リック・ペリー(本名: ジェームズ・リチャード "リック"・ペリー、James Richard "Rick" Perry、1950年3月4日 - )は、アメリカ合衆国の政治家。テキサス州知事(第47代、2000年-2015年)などを歴任した。所属は共和党。アニタ・シグペン・ペリー夫人との間に息子グリフィンと娘シドニーがいる。西テキサスのアビリーンから北に位置するペイントクリークで、父ジョセフ・レイ・ペリーと母アメリア・ジューン・ペリーとの間に生まれる。綿花農業を営む父はハスケル郡の郡政委員長と教育委員会のメンバーを務め、第二次世界大戦中は尾部銃手であった。ペリーは父祖がテキサスに移住して以来5世代目にあたる。父方の祖先であるジェーン・キリアンは1832年9歳の時に両親ジョン・ペリーとマリア・ペリーと共にテネシー州からメキシコ領テキサスに移住した。母方の祖先のアイシー・アベルスはミシシッピー州から来たチョクトー族であった。1968年にペイントクリーク高等学校を卒業する。ペリーはボーイスカウトに属しており、アメリカボーイスカウト連盟で最高の進級記章であるイーグルスカウトを得ている。1968年、ペリー氏はテキサスA&M大学(Texas Agriculture and Mechanical University)に進学し、同大学における学生の軍隊組織(Corps of Cadets)のメンバーとなっている。学問では獣医学を専攻したが、学業成績GPAは4.0中2.5と芳しくなく、獣医の道ではなく空軍に入隊する道を選んだ。1972年、畜産学を専攻してテキサスA&M大学を卒業する(学士)。在学中はテキサスA&M大学士官候補生隊のメンバーであった。大学卒業後、アメリカ空軍に従軍し、パイロットの訓練を完了した後、1977年に退役するまでの間、アメリカ国内やヨーロッパ、中東でC-130輸送機の操縦に従事した。退役時の階級は大尉。空軍を退役した後、、故郷のテキサスに戻り、父と共に綿花栽培事業に従事する。1982年にエレメンタリースクール以来の幼馴染で恋人のアニタ・シグペンと結婚する。1984年に民主党からテキサス州下院議員に当選した。1987年には、当時のテキサス州知事で共和党のビル・クレメンツが提出した57億ドルの増税案に賛成票を投じている。また、年間7200ドルであった州議会議員の報酬を3倍にするという法案を共同執筆している。この法案は州の住民投票により否決されている。1985年に合衆国下院議員で民主党のケント・ハンスが共和党に鞍替えした際には、自分であれば離党し転向するよりむしろ党を変えようとするだろう、残念だ、と『アビリーン・リポーターニュース』紙に語っている。その後、労働者災害補償保険制度の法案を議会に提出し、当時州内の政治に強い影響力をもっていた法廷弁護士たちを怒らせたが、1989年にこの法案は可決した。1988年の合衆国大統領選挙ではアル・ゴアを支持し、テキサス州の民主党大統領選挙予備選でゴアのキャンペーンマネージャーを務める。この際、ジェシー・ジャクソンを支持するジム・ハイタワーに対抗するために「共和党に鞍替えするのでは?」と噂された。テキサス州の共和党委員長フレッド・マイヤーや上院議員フィル・グラムら元民主党の共和党議員からの積極的な勧誘の後、1989年9月29日に所属政党を共和党に変更した。1990年に州農政監察官に共和党候補として立候補し、ハイタワーに勝利して当選した。同州下院議員を歴任後、1998年の中間選挙でテキサス州副知事に当選した。2000年アメリカ合衆国大統領選挙で当選したことによってジョージ・W・ブッシュが州知事を辞任したのに伴い、後任として州知事に昇格した。以後2002年、2006年、2010年の選挙で当選し、州史上最も長い在任期間の知事である。また2011年現在、連続在任としては全米50州で最長期間の知事である(通算では17年目のアイオワ州知事テリー・ブランスタッドが最長である)。