


青山(あおやま)は、北海道石狩郡当別町の地名。当別町市街地より、北海道道28号当別浜益港線を北に11kmほど進んだところより北にあり、当別町の領域を占めるのが「青山」である。地区は、南より、『青山』『青山中央』『青山奥』『青山奥一番川』『青山奥二番川』『青山奥三番川』『青山奥四番川』となる。当別市街地から道のりで45km離れている青山奥四番川も、『青山』である。青山地区の面積は、当別町の領域の60%以上を占める。2011年現在、当別ダムの建設により、水没する領域がかなりあるため、南部の地域以外は、農家は移転している。1986年には、125人住んでいた。当別ダム建設関係で、工事関係者の移動があわただしい。2011年現在、『当別ふれあいバス』にて、当別中心街より、この地区最南近くの『青山会館』まで、定期バス路線が継続している。当別中心部より、北海道道28号当別浜益港線を北上して、20kmから26kmぐらいに、点在している。事実上の当別町青山地区の中心部である。へき地等級は、1959年当時は2級地、1998年当時は3級地である。2011年現在、農家は転出したとされている。2000年12月廃校まで、青山中央小中学校があり、その後も建物自体は『青山交流館』として残っている。住所では、『青山奥』となることもある。道民の森青山中央地区と当別ファミリー農園がある。2003年より、『環境の村ゾーン』が設置されている。1949年から1955年まで、当別市街地へつながる当別町営軌道が走っていた。1954年には、人口964人を数えている。人口はその後徐々に減らし、1964年に763人、1974年に491人、1984年に292人、1999年に102人となる。当別ダムでの農家移転が進み、2000年には、青山中央自治会が解散となる。2002年12月より、当別中心部へ向かうバス路線は、一切ない。当別中心部より、北海道道28号当別浜益港線を北上して、28kmぐらいにある。「一番川」ともいわれている。1950年から1955年まで、当別市街地へつながる当別町営軌道が走っていた。1992年より、道民の森一番地区が営業している。1985年11月、当別中心部へ向かう定期バス路線が一旦廃止される。1992年7月より、『道民の森』停留所までで夏季特別運行がなされていた。2002年12月より、当別中心部へ向かうバス路線は、一切ない。当別中心部より、北海道道28号当別浜益港線を北上して、30kmぐらいにある。「二番川」ともいわれている。1950年から1955年まで、当別市街地へつながる当別町営軌道が走っていた。1986年には、53人住んでいた。へき地等級は、1959年当時は3級地であった。当別町立二股小学校があったが、1975年3月31日に廃校となる。1992年より、道民の森牧場南地区が営業している。当別ダムでの立ち退きを断り存続している梅村牧場がある。喫茶店の『採途庵』も、1988年ごろに開業し、2009年10月現在営業している。1985年11月、当別中心部へ向かう定期バス路線が一旦廃止される。1992年7月より、『道民の森』停留所までで夏季特別運行がなされていた。2002年12月より、当別中心部へ向かうバス路線は、一切ない。当別中心部より、北海道道28号当別浜益港線を北上して、33kmから40kmぐらいにある。「三番川」ともいわれている。1950年から1955年まで、当別市街地へつながる当別町営軌道の終着停留所があった。。へき地等級は、1959年当時は5級地であった。当別町立三番川小学校があったが、1971年3月31日に廃校となる。1986年には、人口0人の廃村状態となっていた。ただし、近くに青山ダムがあり、ドライブや山菜取りで訪れる人も少なくなかった。1990年より、道民の森神居尻地区が、1992年より道民の森青山ダム地区が開業している。1957年より、1975年10月まで、当別中心部とのバス路線『青山線』がつながっていたが、1975年11月に廃止となる。1992年7月より、『道民の森』停留所までで夏季特別運行がなされていた。2002年12月より、当別中心部へ向かうバス路線は、一切ない。当別中心部より、北海道道28号当別浜益港線を北上して、42kmぐらいに、村落がある。石狩市浜益区中心部より約33km、滝川市中心部より33kmのところにある。「四番川」ともいわれている。北海道道28号当別浜益港線と国道451号が三叉路になる地点である。1986年には、25人住んでいた。へき地等級は、1959年当時は4級地であった。当別町立四番川小学校があったが、1973年3月31日に廃校となる。1959年1月より2000年9月まで『青山四番川簡易郵便局』が営業していた。また、食堂『四番川』も、2000年代に、営業していた。1944年より、北海道中央バスの『滝浜線』が運行となり、滝川や浜益とバスとつながることとなる。1955年5月より、1975年10月まで、当別中心部とのバス路線『青山線』があったが、1975年11月に廃止となる。2000年4月より11月まで、夏季休日の当別中心部とのバス路線が復活するものの、12月に廃止となる。2007年3月31日をもって、『滝浜線』が廃止となり、バス路線はなくなる。当別中心部より、北海道道28号当別浜益港線を北上してのち国道451号を北上して、大体45kmぐらいにあり、石狩市浜益区の手前である。