『放送室』(ほうそうしつ)は、2001年10月4日から2009年3月28日までTOKYO FMをキーステーションに、AIR-G'を除くJFN37局ネットで放送されたラジオ番組。『松本人志の放送室』とも呼ばれる。放送開始当初はJFNCが制作していたが、2005年7月にTOKYO FMに移行された。ダウンタウンの松本人志と、その幼馴染で放送作家の高須光聖の2人による1時間のトーク番組。「肩の力を抜いて話すことができる場所が欲しかった」という松本が、小学生からの同級生である高須と1時間に渡り様々な内容のトークを繰り広げる内容である。番組名は、2人が中学生時代「放送部」に所属していたことから高須が「放送室でええやん」と言ったことに因むもの。松本の話し相手がタレントではない高須であるのは、松本曰く「話し相手が芸人、タレント、アナウンサー、DJといった人ではない番組を一つやっておきたかった」、「高須とは元々友人同士だがお互い忙しくなり話す機会も減ってしまった。それならばいっそのこと仕事にしてしまえばいい」という理由からである。番組開始当初のコンセプトとしては「誰にも(聴いていることを)言うな」と少しマイナーな番組を目指していたようだが、その意に反して業界内聴取率は高かったという。2人の会話の内容はお互いが近況報告や、高須も制作に関わるダウンタウンの番組の裏話、2人の少年時代の話など話題となることは多岐に渡る。その際には、裏方である番組スタッフや一般人である2人の同級生の名前など、一般には知られていない名前が挙がることも多い。番組の途中で通常1曲だけ音楽がかかるが、これは松本と高須が毎回交互に選曲しており、1970年代 - 1980年代の歌謡曲が多い。1時間で(オープニングとエンディングを除き)1曲しか音楽が流れないというのは、FMラジオとしては非常に珍しく、また前述の番組内容と相まってこの番組はラジオ番組の中でも独特の雰囲気を醸し出している。ただ、ディレクターの計らいで数曲流れることもごく稀にある。また、基本的には2本録りであるが、間の休憩はほとんどないらしく、松本が疲労を口にすることもある。3本録りの場合、「横蹴り3本シュート」等と称し、疲れている様を隠そうとしない。しかし、乗ってくれば肉体的な疲れは感じさせない盛り上がりを見せる。基本的にキーステーションであるTOKYO FMは、番組スタートの深夜2時から番組終了までCMは一切入らないが、時期によっては番組冒頭と番組終了した後にCMが入るようになっている。2009年3月7日放送分にて、3週間後の28日放送分をもって終了することを発表。松本はその理由として、本番組以前から長年にわたり近況やプライベートを明かしていたことを挙げ、個人情報をさらけ出す環境から一旦距離を開けてみたかったことを述べており、この他、松本は倖田來未のラジオスキャンダルに便乗した、硫化水素自殺に関しての松本の発言の歪曲した報道に強い憤りを感じたと語り、「あれはこの番組を続ける気がなくなったかなり大きな理由の一つだ」という旨を述べている。また、「結婚」を決めたことも辞めた理由として後に語っている。8年半の放送に幕を降ろした。番組内で松本がカプリチョーザについての話をしたことで、後日カプリチョーザから食事券がプレゼントされた。松本はこれを優勝商品とし、「カプリチョーザ杯」として電話による後輩芸人のダジャレ大会を企画。以後、この大会は不定期に開催され、毎回カプリチョーザから賞品の食事券が提供されている。参加者は事前に与えられたテーマに関する言葉を松本・高須との電話の会話の中で織り込み、織り込んだ言葉の数と面白さを競う。なお、2005年4月から6月までカプリチョーザが正式な番組スポンサーとなった。※出演者の後の()は与えられたテーマ番組を収録したCDBOXが発売された。全巻購入者は「放送室 in 武道館」DVDの全員プレゼントに応募が可能だった。全て10枚組BOX、よしもとアール・アンド・シーより発売。
出典:wikipedia
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