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ローエングリン (競走馬)

ローエングリン(、)は、日本の競走馬で、現在は種牡馬。馬名の由来は、リヒャルト・ワーグナー作のオペラ『ローエングリン』またはその主人公である騎士のローエングリンで、父馬・シングスピールの名が18 - 19世紀にかけてドイツで流行した庶民向け歌劇を意味することからの連想である。2001年10月14日に東京競馬の新馬戦で初出走、2戦目で勝ち上がる。翌2002年春のクラシックでは、皐月賞、東京優駿はともに抽選で除外となり出走できなかった。しかし、宝塚記念に3歳馬、重賞未勝利ながら出走し3着に好走した。これは宝塚記念における3歳馬の最高着順でもある。クラシック最終戦の菊花賞では果敢に逃げを打ったが、ハイペースでの逃げが祟って16着と大敗した。菊花賞以降は主にマイルから中距離路線で走ることになる。鞍上に後藤浩輝を迎え、2月の東京新聞杯は2着となるが、続く中山記念とマイラーズカップを連勝。そして春のマイル王決定戦の安田記念では1番人気に支持される。2番手で折り合うが、ゴール寸前でアグネスデジタルに交わされ3着と敗退。夏場は同馬主のテレグノシスとともにヨーロッパに遠征し、ジャック・ル・マロワ賞は10着、ムーラン・ド・ロンシャン賞は2着という成績を残した。帰国後は天皇賞(秋)に出走し、2番人気に支持される。しかしレースはゴーステディとの激しい逃げ争い。結果は自殺的なハイペースが祟り13着と大敗。人気馬らしからぬ騎乗に関係者・ファンからも鞍上の後藤への批判も強かったと言われている。この件が響き、暫く後藤への騎乗は遠退くこととなる。天皇賞後は香港マイル3着と成績を残した。5歳時は安田記念で再び1番人気に支持されるが、5着と敗退。人気になるが、成績が振るわず、ジャパンカップダートと平安ステークスとダート戦を試すが振るわず。6歳時はマイラーズカップで2勝目を上げたが、その後は二桁着順を繰り返していた。2006年の関屋記念では出遅れのため後方からの競馬となったものの4着に入線。続いての京成杯オータムハンデキャップでも同様に4着に追い込むなど、後方からのレースを行うようになった。そして毎日王冠ではGI馬6頭という強豪ぞろいのメンバーでありながら追い込んで3着に入り、かつての逃げ一辺倒から脚質を広げた。2007年2月25日に行われた中山記念では、かつてのような逃げのレースを行い、見事に勝利した。鞍上の後藤はインタビューで師の伊藤正徳へ恩返しができたと、涙を流した。次のマイラーズカップでは、先行するも直線で伸びを欠き12着に敗れた。第48回宝塚記念では、調子があまり良くないなか出走。スタートからハイペースで逃げるものの、3コーナーで失速し18着に敗れた。休養後の第41回スプリンターズステークスでは、好スタートを決め、好位につけると最後までしぶとく伸び、6着入った。しかし続くスワンステークスでは13着に敗れた。なお、第1希望で香港マイル、第2希望で香港カップに予備登録を行っていたが回避し、第24回マイルチャンピオンシップに出走登録を行い、レース前にこのレースが引退レースとなり、2008年より社台スタリオンステーションで種牡馬入りすることが明らかになった。そして迎えた引退レースは16番人気で出走するも、大差で最下位となる18着に敗れ、衰えて引退することを見せ付けるような結果でターフを去ることになった。レース後の11月21日付で競走馬登録を抹消された。GI競走では、2002年の宝塚記念3着や、2003年のムーラン・ド・ロンシャン賞でのネブラスカトルネードの2着などの好走経験はあるものの優勝は出来なかった。晩年は重賞にも顔を出したが、大敗が続き上積みが厳しい状況で走っていた。引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬となり、2010年からはレックススタッドで繋養されている。2012年の朝日杯フューチュリティステークスをロゴタイプが優勝し産駒の重賞初制覇。またローエングリン自身の現役時代も含めこれがG1初勝利となった。同馬は後に皐月賞も制覇し、さらに自身が4回出走し、うち2回は一番人気に支持されながら勝利を挙げられなかった安田記念も制覇した。太字はGI級競走スタートが非常に上手なことで有名。2007年の中山記念では、スタート直後の1完歩で既に他馬を1馬身以上離すほどの絶妙なスタートを決め、そのまま逃げ切り勝ちを収めている。過去に遡ると、1965年生まれの同名の競走馬がいる。そのローエングリンは父タリアートス、母トサモアーという血統で1968年の金鯱賞(中京ダート1800m)を勝つなど中央競馬で通算5勝。後に地方競馬に転じてオーナーズチエスという馬名になり、地方競馬でも1970年の東海菊花賞を含めて地方競馬で通算8勝。ムーラン・ド・ロンシャン賞2着という輝かしい海外実績を引き下げての凱旋レースとなった天皇賞(秋)ではシンボリクリスエスに続く2番人気に推された。レースでは後藤騎手を背にいつも通りに先行策を取り、先頭でレースを引っ張ったが2コーナーで外から吉田豊騎手騎乗のゴーステディが競りかけるように並んできた。どちらかが退くかと思われたが両者まったく譲らずどんどん後続を突き放し、1000メートル通過ラップは56秒9という驚異の数字を出した(1998年の同レースにてサイレンススズカが出した数字は57秒4)。結局両者は競り合った結果、ゴーステディは4コーナーで脱落し(最下位18着)、ローエングリンも直線半ばで力尽きた。レース後、吉田騎手は「逃げたのは調教師の指示だった。」と説明したが後藤騎手は「調教師の指示なら仕方がないが競りかけてローエングリンを潰しにきたような乗り方だった。」との見解を示す。後藤騎手は前走の安田記念で、1番人気でローエングリンに騎乗して、吉田騎手騎乗の16番人気のミデオンビットにハナを譲り3着に敗れている、また両者は以前から険悪な仲だったため、競り合ってもお互いに退くわけにいかず、結果としてこの暴走となってしまったのではないかと言われた。半弟に2014年の京都金杯を制したエキストラエンド(父ディープインパクト)がいる。

出典:wikipedia

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