ダニエル・クレメント・デネット3世(Daniel Clement Dennett, 1942年3月28日 - )は、アメリカ合衆国の哲学者、著述家、認知科学者である。心の哲学、科学哲学、生物学の哲学などが専門であり、その中でも特に進化生物学・認知科学と交差する領域を研究している。現在、タフツ大学の認知研究センターの共同ディレクター、オースティン・B・フレッチャー哲学教授、ユニバーシティ・プロフェッサーを務める。デネットは無神論者かつ世俗主義者であり、アメリカ世俗連合の評議員、ブライト運動の支持者でもある。デネットは「新無神論の4人の騎手」の一人に数えられる。他の3名は、リチャード・ドーキンス、サム・ハリス、そしてクリストファー・ヒッチンス。デネットは1942年3月28日にマサチューセッツ州ボストンで生まれた。母親はルース・マルジョリー(旧姓レック)、父親はダニエル・クレメント・デネット・ジュニア。デネットは幼少期の一時期をレバノンで過ごした。第二次世界大戦中、彼の父は戦略諜報局の防諜員として暗躍しており、ベイルートのアメリカ大使館にて大使館員を装っていた 。デネットが5歳のとき、父親が原因不明の飛行機事故で亡くなったため、母親は彼をマサチューセッツに連れて帰った。デネットが「哲学」という概念を知ったのは、11歳のとき参加したサマーキャンプがきっかけだった。キャンプの指導員はデネットにこう述べたという。「ダニエル、あなたは自分が何者か分かっている? あなたは哲学者なんだよ」。デネットはフィリップス・エクセター・アカデミーを1959年に卒業した。1年間ウェズリアン大学に在籍した後、ハーバード大学で哲学を学び、1963年に学士号を得た。ハーバードではW. V. クワインの指導を受けた。1965年、オックスフォード大学から哲学の博士号を授与された。指導教員はギルバート・ライルで、クライスト・チャーチに所属していた。デネットの妹は調査ジャーナリストのシャーロット・デネット。デネットは自分についてこう語っている。「私は独学者です。いや、もっと正確に言えば、自分の関心のある全ての分野について、世界トップレベルの科学者たちから何百時間もの非公式な個人指導を受けた人物、ですかね」。フルブライト・フェローシップ、2度のグッゲンハイム・フェローシップ、行動科学先端研究センターのフェローシップをそれぞれ授与されている。懐疑的探求委員会(CSI)のフェロー、国際ヒューマニズムアカデミーの選ぶヒューマニストでもある。また、アメリカ人道主義協会の選ぶ2004年の年間ヒューマニストに選ばれた。2010年2月、宗教からの自由基金から名誉功労者に選ばれた。2012年、デネットはエラスムス賞を受賞した。これは、毎年1名を対象として、ヨーロッパの文化、社会、もしくは社会科学に対して優れた貢献をなした人物に贈られる賞である。「科学・技術の文化的重要性を一般大衆に分かりやすく伝える能力」が受賞理由である。自由意志について、デネットは両立主義者だが、1978年の著書『Brainstorms』の第15章「On Giving Libertarians What They Say They Want」では、リバタリアン主義者の見解と対立する、意思決定の二段階モデルを支持する議論を行っている。私が提案する意思決定のモデルには、次のような特徴がある。すなわち、我々が重要な決定に迫られたとき、アウトプットがある程度非決定論的な熟考生成機から、一連の熟考群が生み出される。それらの一部は、無関係なものであるとして、意思決定主体により(意識的・無意識的に)ただちに却下される。却下されなかった熟考群は、意思決定に対して影響を及ぼしうるものとして主体によって選ばれたものであり、これらが推論プロセスに登場する。そして、もし主体が十分に合理的であれば、これらの熟考群は、主体の最終的な意思決定を予測し、説明する役割を果たす。デネットの他にも二段階モデルを提唱した哲学者として、ウィリアム・ジェームズ、アンリ・ポアンカレ、アーサー・ホリー・コンプトン、ヘンリー・マーゲナウなどがいるが、デネットがこのモデルを支持する理由は次のようなものである。これらの事前もしくは副次的な決定が、我々が責任ある自由な意思決定主体であるという感覚を構成していると考えられる。