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DAIGO

DAIGO(ダイゴ、1978年4月8日 - )は、日本のシンガーソングライター、ミュージシャン、タレント、俳優であり、ロックバンド・BREAKERZのボーカルである。本名は内藤 大湖(ないとう だいご)。東京都出身。所属芸能事務所はA-PLUS、歌手活動ではBeingに所属。母方の祖父は元衆議院議員で、第74代内閣総理大臣の竹下登。姉は漫画家の影木栄貴。金丸信や小沢一郎とも親戚関係にある。妻は女優の北川景子。2003年、DAIGO☆STARDUST(ダイゴ☆スターダスト)の芸名でメジャーデビュー。2007年、BREAKERZ結成を機にDAIGOに改名した。1978年4月8日午後1時2分、東京都中野区にて誕生。3歳から小学3年生の夏までを千葉県市川市で過ごし、祖父が総理大臣に就任することに伴い再び東京都へ移住。玉川学園中学部・高等部を経て玉川大学文学部芸術学科(音楽専攻)中退。中学3年の時、兄の持っていたBOØWYのCDをきっかけに音楽に目覚める。当初は何故かクラシック・ギターを習いに行ったが、なにか違うと思いすぐに辞め、独学でエレキギターを練習した。友達と行ったカラオケで一番上手かったためヴォーカルを目指すことになった。また、現在の所属レーベル・ビーイングの先輩であるB'zの大ファンであり、彼らの影響も受けたと自身のブログで語っている。高1でコピーバンドを結成。高3でボイストレーニングを始める。高2でモテることに目覚め、校内自分プロモーションの結果、憧れの先輩ランキング3位になったことも重なり、卒業前の学園祭で組んだバンド(JZEIL)が大好評。卒業後も続けることになる。ライブは後輩や友達が来て満員となり、すぐに事務所がついたほどだった。SIAM SHADEの後輩バンド・JZEIL(ジェイル)のボーカルとして活動。当時は様々なヴィジュアル系バンドが活動する中で、金髪と派手なメイクとセクシーな衣装がトレードマークだった。各音楽誌からは「何と言ってもカリスマボーカリストであるDAIGOが聴き手を吸い込んでしまうほどの独自の世界観を演出」「ロックシーンを塗り替える」という期待を受けプロへの誘いもあったが、結果が出ず2001年9月25日バンドは解散。「(2ndミニアルバムは)カッコ良い曲はカッコ良いんですけど、俺のキャパを超えている曲もあったりして、すごいシャウトする曲とか。(「自分の声質に合わない」)それでちょっとずつ、よりヘビーな方に行きたいっていうメンバーとキャッチーなメロディがあるものを歌いたいっていう俺が分かれて来て、“ちょっとここらで1回離れた方がいいんじゃない?”って切りだしたんですよね」。デモテープ2本、インディーズCD1枚、ミニアルバム2枚をリリースした。当初のヴィジュアル系ルックスから、1stミニアルバムでグラムに(楽曲は普通のロック)、1stフルアルバムで楽曲は洋楽テイストに変化。パンチの強いヴォーカルや高い張り上げヴォイスは現在の面影がない程であった。年間100本のライブを行い、韓国へも行った。バンド解散後、「DAIGO with The space toys」という名前でソロ歌手としての活動を始める。河村隆一のライブのオープニング・アクトが初ステージだった。地道にライブハウス等での活動を続けていた2003年、彼を撮影していた写真家の加藤正憲によって氷室京介を紹介され、1対1で会うこととなる。その際に才能を見出され、「何かしら力になってあげたいよね」とのことで氷室自らデビュー曲のプロデュースを申し出る。以前からBOØWYより多大な影響を受けていた彼にとっては願ってもない出来事であった。そして2003年7月21日、25歳でDAIGO☆STARDUST(ダイゴ スターダスト)(略称は“D☆S”。ファンの総称は“STARDUST軍団”。)として、氷室自身が再始動する際に作曲した「Claudia」の曲に違う詞をのせた形の「MARIA」でメジャーデビューを果たす(オリコンチャート64位)。