松本 龍(まつもと りゅう、1951年5月17日 - )は、日本の元政治家、部落解放運動家。民主党に所属していた。元衆議院議員(7期)、衆議院政治倫理審査会会長、衆議院国会等の移転に関する特別委員長、衆議院環境委員長、環境大臣(第15代)、内閣府特命担当大臣(防災担当)などを歴任。部落解放同盟元副委員長。福岡県福岡市出身。実家は養祖父の代からの福岡のゼネコンの松本組で、弟が社長である。自身も顧問を務める。祖父の松本治一郎は、全国水平社を率いて活動し、国家権力の弾圧も受けたが、水平社解散命令にも屈せず、「部落解放の父」と呼ばれた。福岡市立馬出小学校から福岡市立福岡中学校・福岡県立福岡高等学校に進む。高校時代は新聞部長を務め、「とにかく時間にうるさいことで有名だった」といわれる。3年浪人して中央大学に入学、二部法学部政治学科を卒業。弟2人と妹1人おり、父英一は優秀であった次男に国会議員の後を継がせようと考えていたが、1972年10月1日、当時大学1年生であった次男が銀座の路上で心不全を起こして急死したため、長男である龍が父の後を継ぐことになった。大学卒業後は実家の松本組に入社し、父の補佐、不動産の管理、営業などを担当していたが、30歳の頃、自ら副業として保険の代理店を始めた。傍ら、1980年、父松本英一(参議院議員)の秘書として政治の現場に入る。1990年の第39回衆議院議員総選挙に日本社会党から出馬して初当選し、以後7回連続当選(現在は福岡1区)。1996年に社会民主党を離党して旧民主党結党に参加した。日韓議員連盟常任幹事である。国鉄労働組合のJR採用差別闘争に連帯している。2008年度の国会議員の所得公開で国会議員で圧倒的トップの8億4366万円の所得を得ていたことが伝えられている。2010年9月17日、菅第1次改造内閣において環境大臣兼内閣府特命担当大臣(防災担当)に就任し、初入閣。内閣府特命担当大臣(防災担当)を環境大臣と兼任するのは異例。2010年9月29日、現役閣僚の環境大臣として出席中国建国61周年を祝うレセプションに出席した。同年10月に行われた第10回生物多様性条約締約国会議(COP10)の議長を務め、議長案採択にこぎつけた。2010年の閣僚資産公開では保有資産7億6073万円、菅内閣の閣僚の中でも突出してトップであると報じられ、2位の鹿野道彦農林水産大臣の5968万円を大きく引き離した。資産のうち7億3119万円が不動産資産で、福岡空港周辺の土地を多く所有していることが伝えられた。翌2011年発足の菅第2次改造内閣でも留任。2011年3月11日に発生した東日本大震災以降は、内閣府特命担当大臣(防災担当)として対応にあたる。2011年6月27日、国務大臣としての担当事項に「東日本大震災からの復興のための施策を政府一体となって推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」が加わった。それにともない、環境大臣を退任した。その後も内閣府特命担当大臣(防災担当)は引き続き兼務し、被災者支援チームを自分の名前を冠した「チーム・ドラゴン」と命名した。しかし、岩手・宮城両県を訪問した際の発言(後述)が問題となり、2011年7月5日、辞表を提出した。後任には、岩手県出身の平野達男が任命された。2011年7月11日、九州大学病院に入院。主治医団は「軽度の躁状態」と発表、復興相辞任に至った言動についても「一部は躁状態が関係した可能性が高い」との見方を示した。その後、9月20日に九州大学病院を退院し、地元福岡の行事に顔を出している。10月21日の臨時国会開会式では、席が自由だったにもかかわらず菅直人と谷垣禎一に寄り添うように両者と並んで座り、「松本さんが菅さんに寄り添っていたのには驚いた。だって彼は復興相就任の直前、ずっと菅批判をしていた。憚ることなく"早く辞めろ"と言っていたのですからね」といった批判が報じられた。2012年1月、野田政権において衆議院政治倫理審査会長に就任。2012年第46回衆議院議員総選挙では、俳優の菅原文太も応援に駆けつけるなどしたが、福岡1区では1位の井上貴博(自民)に6万票以上の大差で敗れ、2位となったみんなの党の新人候補者の竹内今日生にも8400票近い差を開けられる3位の得票数だったため、比例九州ブロックでの復活当選もならず、落選。日本社会党所属時の1990年、第39回衆議院議員総選挙において中選挙区時代の旧福岡1区から初当選して以来、小選挙区制となった第41回総選挙以降も継続し7期連続で守り続けてきた自らの議席を失うこととなった。2014年10月21日、次期総選挙への不出馬を表明。2011年6月3日、内閣総理大臣菅直人が退陣する意向を表明するとともに、衆議院本会議で内閣不信任決議案が否決された。その翌日、焦点に浮上した菅の退陣時期について、松本は「復旧復興を急がないといけないということから言えば、(菅内閣は)一日も早く退陣した方がよいとの文脈になると思う」と発言した。さらに「6月いっぱいというのが私の中にはある。復興基本法案や二次補正予算案の編成あたりがめどだ」と述べ、現職閣僚でありながら菅に早期退陣を迫る異例の発言となった。