『アイ・アイゲーム』は、フジテレビ系列局ほかで放送されていたフジテレビ製作のクイズ番組である。フジテレビ系列局では1979年10月14日から1985年9月29日まで、毎週日曜 22時00分 - 22時30分(日本標準時)に放送。アメリカ・CBSの『』(フリーマントルメディア制作)を基に企画された番組で、山城新伍が司会(毎回、オープニングでは「この番組のスター」として紹介されていた)を務めていた。解答者(いわゆるパネリスト)には名高達郎、クロード・チアリ、芹沢博文、中尾ミエ、デヴィ・スカルノ、せんだみつお、高見知佳、島田紳助、成田三樹夫、山下規介などがいた。また、当初はアシスタントとして出演していた川島なお美も、後期には解答メンバーに加わっていた。ほか、小倉智昭がオープニングの解答者紹介と司会者紹介のナレーションを担当していた。芸能人解答者たちが生み出す奇妙な答えや山城たちとのやり取りから、クイズというよりも大喜利的な要素が強かった。また番組オープニングでの解答者紹介のナレーションでは出演者名のあとに先週までの正解率を「○割○分○厘」という具合に紹介し解答者席のネームプレートの下にある数字の回転ボードが回転して表示されるセットであった。前番組『ラブラブショー』から引き続き武田薬品工業グループ各社がスポンサーを務めていたが、本番組は武田薬品グループの単独提供ではなく、グループ外の企業との複数社提供で放送されていた。武田グループとしては筆頭扱いであるが、各社30秒扱いだったため、クレジット読みはされなかった。番組開始時には司会の山城自身が「3か月で終わる」と発言していたが、結果的に番組は6年間続いた。毎回3人の一般参加者と6人の芸能人解答者が登場し、山城が出題する一部が伏字にされた文章を思い思いに穴埋めしていった。チャンピオンゲーム以外の問題では基本的に、素直に考えれば下ネタと推測できる文章ばかりが選ばれており、いかにそれを避けて答えるかが考えどころだった。放送禁止用語スレスレの発言も少なくなかった。山城はこの伏字を「チョメチョメ」と読んで表現していた。チョメチョメとは「×」「駄目」「いけない」を意味する俗語で、この番組が生んだ流行語として知られるが、実際には『週刊少年サンデー』に掲載されていた『まことちゃん』が本番組開始以前から「チョメチョメ」「ちょめちょめ」を多用しており、そちらが起源である。1977年掲載分の「ちょめちょめ」描写は現在の文庫本版でも確認できる。ちなみにテロップでは「××」と表記されていた。一般参加者は女性2人と男性1人だったが、この番組はほぼ100%男性に勝たせないというのが不文律になっており、山城は女性2人に対しては「近い答え」をどんどん拡大解釈していき、まったく関係ない答えにも点数を与えていたが、女性2人に対する恣意的な得点は同じになるように配慮していた。ただ、年に1回ぐらいは男性がズバリ一致を連発して勝ってしまうこともあった。前半戦の一問一答(3人がそれぞれ、別の問題に 1問答える)では、一般参加者は芸能人がどのような解答をするのかを推理し、芸能人と答えが一致すれば1人につき2点。また、山城の裁量で「近い答え」と判断された答えには、1名につき1点がプラスされる場合もあった。最終問題の「ダブルチャンス」は3人の一般参加者と芸能人が一斉に問題に対する答えを書き、双方一致で4点を獲得できた。また、山城の裁量による追加得点(2点)もあった。芸能人解答者席には一致率が表示されていたが、これは番組終了前の時期には撤去されていた。最終的にポイントを多く獲得した一般参加者と芸能人は、LOOK JTBで行くシンガポール旅行を懸けたチャレンジクイズ「チャンピオンゲーム」に挑戦できた。チャンピオンゲームでも一般参加者が答えを予想し、さらに芸能人の中から2名を選んでどちらかの答えが一致すれば、天井に吊るされていたくす玉が割られて大量の紙吹雪と風船が降り、シンガポール旅行を獲得できた(後期では2人とも正解ならペア分、紙吹雪は1人目正解の段階で降った)。なお、不正解だった場合にはくす玉が割られず、代わりに箱根1泊旅行がプレゼントされた。賞金は1点につき5000円で、参加者全員にプレゼントされた。(番組開始時メンバー)
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。