足鹿 覚(あしか かく、1904年(明治37年)12月28日 – 1988年(昭和63年)5月16日)は、日本の政治家。元衆議院議員、参議院議員。元全日本農民組合連合会長。鳥取県米子市出身。生家は半農半漁で家計は苦しく、そうした環境が彼に労働者としての自覚を促した。東京帝国大学セツルメント労働学校を終えた後、帰郷して農民運動をする。1926年(大正15年)労働農民党の創立に参加し、労働組合運動にも参加。1931年(昭和6年)米子市議、1935年(昭和10年)鳥取県議を経て、戦後は社会党に入り、1949年(昭和24年)から衆議院議員に7期当選。1968年(昭和43年)から参議院議員1期。農政を中心とする思想・見識は国民の共感を得た。1955年(昭和30年)秋、ソ連訪問、欧州各国を視察、1957年(昭和32年)日本農業技術団副団長として新中国を訪問、両国の国交調整を図った1975年(昭和50年)から1984年(昭和59年)まで全日農会長をつとめた。趣味は盆栽、釣。勲二等旭日重光章、米子市名誉市民。
出典:wikipedia
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