網走バス株式会社(あばしりバス)は、北海道網走市に本社を置き、バス事業等を行う企業である。1962年(昭和37年)より名古屋鉄道が資本参加し名鉄グループの一員であったが、名鉄保有の株式は2012年(平成24年)4月2日付で網走市に本社を置くエンターテインメント事業のタカハシへ譲渡され、約半世紀ぶりに地元資本による運営となった。会社の流れとしては、1936年(昭和11年)に網走在住の有志が設立した三共自動車株式会社が最初。網走市街線を運行したが、1943年(昭和18年)に北海道における旅客自動車運輸事業統合要綱(いわゆる戦時統合)により北見乗合自動車株式会社(のちの北見バス、北海道北見バスの前身)へ統合され、その後運休となった。1949年(昭和24年)6月には網走商業組合よりバス企業設立について提案があり、北見バスより休止路線の復活と、将来の独立を前提とした網走市を中心とする免許委譲および新規路線出願の協力を取り付け、同年11月に北見バス網走営業所として営業を開始。網走市内線(甲・乙)、常呂線の3路線が運行された。1951年(昭和26年)に入り、北見バス監査役(網走バス設立発起人代表)および網走営業所従業員によって独立準備が急がれ、その前提として同年4月に北見バス網走支社を設立し、美幌、小清水、斜里方面へ路線を拡大した。同年10月に北見バスと網走バス設立発起人代表の間で業務の譲渡・譲受契約が成立。1952年(昭和27年)1月25日に網走バス株式会社として設立登記が完了。独立会社として営業を開始した。一般路線バスは平日ダイヤを基本に、土曜休日運休便、休日運休便、高校休校日運休便が設定される。年末年始は特別ダイヤ、1月1日は女満別空港線、サロマ湖栄浦線と常呂線の一部を除き全便運休となる。一部の停留所では網走観光交通の時刻を併記するが、乗車券類は運行会社発券分のみ使用可。1995年(平成7年)よりくしろバスと共同で釧路線「特急流氷号」を季節運行していたが廃止され、札幌線1路線の運行となっている。愛称名はドリーム、ミント(北見の名産)、オホーツク海(網走の海)を由来とする。1991年(平成3年)5月30日に夜行便を含む4往復で運行開始。安価も去ることながら1人掛け独立シートの採用や、北見から札幌では特急「オホーツク」との所要時間差があまりないことから平日でも増車する好調な滑り出しを見せ、翌1992年(平成4年)4月25日から7往復(うち、北見始発札幌行1本)に増やされた。当初はJR北海道や航空便を運航する日本エアシステムは乗客転移の影響を受けたが、近年では安価なバス、時間に正確なJR、速い航空便と客層や目的によって棲み分けがなされている。繁忙期臨時便の運行を経て、1999年(平成11年)7月16日より10往復(うち、北見 - 札幌1往復)運行する。途中停留所は北見バスターミナルのみ、降車専用は札幌行の時計台前・北2条西3丁目、網走行の網走駅前であったが、1997年(平成9年)4月1日より美幌(北見バス美幌営業所前)、2004年(平成16年)4月1日より女満別西通り、同年10月3日より菊水元町7条(札幌市白石区。札幌行降車専用)、2009年(平成21年)4月1日より西7号線(北見市。北見・網走行降車専用)を新設。美幌停留所は1998年(平成10年)12月1日より美幌駅前ターミナルに移設された。北見・網走行は路線開設以来札幌ターミナル始発で、札幌駅前ターミナルは札幌行の終点として降車のみ扱っていたが、2016年(平成28年)4月1日より昼行便のみ乗車扱いを開始した。開設当初から国道39号石北峠経由で運行され、高速道路・自動車専用道路は旭川紋別自動車道上川層雲峡IC - 道央自動車道札幌IC間を利用する。旭川紋別自動車道は北見峠を越え遠軽町の丸瀬布ICまで開通しているが、経路変更は走行距離の面などから現時点では計画されていない。昼行便は上川町の陸万観光センターで休憩時間を設定していたが、陸万観光センター都合により2012年(平成24年)12月1日から変更となり、通年2人乗務便の8往復は道央自動車道の比布大雪PAとなった。1人乗務便の1往復は同日より比布大雪PA(網走行)/陸万観光センター(札幌行)と北見バスターミナルの2箇所となっていたが、2013年(平成25年)度より夏季ダイヤ期間は道北バス層雲峡ターミナル(層雲峡観光ビル)1箇所、冬季ダイヤ期間は2人乗務で他便と同じ所要時間、比布大雪PAで休憩となる。利用客は初年度の約7万9千人から1997年(平成9年)度には約17万3千人に増加。