お犬の方(おいぬのかた)は、戦国時代の女性。尾張の戦国大名織田信秀の娘で、通説では八女。織田信長・お市の方らの妹。名は於犬。最初の夫が大野城主であったため、大野殿または大野姫とも呼ばれた。於犬は初め、尾張国知多郡西部を支配する大野城主・佐治信方(為興)に嫁ぎ、一成(与九郎)と中川秀休(久右衛門)の2人を産んだ。天正2年(1574年)9月、信方は長島一向一揆との戦いで戦死したので、実家に戻った。兄の居城である岐阜城に戻ると、姪の淀殿(茶々)の後見としてその世話をして面倒をみた。再婚する直前の天正3年11月10日に兄信長より下京地子銭百二十四貫が支給されている。天正5年(1577年)、信長家臣羽柴秀吉の仲介により、管領・細川晴元の嫡男で京兆家当主の山城国槙島城主の細川昭元と再婚した。昭元との間には、細川元勝、長女、次女の3人をもうけた。天正10年(1582年)9月8日に死去。法名は霊光院殿契庵倩公大禅定尼。京都龍安寺には廟所として霊光院が建てられ、乳母の浄智院によって菩提が弔われた。同寺には肖像画が残っており、小袖と腰巻姿で、数珠を持って両手で合掌して、片膝を立てて腰高に座した姿態で描かれている、妙心寺第44世月航宗津(げっこうそうず)の賛文には、婦人がいかに美しかったか言葉を尽くして述べられている。東京都渋谷区恵比寿南2丁目18番にある松泉寺(臨済宗)は、開基を於犬と伝えている。同寺は初めは赤坂一つ木にあり、彼女の死後20年近く経った慶長9年(1604年)に、京都龍安寺塔頭霊光院の僧・特英が建立して、初め高陽山霊光院といった。これが宝永6年(1709年)に龍徳山松泉寺と改号したものである。於犬が開基に直接関わったわけではないが、故人の没後に所縁の人物が創建に関わり、開基を故人に求めたというケースである。
出典:wikipedia
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