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装甲巡洋艦

装甲巡洋艦(そうこうじゅんようかん)とは、巡洋艦の一種。近代以降の大砲の威力の向上は、軍艦の防御力を向上させる必要を生じた。そこで帆走蒸気戦列艦の水線部や砲廓(ほうかく)部などの限定した部位に装甲を施した装甲艦が生まれた。そして装甲艦は大型化していき、かつての戦列艦すら上回る巨艦に発展していった。そこで大型化し巨砲を搭載する装甲艦から発展した艦を戦艦(Battle ship)、それよりやや小型で戦艦に順ずる中口径砲を搭載し、装甲防御よりも巡洋性・航行性を重視した艦をイギリス海軍では装甲帯巡洋艦("Belted cruiser")と称するようになった。しかし、この当時の機関技術では出力が低く、巡洋艦として期待できる速力は出せなかった。また、水線部のごく限られた部位にのみ貼られた装甲は帯というよりも"紐"と称すべき範囲しか防御できないお粗末なもので、お世辞にも「装甲巡洋艦」を名乗れる代物ではなかった。このように戦艦よりも小さい口径を主砲として持ち、防御力も低い艦を称する曖昧なものであった。なお、これらの艦は船体の外板に装甲を張ったもので、水線下にも甲板部にも装甲はない。アメリカ最初の戦艦であるテキサスは、当初は装甲巡洋艦に分類されていた。一方で装甲コルベットから発展していった艦もあり、それは防護巡洋艦("Protected cruiser")と呼ばれた。そしてその防護巡洋艦から発展し、舷側に装甲を施した軍艦をフランス海軍は装甲巡洋艦("Armored cruiser")と称した。1890年頃から速射砲と高性能炸裂弾の発達により、比較的近距離での砲戦場面では舷側装甲を持たない艦は非装甲部を易々と貫通され、水線部装甲を貫通されなくても、艦内部での火災等の被害を受けることが予想された。そこで、水線部装甲に加えて舷側全体に速射砲弾を防御できうる装甲を貼り巡らせた艦を開発した。これが世界初の装甲巡洋艦「デュ・ピュイ・ド・ローム」である。この艦種の有用性を目聡く見抜いたアメリカ・イタリア・ドイツ・日本らの列強各海軍は対抗や必要性から次々と採用していった。実際に日清戦争時の黄海海戦で防護巡洋艦の脆弱性が明らかになった。兵装や防御様式にも各国の特色が現れた。装甲巡洋艦の元祖フランスや追従するロシアやイタリアは、航行能力優先で火力と防御に比する割合が小さかったが後に火力と防御も重視され、大型化した。一方、通商保護・破壊艦として整備されたドイツ装甲巡洋艦は戦艦に準ずる火力と防御性能を与えられたバランスの取れた艦を建造し、有名どころではコロネル沖海戦でイギリス海軍の装甲巡洋艦を撃破した「シャルンホルスト級」である。一方、列強海軍の中装甲巡洋艦建造で完全に出遅れたのはイギリス海軍である。イギリス海軍は通商保護のための航行性能と速力性能が優先された。そのため、船体は戦艦を凌駕する大きさとなり、高性能機関を多く搭載したために建造費は戦艦よりも高価となった。日本海軍がイギリスに発注した浅間型は、主砲こそ8インチ砲だが副砲として戦艦並の15.2cm砲を多く搭載するという、準戦艦的な艦であった。日本近海での迎撃任務のため、航続能力や航海性能は抑えて防御能力も重視した。こうした準戦艦的な装甲巡洋艦の傾向は各国に広まり「アミラル・シャルネ」「クレッシー」「フュルスト・ビスマルク」「ジュゼッペ・ガリバルディ」「ブルックリン」「バヤーン」等の有力な艦が続々と建艦された。この記事では世界で最初に蒸気機関のみで航行する装甲巡洋艦を発明したフランス海軍から順に各国の装甲巡洋艦を竣工順に並べる。装甲巡洋艦の発達にともない、イギリス海軍により1908年に誕生した「インヴィンシブル級」は、ついには戦艦と同口径の主砲を搭載するに至る。建造当初は装甲巡洋艦に分類されていたが、後になって巡洋戦艦という新しい艦種名に分類されることとなった。しかし、第一次大戦において、装甲巡洋艦は(巡洋戦艦でさえも)装甲と砲力においてはどうしても戦艦に及ばないことが明白となり、その存在意義は消滅した。また水雷兵装の進歩にともなって巡洋艦にそれほど砲力が必要とされなくなったこと、ワシントン海軍軍縮条約によって巡洋艦の排水量と兵装に制限が加えられたこともあわせ、1930年のロンドン海軍軍縮会議において、重巡洋艦・軽巡洋艦という新しい定義がなされ、装甲巡洋艦と言う概念自体が消滅した。

出典:wikipedia

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