大まかに言えば次のような仕組みでそうなっている。私がある重要な意思決定を迫られ、一定量の熟考を経た後、私は自分に向けてこうつぶやく。「もう十分だ。私はこの問題を十分熟考したので、これから行動しよう」と。このとき、私はもっと熟考でき得ると完全に知っているし、また行動の結果、自分の決定が間違っていたと判明するかもしれないことも完全に知っている。だが、どちらの場合でも、私は責任を受け入れているのである。ロバート・ケインに代表されるリバタリアン主義者たちは、デネットのモデルを否定している。特に、ランダムな偶然が意思決定に直接的に関与してしまっていることにより、意思決定主体の動機と理由、性格と価値観、感情と欲求が除去されてしまうと彼らは考えているのである。彼らの主張によれば、もし偶然が意思決定の主要な原因であるならば、決定主体はそこから生み出される行動に対して責任を持ち得ないという。ケインは次のように述べる。[デネットが認めるように、]因果的に非決定論的な熟考モデルは、リバタリアン主義者が自由意志に求めるものの全てを与えてくれるわけではない。というのも、どのような偶然的なイメージやその他の思考が自分の心に介入し、熟考に影響を与えるかを[主体は]完全にコントロールできるわけではないからだ。それらは自分の好きなように登場してくるだけである。[主体は]偶然の熟考が生じた後にいくらかコントロールできるにすぎない。しかし、偶然はもはや全く関与しないのである。それ以降に起きること、主体がどう反応するかは、主体がすでに抱いている欲求や信念によって決定されているのである。なので、偶然の熟考の後においても、主体にはリバタリアン主義者の意味でのコントロール能力がないように思われる。リバタリアン主義者は、完全な責任性と自由意志に対して、これ以上のことを要求する。デネットはいくつかの場所(例えば『Brainchildren』の「Self-portrait」)にて、自らの哲学的プロジェクトがオックスフォードでの学生時代からほとんどそのまま続いていると述べている。彼の主要な関心は、経験科学に裏打ちされた心の哲学理論を提出することにある。もともと、博士論文の『Content and Consciousness』において、彼は心を説明するという課題を二分割して、内容の理論と意識の理論の両者が必要だとしていた。このプロジェクトに対するアプローチにおいても、この区分は維持されてきた。『Content and Consciousness』が二部構成であったのと同様に、『Brainstorms』も2つのセクションに分けられた。後に、内容についてのいくつかの論文は『The Intentional Stance』にまとめられ、意識についての見解は理論的に統一され『Consciousness Explained』に結実した。これらの著作おいて、デネットの主張は最も広範に展開されている。『Consciousness Explained』の第5章において、デネットは意識の多元的草稿モデルを提案している。彼の説明によると、「あらゆる種類の知覚――実のところ、あらゆる種類の思考や心的活動も――が脳内で実現するときには、感覚入力を解釈・推敲する複数のプロセスが平行して進められる。神経システムに入ってくる情報は、常に「編集」され続けている」(p. 111)。デネットはこうも述べている。「時間の経過に伴って、これらは一つの物語のようなまとまりを持ち、それは脳内の多くのプロセスによって継続的に編集され続けると考えられる」(p. 135、イタリックは原文)。内容を生み出すという意識の性質の一部を、進化によって説明することができる、というデネットの関心がこの時点ですでに伺える。そして、以後このテーマは彼の研究プログラムの中心に来ることになる。彼は神経ダーウィニズムとして知られる立場を擁護するのである。また、彼はクオリアを否定する議論もしている。つまり、この概念はあまりに混乱しているため、矛盾せずにこの言葉を使用したり理解することはできず、したがって物理主義に対する有効な反駁とはなりえないという。