ただ、当時は「竹下登の孫」である事実を自らは公表していなかった(後述)。リスペクトしてやまない人物の一人デヴィッド・ボウイの“火星から舞い降りたロックスター”「ジギースターダスト」から名前をとった。「カメレオンのように変化していく人に惹かれます。デヴィッド・ボウイを見習ってばりばりのグラムでやることにした。」デビュー当時、ドラマやCM出演など期待されていたが売れず、「一つの新しい発明」くらいに真剣にやっていたものが、「そもそもスペイシーってどうなの?」「自分でも一回フラットに考えたいな」と思い、事務所に話しフリーに戻る。2006年10月、レコード会社との契約が切れたが活動は続けた。セックス・ピストルズをカバーしたり自身の曲をパンクにしたDAIGO☆PUNKSの活動も行った。(2011年12月2日、イベントのオープニングアクトで1日限りの復活をした。)「後期からだんだん書く曲もバンド感が濃くなって」「そろそろ新しいことをしたい。暴れたい感じ。シャウトしたい。」「メロディが奇麗な曲が大好きで、そういう歌を中心に歌ってきたんですけど、そこからはみ出したい。」といった理由から2007年6月4日、DAIGO☆STARDUSTを封印した。2010年2月、1曲だけ披露した。2007年に音楽活動の拠点をビーイングに移し、3人組ロックバンド・BREAKERZとして活動を開始。同時にDAIGOに改名し現在に至る。「BREAKERZは終電」「生涯最後のバンド」とし、バンド名には「自分の限界やジャンルの壁をブッ壊して新しいモノを作っていく」という思いが込められている。2007年7月25日、1stアルバム「BREAKERZ」でデビュー。(オリコンチャート300位以下)当初はクールなロックバンドを目指しMCでは笑わないというルールで、楽曲もJZEILに比べメロディ主体で、また現在と比べると洋楽風であったりダークな世界観のあるものだった。2007年10月、姉の影木栄貴に「世界バリバリ☆バリュー」“私の家族は有名人”特集の出演依頼が来た際、姉はバンドを結成したばかりのDAIGOをメインに使うことで出演許可を出した。家族全員と自宅を公開しなければいけなかったため「おばあちゃん(竹下直子)が駄目と言ったら断念だね」という話をしていたが、祖母は快諾、家族で出演し話題となった。後日VTRを見た番組スタッフがDAIGOを気に入り、スタジオゲストとして何回か出演。タレント事務所(A-PLUS)に勤めていた元クラスメイトにマネージメントについて相談し、事務所社長と会うことに。社長はDAIGOのキャラを大絶賛、タレントとしてのDAIGOが誕生した。改名後のDAIGOは「竹下登の孫」であることを公表、同時にBREAKERZの知名度も上昇した。祖父ネタは「開き直り」「出し惜しみなく、フルに活用していくように」なった。また、元首相の孫とは思えぬ若者言葉で話すギャップや、親指を立てたコルナで手の甲を表に向け、腕をクロスさせるポーズと共に発する「うぃっしゅ!」という決め台詞が流行するなど、テレビタレントとしても人気を博している。1stシングル「SUMMER PARTY」(2008年7月、オリコンチャート10位。以降トップ10内連続チャートイン)は「せっかくだしちょっとロックと自分の個性(「自分ではフツーだと思ってたこの“しゃべり”」)、メディアリンクも含めてそういう曲を!」と作り、タレント活動について他のメンバーも「バンドの彩りを豊かにしていく」と前向きに捉えている。ライヴは「基本ロックだけれど初めて見る人でも楽しめるようエンターテイメントに」また、BREAKERZが男性ファン2%ということに対し「男性ファンが増えてくれるのはもちろん喜ばしいですけど、俺は女性ファンのほうがうれしいです(笑)」とまで語っている。「テレビなんか出ないぜ!っていうロッカーなスタイル、俺はすごい好きです。だけど俺の場合、固定観念に縛られてると逆に表現に足かせがかかっちゃう。だから、自分のスタイルを貫くことこそ、ロックだと思うんだ。」「今は、歌もバラエティーもすべてガチでやりたいんです。