キャロライン・ブーヴィエ・ケネディ(、1957年11月27日 - )は、アメリカ合衆国の弁護士。駐日アメリカ合衆国大使(第29代)。第35代大統領ジョン・F・ケネディの長女。左利き。父ジョン・F・ケネディと母ジャクリーン・ケネディの長女として、ニューヨークで生まれた。1960年の大統領選挙で父が大統領に選出された翌年、ホワイトハウスに入り、合衆国大統領の娘として世界的な関心を集めた。1963年11月22日に父が暗殺されると母とニューヨークに戻り、彼女の保護のもとでメディアの報道合戦には巻き込まれずに済んだ。学士号を取得して、セブン・シスターズの名門校(1999年にハーバード大学と統合)を卒業後、コロンビア大学ロースクールを卒業して法務博士となり、弁護士資格を得た。現国務長官のジョン・ケリーが家庭教師だった。メトロポリタン美術館在職中にエドウィン・シュロスバーグと出会い、1986年に結婚した。結婚後もシュロスバーグ姓を名乗らず、旧姓のままである。なお、祖父のジョセフ・P・ケネディは駐英アメリカ合衆国大使(第44代)を務めたことがある。ケネディ記念図書館の館長やハーバード大学ケネディ・スクールの顧問を務めた。キャロライン自身が直接政治活動をすることは少ないが、2008年の大統領選挙では叔父のエドワード・ケネディ上院議員とバラク・オバマ候補への支持を表明し、同陣営の副大統領候補者選考委員会で仕事をした。駐加大使候補にもたびたび擬せられたが、ニューヨーク州選出のヒラリー・クリントン上院議員がオバマ政権で国務長官に就任することが明らかになると、その後継に意欲をみせた。CNNなどの共同世論調査では、過半数が「ケネディは上院議員になる資質を備えている」と答え、またケネディがヒラリーの後継となることには52%が肯定的、42%が否定的な反応を示した。しかし、2009年1月になって一身上の都合により上院議員の補填指名を受けることを辞退した。2013年の春頃からジョン・ルースに代わる駐日大使への起用が取り沙汰され、同年7月24日にホワイトハウスが駐日大使への起用を発表した。10月16日の上院本会議で承認され、11月12日に国務省で宣誓式に臨んだ。同月19日の皇居での信任状捧呈式を経て、正式に特命全権大使に着任した。信任状捧呈式においては、今上天皇、外務大臣岸田文雄、宮内庁式部官長小田野展丈ら接受する日本側が昼の正礼装で応対したにもかかわらず、ケネディは外交慣例を無視して正礼装を着用せず、七部袖・膝上丈スカートにショルダーバッグという平服で皇居に現れた。儀式にふさわしくない服装およびその際の立ち居振る舞いに問題があるとして、失礼との批判が起こった。同年12月26日に内閣総理大臣安倍晋三が靖国神社を参拝すると、ケネディ率いる駐日アメリカ大使館は「日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに、米国政府は失望している」とのコメントを発表し、安倍に対する失望感を露わにした。2014年1月18日、和歌山県東牟婁郡太地町にて行われているイルカ追い込み漁に対し、短文投稿サイトTwitter上で「米国政府はイルカの追い込み漁に反対します。イルカが殺される追い込み漁の非人道性について深く懸念しています」というメッセージを発信し、賛否両方からの返信が寄せられた。尚、当人はこの件について賛否両論論争が出るのは「健全なこと」と語っている。この発言については、日本に対する他国からの懸念についての配慮を求める意図があったのではないかという見方もある。2014年2月15日、NHK経営委員会を務める作家の百田尚樹が南京事件の存在を否定する発言をしたことや極東国際軍事裁判・東京大空襲に関する米国批判を理由に、大使就任直後の前年11月から申請されていた日本放送協会とのインタビュー取材を拒否していたと報じられた。東京都議会やじ問題において、「自分が早く結婚したらいいじゃないか」、「産めないのか」といったセクシャルハラスメントに対するやじを自民党所属の東京都議会議員鈴木章浩らから受けた塩村文夏に対して、激励の手紙を送った。公民権に関する Ellen Alderman との共著:「ニューヨーク・タイムズ」のベストセラーにもなった単編著:その他の主な著作物:
出典:wikipedia
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