1st CDシングル3曲の着うた配信を開始。・2012年9月、USTREAMにて宮古民謡の専門番組「araragama TV」を不定期ゲリラ配信にて放送開始。MCを務めている。2013年2月より毎週日曜日の午後1時にYouTubeへの配信に切り替え放送している。(2013年4月に放送休止)同年、2009年に業務を停止していた自らが代表を務める音楽事務所「アララガマプロダクション」を再設立。同時にレコードレーベル「araragama records」を設立。・2013年5月、AmazonよりシングルCDの全国発売、iTunes Store他の配信サイトよりシングル3曲の配信を国内、海外で開始。・2014年10月、岡山県津山市で行われた第9回津山国際総合音楽祭の一環として,津山文化センター大ホールで行われた「日本音楽コンサート 津山の民謡今昔2014」にて宮古島市(旧平良市)と津山市の姉妹都市縁組50周年記念ゲストとして出演。宮古民謡4曲と地元の美作大学沖縄県人会のエイサー隊とのコラボで4曲演奏する。自身にとってこれが初の大ホールでの演奏となった。同年11月、那覇市のてんぶす那覇前広場にて開催された「離島フェア2014前夜祭 島唄ライブ」に久米島民謡の中村一義氏、八重山民謡の宮良康正氏と共に出演。・2015年3月、琉球新報の論壇コーナーに「なりやまあやぐ 成立の経緯」と題して、自身が執筆、投稿した文章が掲載される。・同年9月、名護市の名護市営市場で行われた「第1回 なりやまあやぐ大会 in やんばる」にて又吉義昭氏、天久勝義氏らと共に審査員を務める。・同年11月、那覇市のてんぶす那覇前広場にて開催された「離島フェア2015前夜祭 島唄ライブ」に昨年に引き続き出演。共演は久米島民謡の中村一義氏、八重山民謡の本竹裕介氏。
出典:wikipedia
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