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金田治

金田 治(かねだ おさむ、1949年8月31日 - )は、日本の演出家。ジャパンアクションエンタープライズ代表取締役社長。専門学校東京デザイナー学院卒業。1970年(昭和45年)、銀座の飲食店でバーテンダーとして務めながら仕事に疑問を感じていた折に、千葉真一がアクションチーム「JAC」(ジャパン・アクション・クラブ)を結成したことを知り、山岡淳二や酒井努らと共に研究生として入門すると、大葉健二らと共に千葉の主演映画に出演。なお、同門の春田純一は先輩に当たる。1971年(昭和46年)、『仮面ライダー』でトランポリンアクションを担当。当時は駆け出しであり、撮影現場へ呼ばれて仮面ライダーのマスクを手渡されたが、まっすぐ跳べずに怒られたという。1973年(昭和48年)、JAC初の単独アクション担当作品である特撮テレビ番組『ロボット刑事』(東映、フジテレビ)で、主人公ロボット「K」のスーツアクターにまだ右も左もわからないうちに抜擢される。1975年(昭和50年)、『正義のシンボル コンドールマン』(東映、NET)で技斗を担当。この頃もアクションのことをまだそこまで理解していなくて見よう見まねでやりながら徐々におぼえていったという。以後、指導方面での頭角を現し、数多くの特撮番組、映画、舞台(宝塚歌劇の方によく行ってたという)などで技斗やアクション監督を担当。1993年(平成5年)、東映の「メタルヒーローシリーズ」、『特捜ロボ ジャンパーソン』(東映、テレビ朝日)を皮切りに、アクションパートだけではなく本編の監督も担当。1996年(平成8年)、日光江戸村の経営母体(当時)の「大新東グループ」傘下から離脱する形で設立された、新生「JAC」の社長に就任。その後、「平成仮面ライダーシリーズ」に本編監督としてたびたび参加。2008年4月公開の『劇場版 仮面ライダー電王&キバ クライマックス刑事』以降何かとライダーシリーズの映画作品を手がけることが多く、現在までに6本演出している。2011年10月から『戦国★男士』にて初のメイン監督を務め、2012年には『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』の演出を担任したのをきっかけに本編監督として『特命戦隊ゴーバスターズ』を担当し、長らく実現しなかった「スーパー戦隊シリーズ」へ監督として初参加を果たした。事務所に入って仕事を貰うまでテレビや映画は嫌いでほとんど見てこなかったとショッカーO野の秘密基地へようこそで明かしている。千葉真一直伝による、「演技者の肉体をフルに駆使したアクション」を旨としている。体技としてのアクションのみならず、崖や吊り橋、障害物の多い屋内など、危険度の高いシチュエーションでの見せ方にもこだわりを持っている。金田組では、アクションの現場は他の組以上にスリルを喚起させる場所を選ぶことが多く、俳優やスーツアクターはいつも以上に力が入るという。撮影現場では、自ら「ガガガガーンと来た、するとあっちからババン、バババババーンと来る。カメラはスーーーーウウウウウィッだ」などと「打撃や爆発などの効果音」をふんだんに叫びながら指導するスタイルをとっている。細かく説明するとダラダラして現場が締まらないからわざとこういう指導をしているのだという。近年は、アクション監督としての活動は途絶えており、髙寺成紀との対談において「アクション監督はもうやらないね。今は、アクション監督やるんだったら、監督やるって言うスタンスでいる。アクション関係なく、お芝居撮ってみたいもの。キャラクターものでなくても。」と語っている。JAEに所属していた元俳優の金田進一は実子。映画『劇場版 さらば仮面ライダー電王 ファイナル・カウントダウン』では、治が本編監督、進一がスーツアクターという立場で父子ともに参加している。宝塚歌劇団大泉シネファンタジースペースワールドサンリオピューロランドその他

出典:wikipedia

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