ジョン・F・ケネディ (USS John F. Kennedy, CV-67) は、アメリカ海軍のキティホーク級航空母艦の4番艦。ビッグ・ジョンの愛称で呼ばれる。艦名は第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディに因んで命名された。同艦は建造当時CVAに分類され、航空戦にのみ使用されたが、後に対潜作戦能力(ASW)を保持し多目的使用が可能となり、艦種はCVに変更された。「ケネディ」はアメリカ海軍における最後の通常動力型空母。当初は原子力空母として計画されたが、財政難から通常動力型に変更された経緯がある。そのため建造時期が他の通常型と少々ずれており、「エンタープライズ」とニミッツ級原子力空母1番艦「ニミッツ」の間に挟まれた格好になっている。ある意味では通常動力型と核動力型の過渡期的・例外的な存在と言える。キティホーク級の発展改修型であるが、しばしば同一クラスに分類される。なお、核動力化された場合の機関構成は「エンタープライズ」ともニミッツ級とも異なっており、「エンタープライズ」で搭載されたA2W型加圧水型原子炉の約2倍の出力を持つA3W型原子炉4基の搭載が予定されていた。「ケネディ」の外見上の大きな特徴はアイランド(島型艦橋)と一体化した煙突にある。「ケネディ」の前に建造されたキティホーク級3番艦「アメリカ」では、飛行甲板への排煙の影響を避けるために、それ以前の艦と比べて煙突を小型化していたが、「ケネディ」ではさらに一歩進めて、旧日本海軍の飛鷹型と類似した傾斜煙突の形態を採っている。ただし、「ケネディ」の設計に当たって飛鷹型を参考にしたか否かは定かではない。「ケネディ」以降、アメリカ海軍は通常動力型空母の建造を打ち切ったため、傾斜煙突を採用した空母は「ケネディ」が最初で最後となったが、後に建造されたワスプ級強襲揚陸艦「マキン・アイランド」で再び傾斜煙突が採用され、続くアメリカ級でも取り入れられた。その他、当初は「アメリカ」と同様、艦首にAN/SQS-23ソナーの装備が予定されており、投錨時にソナードームとの衝突を避けるため、二つあるアンカーの内一つが艦首に装備されている。ただし、「アメリカ」と異なり実際にはソナーは装備されていない。艦型も以前の空母とは相違点が多い。「エンタープライズ」や他のキティホーク級では左舷アングルドデッキの先端は直角に切り落とされたように角張っているが、「ケネディ」では前部飛行甲板と斜めに滑らかに連続しており、上方から見ると右舷とほぼ左右対称になっている。これはむしろ後続のニミッツ級に近い形状で、この点では「ケネディ」はニミッツ級のプロトタイプとも位置づけられる。全長も他のキティホーク級より5.2メートル(17フィート)短い。日本の横須賀基地を母港とする「キティホーク」の退役後、原子力型でないこのケネディを推す声もあったが、結局ニミッツ級の6番艦「ジョージ・ワシントン」が後継空母となった。「ジョン・F・ケネディ」は1964年10月22日にバージニア州ニューポートニューズのニューポート・ニューズ造船所で起工した。1967年5月27日にジャクリーン・ケネディとその9歳の娘であるキャロラインによって命名、進水、1968年9月7日に初代艦長アール・イエイツ大佐の指揮下就役した。「ケネディ」の処女航海は悪化する中東情勢に対処するため地中海への配備によるものだった。1970年代にF-14 トムキャット艦上戦闘機とS-3 ヴァイキング艦上哨戒機を運用するための改修が行われた。1974年には大西洋艦隊においてマージョリー・ステレット戦艦基金賞を受賞した。1975年11月22日、ベルナップ級ミサイル巡洋艦「ベルナップ 」("USS Belknap, CG-26") と衝突事故を起こす。この事故で「ベルナップ」は火災を生じ、その上構部の大半を消失した。事故後ケネディは「"Can Opener"」と渾名された。1976年9月14日、スコットランド100マイル北方において給油作業中に駆逐艦「ボーデロン」 ("USS Bordelon, DD-881") がコントロールを失い「ケネディ」と衝突した。ボーデロンはこの事故による損傷のため、1977年に退役した。1978年後半に「ケネディ」は最初のオーバーホールを行い、1979年に無事完了した。この年2度目のマージョリー・ステレット戦艦基金賞を受賞している。1981年に「ケネディ」は9度目の配置転換で初のインド洋配備となり、スエズ運河を通過する。この航海中にソマリア国家元首の訪問を受ける。1983年には「ケネディ」は情勢が悪化するレバノンのベイルートに派遣され、一年にわたって同地域のパトロールを行った。1989年1月4日、艦載機のF-14がリビア空軍のMiG-23を2機を撃墜。1991年の湾岸戦争に参加。2001年のアメリカ同時多発テロ事件の翌日の9月12日から14日までニューヨーク沖でコンバット・エアパトロールを行い、アメリカの対テロ戦争の幕開けを象徴する空母となった。その後は練習艦として使用されていたが、航空隊の訓練は国内の基地で行われるようになり、2007年3月23日に退役した。それに伴って、アメリカ海軍の空母兵力は12隻から11隻へと削減された。艦内部の船室にはケネディの妻だったジャクリーン・ケネディがデザインした木の羽目板があしらわれていた。この羽目板は艦から取り外され、フロリダ州ペンサコーラの国立海軍航空博物館で再現展示される予定であるが、2008年3月30日現在公開されていない。2007年7月26日にバージニア州ノーフォークに曳航・保管されていたが、2008年3月17日にタグボートに曳航されて3月22日にフィラデルフィアの海軍艦艇不活性化施設に到着した。「ケネディ」は海軍がその将来を決定するまで、モスボール化の上保管される予定である。
出典:wikipedia
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