石狩市浜益区中心部より約30km、滝川市中心部より36kmのところにある。「五番川」ともいわれている。ある地図では、『青山奥四番川』の一部としている。かつては人が住んでおり、神社もあった。廃村ではあるものの、登山や山菜取りの人たちも、少なからず訪れる。1944年より、北海道中央バスの『滝浜線』が運行となり、滝川や浜益とバスとつながることとなる。1966年12月より、1970年9月まで、当別中心部とのバス路線『青山線』があり、当別中心部との直通バス路線が存在していた。2007年3月31日をもって、『滝浜線』が廃止となり、バス路線はなくなる。当別中心部より、北海道道28号当別浜益港線を北上してのち国道451号を北上して、浜益区に入る手前の東にある地区である。「六番川」という三等三角点がある。「六番川林道」がある。人が住んでいたという情報はない。登山や山菜取りの人たちも、少なからず訪れる。多くの地図では、『青山奥四番川』の一部としている。郵便番号は地区(または小字)ごとに振り分けられている。地名の『青山』は、1886年(明治19年)2月より、当別川にて渡し守をしていた青山重太郎に由来する。1894年(明治27年)より、富山県から野村五右衛門らが入植し、これが本格的な入植の始まりとなる。1901年に、青山奥にて、駅逓が立てられる。また、同年に小学校も2校開校する。。1907年には、青山中央だけで、117世帯が暮らしている。1909年、当別中心部より青山奥五番川までの道が拓けた。入植当初は、麻や亜麻豆類などの畑作が行われた。大正時代に用水組合ができ、1921年ごろにはほとんどの農家で、稲作が行われた。トドマツ・シナ・ナラなどの木材も盛んにとれ、林業も盛んとなっていた。製紙原材料および建築資材そして木炭の原料として、木材が切り出されてきた。1929年、開運橋が造られ、渡船なしで、当別中心部より青山奥五番川までいくことが可能となる。最盛期は、1000人ぐらいが、この領域に住んでいた。1944年に、滝川から浜益までのバス路線ができ、青山奥四番川を経由するようになる。1946年頃より、南樺太や満州からの引揚者が、青山の北部に入植し始める。1949年より1955年まで、領域に当別町営軌道が営業していた。1949年より、当別の石狩太美駅より、青山中央までバス路線が開設される。1954年において、青山中央地区だけで、964人が暮らしていた。1960年には、当別駅より四番川までのバス路線が、実現している。1962年、農業用水の確保などを目的として造られた青山ダムが完成する。1964年において、青山中央地区だけで、763人が暮らしていた。過疎化が徐々に進み、離農者が出てくる中で、人口が減り始める。1971年3月に三番川小学校が廃校、1973年3月には四番川小学校が廃校となる。1974年の青山中央では、491人が暮らしていた。1975年3月には二股小学校と青山小学校が廃校する。バス路線も短縮され、1975年11月には、四番川と二番川の区間が廃止され、1988年には、二番川と青山中央の区間が廃止となる。1990年に、『道民の森』がオープンし、当別町民以外の住民特に札幌圏内の市民にも脚光を浴びるようになる。その一方で、当別ダムが建設され、青山および青山中央の領域の大半が水没状態になる。その地域の農家は、別地区への移住となる。2000年3月26日、青山中央の自治会の解散式が行われる。同年12月には、青山中央小中学校が閉校することとなる。青山奥以北については、水没をまぬがれるため、居住を続けている人もいる。2016年現在、域内に学校はない。2016年現在の青山を校区としている学校かつて青山にあった学校南から北という順序で、かつて青山にあった小学校および中学校を取り上げる。小学校においても、一時期中学校の分教所が設置されることもある。冬季を中心に閉鎖期間がある体験農園があり、1区画4500円でジャガイモの栽培収穫ができる。2002年より開業している。住所は、「石狩郡当別町青山奥」である。当別町商工労政観光課が運営している。 2012年完成予定南より北という順序で取り上げる。知床や日高と比較すると、ヒグマの目撃情報がかなり少ない。しかし、当別および隣接地区の石狩市厚田区では、2000年以降も目撃情報があるので、ヒグマは皆無とはいえない。1973年5月2日、青山奥三番川の山奥にて、駆除中のハンターにヒグマが重傷を負わせた。翌日、5月3日、襲ったヒグマが射殺された。2011年現在でも、「森林地帯の多くはヒグマの生息地です」と『道民の森』のサイトで、注意を呼びかけている。キタキツネやタヌキを目撃することが少なくない。また、ウサギも、少なからずいる。『道民の森』では、72種の鳥類が確認されている。フクロウ、ニュウナイスズメ、ヤマシギ、コノハズク、センダイムシクイ、ヤブサメ、オオルリ、アオジなどが、生息している。青山地区の多くは、森林地帯である。針葉樹と広葉樹との混合林となっている。エゾマツ、トドマツ、シナノキ、ナラ、ダケカンバなどの樹木が多い。リクレーション施設かつて存在した鉄道山
出典:wikipedia
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