ラングレー (USS Langley, CVL-27) は、アメリカ海軍の航空母艦。インディペンデンス級航空母艦の6番艦として建造された。艦名はサミュエル・ラングレーに因み、アメリカ海軍最初の航空母艦で1942年2月27日撃沈されたラングレー ("USS Langley, CV-1/AV-3") の名を受け継いだ。ラングレーはニュージャージー州カムデンのニューヨーク造船所で建造された。当初は軽巡洋艦「ファーゴ」("USS Fargo, CL-85") として発注されたが、1942年4月の起工時までに船体と機関を流用した航空母艦へと変更された。1943年8月に就役し、同年末に太平洋戦線に配備される。ラングレーは初陣として、1944年1月から2月にかけてのマーシャル諸島攻略に参加。続く四ヶ月にわたってラングレーは第58任務部隊(マーク・ミッチャー少将)の一翼を担う。ラングレーの艦載機は太平洋中部とニューギニア西部の日本軍基地への攻撃を行う。1944年6月19日と20日のマリアナ沖海戦には、第58.4任務群(W・K・ハリル少将)の一艦として参加している。ラングレーは8月から9月のパラオ攻略支援とフィリピン攻撃、10月からの台湾、沖縄攻撃に参加。10月23日から25日にかけてのレイテ沖海戦には第38.3任務群(フレデリック・C・シャーマン少将)に属して参加した。11月から12月にかけても、引き続きフィリピン攻撃の支援を行った。12月18日に遭遇したコブラ台風により、ラングレーの船体は左右に35度傾くなどしたものの、幸い被害はなかった。1945年1月から2月にかけては、第3艦隊(ウィリアム・ハルゼー大将)および第5艦隊(レイモンド・スプルーアンス大将)の一部として1月に南シナ海、2月以降は日本本土および硫黄島への攻撃を行う。4月には坊ノ岬沖海戦(マーク・ミッチャー中将)に参加。戦艦大和率いる艦隊に対しての攻撃に加わる。6月から7月にかけて本国でオーバーホールを行い、8月の終戦時には太平洋上にあった。戦後は復員兵帰還のマジック・カーペット作戦に従事し、太平洋から帰還後1945年11月から1946年1月まで大西洋で同様の任務を行う。その後フィラデルフィアで不活性化が行われ、1947年2月に予備役となる。1951年初めにモスボール化が解かれ、相互防衛援助計画の下のフランスに移管される。フランス海軍ではラ・ファイエット ("La Fayette, R96") として就役し、クレマンソー ("Clemenceau, R 98") 就役後の1963年にアメリカに返還され、翌年スクラップとして売却された。
出典:wikipedia
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