『ユタとふしぎな仲間たち』(ユタとふしぎななかまたち)は、作家三浦哲郎の小説。「座敷わらし」と「いじめ」を題材にしている。1974年にNHKによりテレビドラマ化、また1977年に劇団四季によってミュージカル『ユタと不思議な仲間たち』が作られている。1971年11月、新潮社より刊行(1984年文庫化)、1981年8月、毎日新聞社より再刊。東北ののどかな村に、東京からの転校生「勇太(ユタ)」がやって来る。しかし、新しい環境になじめず、「大作」を始めとする村の子供達からいじめられる毎日。そんなユタを見守っていた「寅吉爺さん」はある日、村に伝わる「座敷わらし」の話をする。ユタは意を決して言い伝え通りに、満月の夜に大黒柱のある古い家に一人で泊まることに。そこへ座敷わらしが姿を現す。座敷わらしと友達になり時間を共有することで、生きたくても生きられなかった座敷わらし達の思いに触れ、ユタは少しずつたくましくなっていく。座敷わらし達と体も鍛え、村の子供達に受け入れられていくユタ。しかし、仲間ができたユタにやがて別れの時がやって来る。NHK『少年ドラマシリーズ』の1つとして、1974年5月6日-8日に放送された。1話25分・全3話。フィルム作品。全編を1時間に再編集したものが昭和49年度芸術祭に出品され、テレビ部門ドラマの部優秀賞を受賞している。この再編集版は出品時と受賞時に再放送された。なお現存する映像はこの再編集版のみ。2001年11月18日にはNHKアーカイブスで再放送された。舞台は番組中に固有名詞は登場しないものの、岩手県北部の金田一温泉。この山村にも開発の波が押し寄せ、座敷わらしが去っていく。「東京と青森を結ぶ大きな道路を造ってる」のセリフがあり、八戸自動車道の工事が始まった時期でもある。風呂場でのユタと座敷わらしの別れの場面では入浴中のユタは全裸であるが、2001年の再放送時もそのまま放映されている。現代なら問題視される可能性もあるが大きな批判はなく、むしろ番組の後半で東北の自然の中で逞しく成長した姿を描写する効果を生んでいる。1977年に劇団四季により「こどものためのミュージカル・プレイ」としてミュージカル化。当初のタイトルは『ユタとふしぎな仲間たち』。1984年に『ユタ-座敷わらしと少年の不思議なミュージカル-』というオリジナルミュージカルとなる。その後、台本、音楽の再検討、振付け、装置、衣装などの一新、南部弁の再取材、更にレーザーやフライングなどを加えて改良され、1989年に『ユタと不思議な仲間たち』と改題、現在に至る。現在でも再演時に演出などの変更が行われている。2011年5月29日、東日本大震災で都内に避難している被災者35組85名を無料招待。また、7月下旬から8月下旬にかけて、岩手県、宮城県、福島県で地元の子供たちを無料招待して巡演を行った。(注意:キャスティングのみで実際に出演されていない俳優も含む)「友だちはいいもんだ」と「生きているってすばらしい」は当時劇団四季に所属していた俳優陣による歌唱で、2曲収録でシングル発売(東芝EMI TP-10367)された。A面曲の「友だちはいいもんだ」は鹿賀丈史、市村正親、久野綾希子、末次美沙緒によるユニット「フォー・シーズンズ」(同名のロックグループとは無関係)が歌唱しており、B面曲の「生きているってすばらしい」は菱谷紘二、飯野おさみ(コーラス:フォー・シーズンズ)が歌唱している。「友だちはいいもんだ」はトランザムの歌で、NHK『みんなのうた』でも使用された(初放送月:1977年12月)。その他、1979年に若子内悦郎、2008年にBaby Boo(アルバム『ありがとう』収録)、2010年に小原孝(アルバム『小原孝のピアノ詩集〜愛の讃歌』収録)、2011年にクレイジーケンバンド(シングル『いっぱい いっぱい』カップリング)によりカバーされた。子供向けのオムニバス盤などでは、ひばり児童合唱団、杉並児童合唱団、「宮内良、小板橋えりこ、ヤング・フレッシュ」などによる歌唱もある。エンディングに歌われる「夢をつづけて」は1989年に森進一によりカバーされた。
出典:wikipedia
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