やらせてもらえる今の環境にいるからこそ、オファーには期待をすべて裏切らないように応えたいんですよ。ニーズには応えたいタイプなんでね(笑)」「今は何でも挑戦したい年ごろ(笑)」「“人を楽しませたい欲”が強い」と語りドラマ、ミュージカルなどに出演を果たした。2013年4月BREAKERZの更なる飛躍の為其々がソロ活動を開始、DAIGOは2013年7月31日ソロ第一弾シングル「いつも抱きしめて/無限∞REBIRTH」を発売した(オリコンチャート8位)。「バンドサウンドはBREAKERZで満足してる。だから逆にBREAKERZでできないことを」と話しデジタル系楽曲や一部本格ダンスにトライした。そして7月12日にDAIGO☆STARDUSTとして10年ぶりの復活ライブ[帰ってきたDAIGO☆STARDUST]を行う。一夜限りの復活ライブとなる予定だったが、あまりに反響が大きかったため、7月26日、渋谷公会堂にて追加公演[帰ってゆくDAIGO☆STARDUST]を行った。(その後もDAIGO☆STARDUSTの楽曲はDAIGOのライヴのレパートリーになっている。)DAIGOとしてのライブツアーも行った。2015年5月20日、15枚目シングルにてBREAKERZを再始動。「今後はエンタメ感というより、もっとロックに振り切ったBREAKERZを目指してやっていこうと思ってます。」尚、ソロ活動も引き続き行っている。2015年5月19日放送分の『幸せ!ボンビーガール』にて『第38回 24時間テレビ 「愛は地球を救う」』のチャリティーマラソンランナーのオファーを受け、翌週5月26日放送分の生放送部分にてランナーとしての役割を「HM(走ります)」と承諾、8月22日スタート、翌23日20時44分(JST)完走した。2016年1月10日(110番の日)、警視庁の一日通信指令本部長を務めた。2016年1月11日、女優の北川景子と結婚したことを所属事務所を通して発表した。婚姻届は都内の区役所に代理人を通じて提出。同日、都内にてツーショットで記者会見を行った。同年4月29日、都内で挙式を行い、グランドプリンスホテル新高輪で披露宴を行った。北川へのプロポーズソング『KSK』(DAI語で”結婚してください”)をも書き下ろし、DAIGO自身のソロ名義で同年6月15日にリリースした。北川とは交際に至る数年前の2011年に『LADY〜最後の犯罪プロファイル〜』(TBS)初回で共演している。身長178cm、血液型はAB型。好きな食べ物は寿司、ラーメン、焼肉、ポップコーン、キャベツ太郎(「一途に好き」)やうまい棒等のスナック菓子。好きなブランドはRoen、Loree Rodkin、長年愛用している香水はドルチェ&ガッバーナの「ライトブルー」。本名の「大湖」という名前は「大きい湖の様に広い心を持った人間になれ」という意味で名付けられた。座右の銘は「我が道を行く」。幼い頃、よく祖父に聞かされていたからだという。温厚な性格で平和主義者。姉の著書によると、「姉と兄の肉食獣同士の熾烈なケンカを側でながめながら、争いには首をつっこまない草食系の習性を身につけた」とのこと。テレビ出演時は「そうっスね」「マジで」「マジっすか?」「ガチで」「ハンパない」「みたいな〜」など、典型的な若者言葉(ただし基本的には敬語)でかつ語尾をのばした口調で喋る。DAIGOのこの独特の口調は、『森田一義アワー 笑っていいとも!』で共演したタモリやものまねタレントの花香よしあきら多くのタレントによくものまねをされている。また、明石家さんまと絡む際に「確かにぃ」という台詞をふられるのがお約束となっている。近年はいわゆるKY語を使うことが多い。食事の際などを除き、常に指貫グローブを着用している。中には「Roen」製やL'Arc〜en〜Cielのhydeに貰った指貫グローブ、Janne Da Arcのyasuとお揃いのグローブもある。上記のキャラクターからかおバカタレントのイメージを持たれる事もしばしばあるが、クイズ番組では博識ぶりを幾度となく披露しており、『ネプリーグ』の漢字書き取りコーナーである「ファイブツアーズバギー」では1人目のプレーヤーとして9問連続で正解、『熱血! 