植田 平太郎(うえた へいたろう、1877年(明治10年) - 1949年(昭和24年))は、日本の剣道家。流派は天真正伝神道流剣術、無双神伝英信流抜刀術。称号は大日本武徳会剣道範士、居合術教士。昭和天覧試合3回出場。大日本武徳会香川支部、香川県警察部、高松監獄署、高松高等商業学校、高松商業学校、高松第一中学校の剣道師範を務めた。香川県香川郡池西村(現高松市)生まれ。父与佐衛門は天真正伝神道流剣術に堪能で、農業のかたわら自宅に道場を開いていた。平太郎は14歳から与佐衛門に天真正伝神道流剣術を学び、30歳のとき皆伝を授かった。また、16歳から叔父の酒井親時に宅間当流柔術を学んだ。1896年(明治29年)から四国一円を武者修行する。1905年(明治38年)1月、京都の大日本武徳会本部講習生となり、同年5月に帰郷した。1919年(大正8年)、高知の細川義昌に入門して無双神伝英信流抜刀術(居合)を学ぶ。同門には中山博道がいた。1923年(大正12年)、細川から免許皆伝を授かった。1974年(昭和49年)2月23日、香川県知事金子正則が祭主となり、「植田平太郎之命」(ウエダヘイタロウノミコト)として香川県善通寺市讃岐宮に祀られた。香川県では現在も「植田平太郎範士杯」争奪剣道大会が開かれている。三男の植田一は全日本剣道選手権大会準優勝などの実績を残し、範士九段まで昇段した。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。