ホルベルト・アレクシス・カブレラ(Jolbert Alexis Cabrera, 1972年12月8日 - )は、コロンビアのボリーバル県カルタヘナ出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。登録上のポジションは内野手だが、外野も守ることができる。オーランド・カブレラは弟。7月3日に、モントリオール・エクスポズと契約を結びプロ入りを果たした。は、A級サムター・フラヤーズで101試合に出場し、1本塁打20打点10盗塁、打率.204だった。は、A級オールバニ・ポールキャッツで118試合に出場し、23打点22盗塁、打率.228だった。は、A級バーリントン・ビーズで128試合に出場し、38打点31盗塁、打率.254だった。は、A+級ウエストパームビーチ・エクスポズとAA級ハリスバーグ・セネターズでプレーした。A+級ウエストパームビーチでは83試合に出場し、13打点7盗塁、打率.203だった。も、A+級ウエストパームビーチとAA級ハリスバーグでプレーした。A+級ウエストパームビーチでは103試合に出場し、1本塁打25打点19盗塁、打率.286だった。は、AA級ハリスバーグで107試合に出場し、3本塁打29打点10盗塁、打率.285だった。は、AA級ハリスバーグとAAA級オタワ・リンクスでプレー。AAA級オタワでは68試合に出場し、12打点15盗塁、打率.283だった。10月17日にFAとなった。1月19日に、クリーブランド・インディアンスと契約を結んだ。4月12日のアナハイム・エンゼルス戦でメジャーデビューを果たした。5回裏から遊撃の守備に就き、2打数無安打1三振に終わった。この年は1試合の出場にとどまった。は、30試合に出場し、打率.189だった。は、100試合に出場し、2本塁打15打点6盗塁、打率.251だった。は、141試合に出場し、1本塁打38打点10盗塁、打率.261だった。3月1日に、インディアンスと1年契約に合意したが、3月25日に15日間の故障者リスト入りした。5月2日に故障者リストから外れたが、6月4日にAAA級バッファロー・バイソンズへ降格。6月16日に再昇格したが、7月11日に再びAAA級バッファローへ降格した。インディアンスでは38試合に出場し、打率.111だった。2002年7月22日に、ランス・カラッチョリとのトレードでロサンゼルス・ドジャースへ移籍。AAA級ラスベガス・フィフティワンズでプレーしていたが、8月24日にメジャーへ昇格。10試合に出場し、打率.333だった。オフの12月14日にドジャースと1年契約に合意した。は、128試合に出場し、6本塁打37打点6盗塁、打率.282だった。1月31日に、ドジャースと1年契約に合意した。2004年4月3日に、ライアン・ケッチナーとのトレードでシアトル・マリナーズへ移籍した。レギュラーとして113試合に出場した。打率2割7分、6本塁打と打撃面での派手さはないが、本職の二塁だけでなく外野もこなせるユーティリティープレーヤーで、この年も投手と捕手を除くすべてのポジションを守り、守備面でもわずか6失策に留めた。1月4日に、前年度オフに井口資仁が退団し、二塁を守れる選手の獲得が急務となっていた福岡ソフトバンクホークスと契約を結んだ。送球にやや難があり、打撃に専念させる目的でシーズン途中からは外野手での出場が専らだったが、シーズンを通してコンスタントに成績を残し、打率.297と健闘した。本塁打数こそ8本塁打に留まったものの、米大リーグでのポストシーズン出場の経験を活かし、プレーオフでは2本塁打を放つ活躍をした。オフには、若手育成を理由に同期入団のトニー・バティスタ、ペドロ・フェリシアーノが僅か1年で解雇される中で残留した。は、開幕からスタメン出場を果たした。左翼守備は無難で肩も悪くなかったものの、シーズン中に病気で1度戦列を離れたのに加えて、明らかに長打を狙った打撃で調子を崩した。オフの10月14日に、球団側が来期の契約は結ばないことを発表された。11月15日に解雇通告を受けた。1月11日に、セントルイス・カージナルスとマイナー契約を結んだ。AAA級メンフィス・レッドバーズとA+級パームビーチ・カージナルスでプレー。AAA級メンフィスでは45試合に出場し、2本塁打8打点、打率.231だった。8月14日に放出された。2007年8月16日に、コロラド・ロッキーズとマイナー契約を結んだ。AAA級コロラドスプリングス・スカイソックスで19試合に出場し、2本塁打13打点、打率.329だった。オフの10月29日にFAとなった。2007年12月18日に、シンシナティ・レッズとマイナー契約を結んだ。6月10日に、レッズとメジャー契約を結んだ。6月21日に15日間の故障者リスト入りし、7月17日に復帰した。この年は48試合に出場し、3本塁打12打点2盗塁、打率.252だった。オフの10月7日にFAとなった。1月12日に、ボルチモア・オリオールズとマイナー契約を結んだ。AAA級ノーフォーク・タイズで78試合に出場し、7本塁打50打点9盗塁、打率.262だった。11月9日にFAとなった。1月15日に、ニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだが、3月28日に放出された。その後、メキシカンリーグのオアハカ・ウォーリアーズに入団した。83試合に出場し、10本塁打63打点9盗塁、打率.364だった。はメキシカンリーグのカンペチェ・パイレーツで99試合に出場し、19本塁打74打点2盗塁、打率.300だった。は、プエブラ・パロッツで10試合に出場し、1本塁打3打点、打率.147だった。オフには39歳ながら第3回WBC予選のコロンビア代表に選出された。3月20日にピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結んだが、5月2日に放出された。内外野をこなすことができる選手。MLBでは投手、捕手以外すべてのポジションを経験している。ソフトバンク在籍1年目の2005年には前半戦は内野手、後半戦は外野手として出場した。打撃では広角に打ち分けることができる。明るい性格でチームの人気者だった。
出典:wikipedia
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