1998年(平成10年)度からの8年間は15万から16万人台で推移していたが、2006年(平成18年)度は約18万8千人と2万人以上増加し、2007年(平成19年)度から3年間は19万人台で推移。2010年(平成22年)度は18万3,483人であった。特に夜行便の需要が増加しており、JR北海道の夜行特急列車が季節運行化された2006年(平成18年)および完全廃止された2008年(平成20年)と時期が符合することから、JRから乗客転移があったものと分析されている。2007年(平成19年)5月20日より、斜里線と小清水線の一部区間で実施していたフリー降車制適用範囲を拡大。網走市内線重複区間、網走市街が朝の通学時間帯となる便、女満別空港線と知床エアポートライナーは対象外となる。常呂線は北見バス網走営業所時の1949年(昭和24年)11月から60年以上に渡って運行される、網走バス現行路線ではもっとも歴史ある路線。二見ケ岡経由や常呂築港経由、1975年(昭和50年)7月から夏期ダイヤのみサロマ湖栄浦まで延長運行を行っていた。湧網線運行開始と同時に1977年(昭和52年)7月に開設された能取漁港経由常呂発着に一本化されていたが、湧網線廃止によりサロマ湖栄浦線が通年開設された。網走発の一部はエコーセンターを、学生登校日に運行する常呂発始発便は向陽団地中央を経由する。湧網線は1987年(昭和62年)3月20日に運行を開始した国鉄湧網線廃止バス代行路線。かつては佐呂間を経由せず国道238号を直行する急行バスの幌岩経由も運行されたが2002年(平成14年)3月をもって廃止され、佐呂間経由に一本化されていた。運行補助金が増額傾向であることから沿線市町などで組織する協議会で協議の結果2010年(平成22年)10月1日付で廃止され、網走市 - 北見市常呂町、佐呂間町内(佐呂間町ふれあいバス)、湧別町内(湧別町営バス)に分断されている1996年(平成8年)6月より「オホーツク知床線」「冬の知床ライナー」として季節運行を開始。斜里バスが同区間で「知床エクスプレス」を競合運行していたが、2008年(平成20年)4月28日より共同運行を開始。斜里バス管理のバスターミナルにも乗り入れ通年運行となったが、2010年(平成22年)度冬期より夏期・流氷観光期のみの運行に戻されている。ウトロ温泉午前発と女満別空港午後発はウトロ温泉主要ホテルを、夏期ダイヤの知床観光船運航時間帯は観光船乗り場を経由する。ウトロ地区内相互間を除き区間乗車も可能だが、両社が発行する回数乗車券や定期乗車券は運行会社に関わらず使用できない。1960年(昭和35年)6月28日より美幌線が立ち寄る形で運行を開始。1985年(昭和60年)の新女満別空港開港に伴い(旧)女満別空港線を廃止し(新)女満別空港線となった。かつては快速便として運行されていたが、現在は各停留所に停車。網走バスターミナル - 網走駅前間は北海道道23号網走停車場線を直行していたが、2006年(平成18年)10月1日より美幌線減便の代替として国道39号の網走支庁(現・オホーツク合同庁舎)経由に変更されている。航空便に接続運行するが空港以外の停留所相互間でも乗降でき、航空便発着時刻近接時は合便となる場合がある。1月20日 - 3月の砕氷船運航時間帯は網走道の駅発着となる。1951年(昭和26年)4月1日運行開始。報徳線直通や(旧)女満別空港経由などが運行され、美幌営業所設置時は滞泊便も設定されていたが、1995年(平成7年)10月8日の美幌営業所廃止後は当日中に折り返す運用となっている。1993年(平成5年)5月2日より斜里線・小清水線との直通系統を設定。2012年(平成24年)10月1日より女満別空港経由便が設定されている1963年(昭和38年)10月26日には北見バスと相互乗り入れで「北見線」の運行を開始。北見バス主管区間となる美幌 - 北見間、北見バス便は網走バス主管区間となる網走 - 美幌間で急行運転を行っていた。2001年(平成13年)4月1日に廃止され美幌線に振り替えられている。斜里線は1951年(昭和26年)4月1日に網走 - 斜里港町間の運行を開始。開発前(斜里橋)経由で運行され、1967年(昭和42年)3月3日に終点を斜里駅まで延長。1976年(昭和51年)12月24日に豊倉(斜里小学校)経由が新設された。