2011年6月28日、復興相就任会見の席上で「3月11日以来、私は民主も自民も公明も嫌いだ」と発言。このことが自民党や公明党から「復旧・復興の中心に立つべき人が与野党の協力が必要ないと考えているならば任に当たる資格無しだ」(逢沢一郎)、「信じられない言葉だ。松本氏はどうかしてしまったのか」(漆原良夫)といった反発を呼び、7月1日、発言を謝罪した。2011年7月3日に復興担当相就任後初めて被災地入りし、岩手県で達増拓也同県知事と、および宮城県で村井嘉浩同県知事との会談を行った。その際の発言が問題となり、7月5日に復興相と防災相を辞任することとなった。当時は、震災の鎮魂と復興を願って7月16日・17日に初めて開催される第1回「東北六魂祭」(宮城県仙台市)の直前準備の時期だった。問題となった発言は以下の通り:達増知事に対して村井知事に対してこれら一連の発言について、村井が「国と地方自治体には主従関係はない」と不快感を示した他、被災地や野党から反発・非難の声、首相官邸や民主党への抗議電話も相次いだ。数日の間に問題となる発言を繰り返したが、松本をよく知る人は「おとなしい、いい人です」「あんなしゃべり方初めて聞いた」と話しており、この一連の発言は菅首相を退陣へ追い込むためにわざと発言したのではないかと報じているメディアもある一方、高校時代の同級生は「今回の発言は別に驚かないです。昔から松本龍は松本龍。高校時代から、あんな感じでしたよ」とも発言している。2011年7月4日、被災地知事への発言を問題視された後の記者会見では「私は九州の人間ですけん、ちょっと語気が荒かったりして、結果として被災者の皆さんを傷つけたということであればおわび申し上げたい」「私はちょっと(血液型が)B型で短絡的なところがあって、私の本意が伝わらないという部分があるということは、反省しなければならない」と謝罪し、「何市がどこの県とか分からん」発言については「発災以来、ずっと東北の問題に関わり、福島、岩手、宮城に行き、すべての市町村の名前を知っている。知らないわけがない。九州からみれば東北は広いなあという思いがありしっかり取り組むという意味で言ったが曲解されたと思う」と釈明した。欧州メディアからは「失敗を血液型のせいにできるのか」といった反応があった。BBC東京特派員のローランド・バークは、松本復興担当大臣の弁明の解説として「血液型のせいにするなど荒唐無稽に聞こえるかもしれないが、日本では血液型は性格に影響すると信じられている」とコメントしている。当初「辞めない」としていたが、5日朝に菅直人総理大臣と会談し「一連の発言で被災地に迷惑をかけており、国会運営だけでなく復興にも支障をきたす可能性がある」との理由で辞表を提出。その後の記者会見では辞任理由について「個人的都合」としたが詳細については「話せません」と答えた。この席での「謎掛けをしようと思った」との発言について産経新聞は「真意分からず、最後まで『謎』だった」と報道した。2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震ならびに福島第一原子力発電所事故の松本の対応について週刊現代は、「官邸に引きこもって閣議後の定例会見すら開かない。取材対応も記者との立ち話程度で、原発のことを聞くと『私は担当じゃないから』と逃げる。何をやってるのかさっぱり分からない」(匿名の全国紙政治部記者)、「官邸の危機管理センターに詰めていた松本氏がまったくの役立たずで、自衛隊の初動が遅れた」(匿名の全国紙政治部デスク)、「防災担当相として松本がやるべき仕事はほとんど仙谷由人が行っており、松本は単なるお飾りと化している」(匿名の官邸スタッフ)などの声が上がっているとしている。この点に関連して、松本自身は7月3日の岩手県知事との会談で「私はボーッとしていたけど、みんなでやってくれた」と述べている。2011年7月4日、共産党の小池晃はツイッターで、松本が部落解放同盟の副委員長を務めていることを引き合いに出して「大臣はもちろん国会議員の資格なし」「『書いたら終わりだぞ』というマスコミ恫喝は、部落解放同盟の地金が出たものでしょう」と批判した。なお解放同盟と共産党は1960年代後半から対立関係にあるという。また、『週刊文春』2011年7月14日号は、松本氏の義理の兄弟(妻の姉の夫)が北九州市に本拠を置く指定暴力団であることを伝えた上で、「今後の復興に向けて、がれき処理や住宅建設の問題を巡って、暴力団とのしがらみやゼネコンに絡む様々な利権の話が必ず出てきます。そういったときに特定の暴力団と関係のある松本氏が大臣という立場に適切なのかどうか」との民主党関係者の懸念を報じている。福岡空港は、空港用地の地権者である松本組を含める地主への地代総額が年間80億円にも達し、相場を度外視した地代のために毎年地代分の赤字を計上しているという。しかも「同和問題の解消に資するため」に固定資産税の課税は免除されてきた。養祖父は「部落解放の父」と呼ばれた松本治一郎。父は元参議院議員の松本英一。
出典:wikipedia
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