四ツ木橋(よつぎばし)は荒川に架かる道路橋の一つ。平行して流れる綾瀬川に架かる四ツ木小橋(よつぎこばし)を含めて呼ばれることもある。荒川放水路(現荒川)開削前は、綾瀬川と曳舟川通りが交差する所に木ノ下橋が架かっていた(現在は新四ツ木橋が架かっている)。
大正11年(1922年)6月30日、荒川放水路開削に伴い木製の四ツ木橋(旧橋)が架橋された。位置は現在の国道6号ではなく、約500m下流の東京都道465号深川吾嬬町線の延長上にあった。1923年(大正12年)9月、関東大震災の混乱に乗じ、この四ツ木橋の墨田区側のたもとで、朝鮮人・中国人虐殺が行われたといわれるが、その規模は不詳である。
この木製の橋とは別に現在の国道6号上に近代的な橋をかける計画は早くからあった。1935年(昭和10年)頃、千住大橋、六郷橋(旧橋)などの橋梁設計に携わった増田淳によって新橋に関する計算書が作成されている。実際の工事は、1939年(昭和14年)2月から行われ、戦況悪化により1943年(昭和18年)10月頃に中断された。戦後、工事が再開され、1952年(昭和27年)7月30日に永久橋が開通した。これが現在の四ツ木橋である。東向島広小路止まりだった都電も、この橋を渡って路線延長される計画が存在した。開通時は旧橋も存在していたため、新四ツ木橋と呼んでいた。
1969年(昭和44年)、木製の旧四ツ木橋が解体され、代わりに100 m下流に木根川橋が下路式平行弦ワーレントラス橋で架橋された。
さらに新四ツ木橋周辺の慢性的な交通渋滞対策として1973年(昭和48年)4月5日、新たな橋が曳舟川通り沿いに架橋された。
この時、既に木製の四ツ木橋は撤去された後であったこともあり、橋は「新四ツ木橋」と呼ばれ、一方昭和27年製の新四ツ木橋の名称が「四ツ木橋」になった。なお新四ツ木橋は建設中は新々四ツ木橋と呼ばれていた。
1983年(昭和58年)、首都高速中央環状線四つ木出入口部分開通。1987年(昭和62年)、四つ木出入口全面開通。
出典:wikipedia
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