1995年(平成7年)5月1日にはつくしケ丘経由が開設されたが、5箇月後の10月8日より早朝のポンモイ経由(網走市街 - 鱒浦間国道244号を直行)1往復のみの運行となり、それ以外の時間帯は小清水線と、同時に開設された「小斜線」(小清水営業所 - 18線 - 知床斜里)を18線乗り換えにより直通運賃適用とされた。2004年(平成16年)2月1日より早朝以外の運行を再開し小斜線を廃止している。1992年(平成4年)10月22日に斜里橋経由、2004年(平成16年)2月1日にポンモイ経由が廃止された。小清水線は1951年(昭和26年)4月1日運行開始。1981年(昭和56年)夏期までは「川湯線」直通便、1993年(平成5年)5月1日まではポンモイ経由も運行されたが、現在は1979年(昭和54年)4月20日に開設されたつくしケ丘経由で運行され、通学時間帯の便は南高前を経由。2015年(平成27年)12月14日より小清水発始発便に向陽団地中央経由の設定と小清水滞泊便の廃止が行われた。両路線とも1993年(平成5年)5月2日より北見線(廃止)、美幌線との直通系統が設定される。1967年(昭和42年)10月2日に「網走市内線」をつくしケ丘団地まで延長し運行を開始した。団地造成などにより運行経路の延長・変更が行われ、北海道網走向陽高等学校が向陽地区に移転した際には向陽団地発着系統を新設している。2003年(平成15年)4月1日に「病院循環線」(つくしケ丘団地 - 潮見団地 - 桂ケ丘 - 網走 - 網走駅前)を開設。日中は大型車が通行禁止となる道路を走行するため、専用に三菱ふそう・ローザが用意された。2006年(平成18年)12月3日に廃止され、経路変更の上「網走市内コミュニティーバス」に振り替えられたことから同時に小・中型車限定運用はなくなっている。2010年(平成22年)4月4日より路線名を「お買い物バス」に変更し、朝の網走駅前行を除き駒場8丁目発着に短縮すると同時に向陽団地系統を新設。2000年(平成12年)11月23日より試行運行された団地循環線(お買い物バス、つくしケ丘団地 - 駒場 - 潮見団地 - 駒場 - つくしケ丘団地)との関連はなく、試行運行時に行われたお買い物バス専用停留所の設置は行われていない。1974年(昭和49年)3月8日に「潮見団地線」(潮見団地 - 網走 - 職業訓練校(現・大曲)の運行を開始。1978年(昭和53年)10月31日より旭ケ丘団地経由便も運行された。1983年(昭和58年)10月31日には「向陽団地線」(東3丁目 - 網走 - 向陽団地)の運行を開始。1990年(平成2年)5月13日に両路線を統合し「潮見団地線」(潮見団地 - 東3丁目 - 網走 - 向陽団地)となった。1995年(平成7年)10月8日には「鱒浦・羽衣団地線」(羽衣公園 - 潮見団地 - 東3丁目 - 網走 - 北3条保健センター)の運行が開始されたが、潮見団地線との重複区間が多いことから統合され、現在の羽衣・向陽線として運行される。潮見中央発向陽道職住宅行の一部はオホーツク合同庁舎前より網走駅前を経由した後に向陽ケ丘へ向かう。東京農業大学オホーツクキャンパス開設に伴い1989年(平成元年)3月27日より運行開始。潮見団地線との経路重複を抑えるために潮見4丁目経由に変更されている。旭ケ丘団地経由は2006年(平成18年)4月1日に一度廃止されたが2010年(平成22年)4月4日に再開。同時に向陽団地系統が新設された。1957年(昭和32年)6月12日より運行される観光路線。1965年(昭和40年)10月14日より呼人・大観山経由も運行されたが1975年(昭和50年)の運行をもって廃止されている。1982年(昭和57年)度より冬期運行を開始。通年運行化を経て1997年(平成9年)より二ツ岩線・商港線との循環運行となった。2009年(平成21年)度には再度季節運行化されたが、2010年(平成22年)度からは閑散期の平日のみ運休する通年運行に戻されている。モヨロ貝塚の見学再開に伴い2013年(平成25年)4月29日より国道39号のモヨロ入口経由となったが、翌年度より非経由に戻された。1991年(平成3年)1月15日の網走流氷観光砕氷船就航に合わせて運行を開始。砕氷船運航期間のみ運行され、一部を除き天都山線と直通する。2009年(平成21年)の砕氷船乗り場移転に伴い、網走道の駅(道の駅流氷街道網走)発着に短縮された。一定の人口がありながらバス路線廃止により公共交通が空白となった地区においての需要把握を目的に、網走市が運行主体のコミュニティバス試験運行として2012年(平成24年)12月1日から運行を開始。