デネットの戦略は師であるライルから受け継いだものであり、一人称的現象を三人称的言葉遣いで再定義し、その定義が一貫して使用可能ではないことを示すというアプローチをとっているのである。デネットは次のように自己認識している。「私が『こういったテーマを議論する際に哲学者が標準的に用いる専門用語を使用しない』ことがしばしば問題となっている、と他の哲学者は述べている。彼らは、私が何を主張し、何を否定しているのか、理解するのが困難だというのである。だがもちろん、私が彼らと同じ土俵に上がらないのは意図的にそうしているのである。なぜなら、このテーマで用いられる標準的な言葉遣いは、役立たずであるどころか有害だと考えているからだ。それはあまりにも多くの間違いを含んでいるため、研究の進展を妨げているのである」。『Consciousness Explained』にて、「もちろん、私はある種の『目的論的機能主義者』である。おそらく、独特な意味での目的論的機能主義者である」と彼は認めている。また、「私は検証主義者であると告白する準備もある」とも述べている。デネットは1962年にスーザン・ベルと結婚した。マサチューセッツ州のノース・アンドーバーに家族で暮らしている。娘が一人、息子が一人、孫が四人いる。ヨットをこよなく愛する。デネットはダーウィニズムを生物進化以外の領域にも適用できる「万能酸」とし、神経ダーウィニズムなどの議論を展開している。デネットによれば、進化とは自然淘汰を通して作用する一連の単純な算術的計算すなわちアルゴリズムのプロセスである。したがって「スカイフック(天からの恩寵)」と呼ばれるような説明し得ない飛躍はそのプロセスには存在せず、進化の中途で起こりえたすべては「クレーン」、たとえばボールドウィン効果のような事例を通して説明が可能であるとされる。デネットによって標的とされている反ダーウィン主義の代表的なものには、進化には連続性が途切れる地点があるとするスティーヴン・ジェイ・グールドの唱えた断続平衡説が挙げられる。アルゴリズムが進化の原理として働くことを例証する際には、ライフゲームが持ち出される。ライフゲームとは数学者ジョン・コンウェーによって考案されたコンピュータプログラムのことで、非常に単純な規則によって生成する図形群が、繰り返しその規則にしたがって変化をすることで結果的に予測不可能なパターンを産み出すことを明らかにする、セル・オートマトンの一種である。同様にして、進化というプロセスも単純なアルゴリズムにしたがって多様な生物種を作り出すことができるのだ、と。デネットのこのような進化観には、彼の知的同盟者の一人であるリチャード・ドーキンスの影響を色濃く見てとることができる。人間の意識や言語能力といった高度な現象もまた、進化のアルゴリズムによって産み出されたことに不思議はないとデネットは言う。この点で、人間の言語器官が進化の結果生み出されたということを受け入れることにためらうノーム・チョムスキーのような論者が批判される。このような意識への見方は『解明される意識』から受け継がれているもので、人工知能がいずれは意識を持つことも不可能ではないというのがデネットの主張だ。デネットは盟友のダグラス・ホフスタッターと並んで人工知能の強力な擁護者であり、そのため、ジョン・サール(「強いAIと弱いAI」論)やロジャー・ペンローズといった、意識を持つ人工知能の制作可能性について懐疑的な論者らもまた、本書での批判の対象となっている。本書は90年代後半から2003年までに書かれたデネットの論文・講演を編纂し一冊にまとめたもので、心の科学と哲学に対する『解明される意識』以来のデネットの主張を見渡すことができるようになっている。宗教と社会、生物学、進化論の関係を解明しようとするこの著作を始めるにあたって、デネットは、この本ではキリスト教とその原理主義を中心としたアメリカの宗教環境が念頭におかれていると述べている(序文)。この問題について論じることは自分にとっては時期尚早だとデネット自身述べているが、現代のアメリカにおいてこのような考察をすることは緊急の課題であると感じたため筆をとったのだという。
出典:wikipedia
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