カラマツ(落葉松、唐松、学名:)は、マツ科カラマツ属の落葉針葉樹。日本の固有種で、東北地方南部・関東地方・中部地方の亜高山帯から高山帯に分布し、天然林は少なく日当たりのよい乾燥した場所が生育に適する。学名の種小名はエンゲルベルト・ケンペルへの献名である。樹高20-40 mになる落葉針葉樹。日本の針葉樹の中で、カラマツはただ一つの落葉性の高木である。幹の太さは1 mに達する。枝は長枝と短枝という二形性を示し、長枝は10-50 cmになる一方、短枝はひとつの芽のみからなり、1-2 mmの長さしか無い。葉は針形で、白い粉に覆われた薄い緑色であり、長さは2-5 cm。秋には葉は黄色く色づき、褐色の冬芽を残して落葉する。成木の樹皮は灰黒色から暗い赤褐色となり、表面は短冊状に剥がれる。松かさは長さ2.0-3.5 cmで、中に30-50個の種子を生産する。松かさははじめ緑色であるが、受粉後4-6ヶ月が経過して十分に熟すと茶色に変化し、種子を散布する。通常、古くなった松かさは樹にそのままついており、鈍い灰黒色に変色している。下向きの雄花と紅紫色の雌花が同じ株の樹木で、花期は5月。基準標本は日本のもの。カラマツは、森林を造林する際に用いる樹木として重要な種であるとされていた。北海道では、明治30年代(1897年~)から本格的なカラマツの造林が始まった。折しも当時の北海道は、大規模な山火事が各所で頻発。明治39年(1906年)から大正4年(1915年)の10年間だけでも約48万haが焼失しており、育苗が簡単で成長が速いカラマツの特徴が認められ、被災跡地や無立木地に一斉造林が盛んに行われた。大正12年(1923年)の例では、全道で約1万haの植栽が行われたが、そのほとんどはカラマツであった。こうしたカラマツの造林は、第二次世界大戦後の中断を挟んで昭和30年代後半まで、年間2~4万haの規模で行われている。昭和30年代後半以降には、エネルギー利用の変化から薪炭需要に陰りが見えると、雑木中心の薪炭林などを皆伐して用材向けのカラマツへ樹種転換する拡大造林も行われた。また、長野県でも根づきやすく成長が速いことから戦後大規模な植林が行われ、造林面積の約50%がカラマツ林となった。このように各地で造林に用いられたため、場所によってはその地域のカラマツが自生していたものであるのかが不明である場合もある。材は硬く丈夫であるが、螺旋状に繊維が育つため乾燥後に割れや狂いが出やすく、板材としては使いにくい材料であるが、現在は構造用合板やLVLに加工され、木造建築で幅広く用いられている。電柱、枕木、橋梁などの土木素材として使われる他、建築財、船舶材、バルブ原木の材料としても用いられている。その他、盆栽の材料としても広く利用される。尾瀬では遊歩道の木道に用いられている。「唐松」は、「唐松風の絵」に名前を由来している。短枝上に集まった葉っぱが、唐松風の絵を彷彿とさせることがその根拠である。イギリスのデヴォンやコーンウォールなどで、エキビョウキンの一種であるカシ突然枯死病菌 によるカラマツの枯死が初めて発見された。この病原菌はブナ科樹木などに感染し、アメリカでは1995年以降に、この病原菌によるカシ類の突然死が発生して大きな問題となっている。苗木~幼齢木にかけては、動物による食害に遭いやすい。日本ではノネズミの被害が著しかった時期があり、「カラマツ造林は、ネズミのエサを山に植えているようなもの。」という林家もいた。今日では、必要に応じて殺鼠剤の利用が行われている。IUCNレッドリストでは、1998年版で軽度懸念に評価されたが、更新が必要とされている。日本の環境省のレッドリストには掲載されていない。宮城県の要注目種、新潟県の地域個体群 (LP) に掲載されている。
出典:wikipedia
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