平成教育学院』でも総合2位という成績を残している。特技はものまねで十八番はサザンオールスターズの「TSUNAMI」。他にも、同じビーイング所属の先輩であるB'zの稲葉浩志、LUNA SEAの河村隆一などを持ちネタとして、ライブで頻繁に披露している。DAIGOの生み出したキャラクターにくまパンダがある。グッズもライヴ会場などで販売されている。鳴き声はキューキュー。アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のマニアで、登場人物惣流・アスカ・ラングレーのファンである。『踊る!さんま御殿』でアスカ役の声優・宮村優子と共演を果たし、宮村にアスカの声で毒づいて欲しいとのお願いをしたのと同時に、自分にMっ気がある旨を告白した。更に番組収録後、宮村に頼んで自身の目覚まし時計に彼女の声をアラーム音として録音している。その時、「もし日本武道館でライブやるようなことがあったらぜひナレーションをお願いしたい」と話し、2009年のBREAKERZ初武道館ライブ"WISH"にて実現、エヴァ仕様のオープニングになった。さらに、エヴァンゲリオンとNTTドコモのコラボで発売されたエヴァケータイやエヴァスマホは欠かさず購入しており、2012年に発売されたエヴァスマホ「SH-06D NERV」の公式PR動画にもサポーターとして出演した。その動画内で原宿のエヴァストアを訪れ、計48,612円ものエヴァグッズをお買い上げしている。『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』のチャリティマラソン完走後に生放送された『行列のできる法律相談所』において、完走に対するご褒美として主題歌である「残酷な天使のテーゼ」の高橋洋子本人による歌唱が披露された。競馬好きが高じて番組(「馬の王子様」)を担当した。兄(博文)が競馬を内藤家に持ち込んだと影木が著書の中で語っている。『ライオンのごきげんよう』に出演した際、「氷室さんがいなかったら自分はデビュー出来なかったかもしれない」と語っている。自身初の武道館ライヴ(2009年)では氷室の「ライヴハウス武道館へようこそ!」の伝説の言葉を本人公認で使い、それを紹介した「笑っていいとも」では、氷室を真似た “ロックステップ”を披露。受けが良いため現在もよく使っている。特にyasuとは週5で食事する程の仲である。L'Arc〜en〜Cielのライブを見に行った際に、hydeの熱狂的ファンであるyasuと出会い、それ以来の付き合い。祖父の名前を公表するか迷っていた時にyasuに相談したところ、「音楽ができなくなるわけじゃない」「家族なんだから何も後ろめたいことない」と言われ、今に至る。また、ブレーク前の2007年に、Acid Black Cherry主催イベント「SWAPPING ROCK PARTY!」にBREAKERZとしてに出演、この時の転換中に行ったyasuとのコント中に「うぃっしゅ!」というDAIGOオリジナル「ロックポーズ」が誕生した(yasu曰く、本当のロックポーズは親指を立てず中指に付け悪魔の数字「6」を現すが、DAIGOが間違えてしまったらしい)。Acid Black Cherryのカバーアルバム「Recreation2」に収録されている『大都会』にゲストヴォーカルとしてyasuとデュエットしていて、VAMPS主催HALLOWEEN PARTY 2010-2011に転換中のカラオケコーナーにて2人でコントを交え歌った事がある。また、以前結成していたバンド「JZEIL」時代には元Due'le quartzの雅(現:雅-miyavi-)や元の響兵などとも交流があった。BREAKERZについてはそちらの記事を参照。参加ユニット作曲

出典:wikipedia

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