またペリーは州知事就任後、同州に100万人の雇用を生み出すことに成功するなどの実績を積んでいる。2012年アメリカ合衆国大統領選挙の共和党候補が本命不在を叫ばれる中、それまでに出馬を表明した候補に不満のある勢力から、「反ワシントン」色の強いペリーに対する待望論が浮上し、その動向が注目されていた。2011年8月13日、南部サウスカロライナ州の集会で、2012年アメリカ合衆国大統領共和党予備選挙に出馬を表明した。しかし、度重なる失言を連発するなどして、評価を下げた。例えば、サウスカロライナ州での討論会で、ペリー氏は「トルコは北大西洋条約機構(NATO)にとどまるべきか」との質問に「トルコはイスラム教のテロリストに統治された国」と発言した。その上で「加盟の是非を議論するだけでなく、国際援助をゼロにすることも検討すべきだ」と発言した。これは、トルコ政府が17日に異例の抗議声明を発表する騒ぎに発展し、米国務省が釈明に努めるなど国際的な波紋を広げた。11月上旬のテレビ討論会では、肥大化した政府組織をスリムにするために3つの政府機関をつぶすと訴えた。その際、問題の省庁を指折り数え始めたが、「商務省、教育省…」、そして長い沈黙。「あれ、3つ目はなんだったかな?」といい、場内に失笑があふれる中、再度3つの名を挙げようとするが、またも3つ目が思い出せず、他の候補者からは「EPA(環境保護庁)か?」と突っ込まれる。「そうEPA、いやEPAではない。EPAの改革は必要だが…」とペリーは苦笑した。そして3度目の挑戦では2番目の教育省すら忘れ、彼の口からは「商務省」しか出てこなかった。「Oops!(しまった!)」。このしばらく後に、「第3の機関」がエネルギー省だったことを思い出したが、支持率を大きく減らした。2012年1月19日、選挙戦からの撤退を表明し、ニュート・ギングリッチ元下院議長の支持を表明した。2014年8月15日、職権乱用など2件の罪でオースティンの大陪審によって起訴された2015年に州知事を退任。2015年6月4日、2016年アメリカ合衆国大統領選挙への出馬を表明した。
2015年9月、2016年アメリカ合衆国大統領選挙からの撤退を発表する。地球温暖化に懐疑的な立場をとっており、大気中の二酸化炭素の増加を抑制する努力が、アメリカ経済に大きな打撃を与えると語っている。 同性結婚と妊娠中絶の合法化に反対の立場を表明している。聖書の無誤性を信じていると語り、インテリジェント・デザイン説を信じていると主張している。2011年8月18日、大統領共和党予備選挙のキャンペーンでニューハンプシャー州を訪れた際に「地球は何歳だと思いますか?」という少年の質問を受けて、自分にはわからない、かなりの年月を経ている、など答えている。さらに、少年(に質問を指示している母親)から進化論について尋ねられ、進化論はひとつの理論であり欠落部があると答えている中東政策では親イスラエルの立場を取っている。2011年9月20日にニューヨーク市内で開催された記者会見では、パレスチナの国連加盟申請の動きに対して、パレスチナが国家設立に向けて行動する場合、米国はパレスチナへの経済援助を見直すべきである、など主張した(2011年9月23日にパレスチナは国連加盟を申請)。死刑制度を肯定しており、知事就任後、全米の死刑の約4割がテキサス州で執行されている。2004年に死刑が執行されたテキサス州の元死刑囚の男性キャメロン・トッド・ウィリングハムについて、無罪だった可能性を指摘する報告書が相次いでいる。しかし、法廷の過ちを調査する州の委員会が開かれようとした矢先にメンバー4人を相次いで退任させたため、「冤罪死刑執行のもみ消し」と批判された。米国在郷軍人会のメンバーである。
出典:wikipedia
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