2013年(平成25年)3月31日までの予定であったが同年9月30日まで延長し、同年10月1日より網走バス自主運行に切り替えられた。年間の平均乗客数が2人で従来車では無駄ではないかとの指摘があり、2015年(平成27年)12月より定員10人のワゴン車を導入。採算性向上のほか、従来車では走行不能となることもあった降雪により狭くなった住宅街道路走行などが期待されている。錦町地区(南10条、錦町会館など)は1964年(昭和39年)10月26日から1998年(平成10年)10月14日まで「車止内線」が、海岸町地区(福祉センター前、北12条など)は1956年(昭和31年)5月23日から2006年(平成18年)3月31日まで「二ツ岩線」が運行されていた。定期観光バスは1965年(昭和40年)12月24日に運行を開始した網走国定公園めぐり(国定公園定期観光線)が最初である。以降も網走国定公園めぐりを中心に運行されたが、1984年(昭和59年)の運行をもって「原生花園コース」などが廃止されるなど順次縮小された。1996年(平成8年)6月15日より「おーろらマリンコース(知床定期観光線)」、1998年(平成10年)6月1日より「パノラマライン(知床・摩周定期観光線)」を運行するなど知床国立公園方面への拡大も見られたが、現在はいずれも廃止されている。最後まで網走国定公園めぐりとして運行された「流氷バス」は、現在も冬期に運行される「砕氷船にノロッコ号」に振り替えられている。1988年(昭和63年)2月1日より、流氷観光期に「オホーツク流氷ロードバス」として、北紋バスと共同で「しんきろう号」(網走 - 紋別)、斜里バスと共同で「オーロラ号」(網走 - ウトロ)の周遊バス2路線の運行を開始した。現在は「ひがし北海道エクスプレスバス」として道東地区の冬期周遊バスが一括して取り扱われる。2006年(平成18年)夏期には阿寒バスが単独運行していた「阿寒号(阿寒湖行)・知床ウトロ号(ウトロ行)」(ウトロ - 網走 - 美幌 - 川湯 - 弟子屈 - 阿寒湖)の運行に参入し共同運行を開始したが、網走バスはこの年のみの運行で撤退している。貸切バス事業は北見・釧路・帯広・札幌の各運輸支局管内および苫小牧市での発着が認められており、道東地区事業者10社で組織する東北海道貸切バス事業協同組合 (BUS CENTER)に加盟する。2007年(平成19年)と2008年(平成20年)に北海道旅客鉄道が行ったデュアル・モード・ビークルの試験的営業運行では道路走行部分の運行委託を受け、貸切バスとしての名義は網走バスが登録していた。中古車も含めて全車三菱ふそうトラック・バス製で統一される。一般路線車は1987年(昭和62年)から2002年(平成14年)まで5年に1度のサイクルで湧網線に新車を導入しており、余剰車は他路線に転用していた。赤色と白色のいわゆる「名鉄カラー」だが、色面積や前面デザインが多少異なる。ラッピング広告車両もあり。女満別空港線には一般路線車やエアロスター自家用マスク車が使われていたが、名鉄バスより余剰となったリムジンバス仕様車の譲渡を受け、知床エアポートライナーとともに専用車とする。余剰となった自家用マスク車は1977年(昭和52年)より網走市から委託を受けて運行されるスクールバスを中心に使われる。都市間バスは全車にエアロクィーンが用いられる。独立3列シートで後部は4列となる。白色の車体に細い赤ライン・ロゴが入った専用塗装と貸切バス共通塗装があり、専用塗装には名鉄グループロゴが入れられていた。一般路線用・都市間用を合わせた路線バス車両は39台保有する。貸切車は23台保有する。独立3列シート車や10列シート車など多岐に渡る。1980年代初頭までは「名鉄カラー」で導入され、郊外線共通車両などが導入された。1980年代は白いボディに紫色と紅色のラインが入ったBUS CENTERカラーが大多数を占めていたが、1990年代より白いボディに赤の波線が入ったオリジナルカラーや、旅行会社専用車が運用される。オリジナルカラー車には名鉄グループロゴが入れられていたが、近年導入車や塗装変更車では省略されていた。名鉄グループ当時は網走バスを含めた3社で「網走名鉄グループ」と称されていた。
出典:wikipedia
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