函館バス(はこだてバス)は、北海道函館市高盛町10-1に本社を置き、バス事業や不動産事業を行う企業である。渡島・檜山管内各地には15のバス事業者があり各々バスを運行していたが、太平洋戦争勃発により各種統制が敷かれガソリンなど物資不足が発生した。乱立気味であったバス事業者を統合するために北海道における旅客自動車運輸事業統合要綱が発表された。北海道内を7地域に分けた統合が進められ、函館地区14事業者の統合先として函館乗合自動車株式会社が設立されることになった。1943年(昭和18年)10月1日に仮営業を開始。翌1944年(昭和19年)4月12日に各社からの事業譲渡が許可され、同年6月1日付で設立登記し営業を開始した。なお、道南電気軌道は函館市へ事業譲渡交渉中であり、その譲渡交渉先である函館市は統合決定時にバス事業を行っていなかったため、除外されている。所有車両54台の中にはガソリン配給を得るためのダミー車両も相当数含まれており、従業員は14社からの寄せ集めであった。1945年(昭和20年)には従業員数88名に減少、翌1946年(昭和21年)には車両43台に減少した。物価高騰の影響もあり毎年のように運賃値上げと増資を繰り返していた。路線は着々と延伸を図り各地域に進出した。1948年(昭和23年)には奥尻島に進出したものの1952年(昭和27年)10月4日に廃止されている。1951年(昭和26年)7月3日に商号を函館バス株式会社に変更した。1954年(昭和29年)8月31日に函館バス労働組合(現:私鉄総連函館バス支部)が発足したが、これに対する会社側の対応を不服とし即日ストライキ(スト)に突入。妥結まで9月21日までの21日間を要した。1955年(昭和30年)には賃金引き上げを要求し7月6日にスト突入した。この時は8月26日の妥結までの51日間全路線運行停止となり、頻繁・長期化するストに業を煮やした沿線住民は函館バスに対して非難の声を上げ、国鉄バスに対して函館市乗り入れを陳情。函館市交通局(現・函館市企業局交通部)が大野・上磯方面と下海岸線の一部に、ハイヤー会社であった相互自動車が下海岸線に参入し、沿線自治体では貸切バスで輸送を行うなどの事態となった。上向きであった経営状況もストによる収入低下などが影響し危機を迎えることになり、同年行われた運輸省の監査では「稀に見る悪い会社」との酷評を受け改善を命じられた。1957年(昭和32年)10月23日より東京急行電鉄の傘下に入り東急グループの一員としてスタートした。函館市や市民はこれを快く迎えたが、給料未払いや税金滞納など課題山積みの中での再スタートであった。この状況を打破するため旧路線の改廃や新規路線の運行などを行い、税金等の支払いをきちんと行うなどしたところ業績・信頼とも上向きとなった。1959年(昭和34年)には長期スト中に下海岸線に参入した相互自動車のバス事業を買収するなど利用者へのサービス改善を図った結果、1960年(昭和35年)の運輸省監査では「優良会社に成長した」との評を受けるまでに回復した。1956年(昭和31年)には檜山海岸線に国鉄バスと江差町営バスが参入の意向を示し、公聴会が行われるなど調整が続けられていたが1961年(昭和36年)10月27日に却下されている。路線拡大に伴い、1963年(昭和38年)6月21日に森、9月7日に函館バスセンター、11月29日に八雲、1964年(昭和39年)1月23日に知内に営業拠点を新築落成している。1962年(昭和37年)10月17日、定刻運行していた檜山海岸線の熊石発江差行は、熊石町から乙部町に入って間もなくの豊浜四号隧道を通過後、豊浜三号隧道付近に差し掛かったところで落石を発見。通行不能と判断した乗務員は電話連絡を行うため最寄停留所まで戻ろうと後退を始めたところ間もなく山津波(土石流)が発生。車両諸共海中に転落した。乗務員2名は生還したものの乗客は少なくとも6名が犠牲となり、転落した車両は引き上げられていない。この区間は1973年(昭和48年)に山側を迂回する形で豊浜トンネル(檜山)が整備されており、事故現場は廃道となった。1965年(昭和40年)以降も路線拡大が図られ、1966年(昭和41年)9月に函館 - 長万部間直通系統を開設。1967年(昭和42年)2月に長万部と恵山に営業所を開設した。一方で過疎化やモータリゼーション化の進行、鉱山の閉山による乗客減少から過疎路線の廃止も同時に行われた。特に八雲営業所管内では1969年(昭和44年)から翌年に掛けて町内の路線の大半が休止となり、八雲営業所は同年10月22日に6年の営業期間で廃止されている。これらの休止路線は1975年(昭和50年)2月18日付で廃止され、一部路線は八雲町が引き継いでいる。組織変更も進められ、昭和50年台中期までに大半の営業所が出張所化されている。ワンマン運転は1969年(昭和44年)5月1日の七重浜線を皮切りに函館市内・近郊路線より順次行われた。地方路線には狭隘区間が残っていることもあり、定期全路線のワンマン化は1989年(平成元年)11月4日までの20年以上かかっている。1979年(昭和54年)5月10日には本社を現在地に移転。路線は1982年(昭和57年)に横津岳国際スキー場線、1985年(昭和60年)に函館 - 大成間の直通系統(大成号)、1987年(昭和62年)に函館 - 瀬棚間の直通系統(瀬棚号)や洞爺湖温泉線などを開設。一方で1971年(昭和46年)に開設された恵山高原ホテル線は1978年(昭和53年)年までの僅か7年で廃止されるなど整理が進められた。特定地方交通線廃止によるバス代行路線として、1987年(昭和62年)3月16日の国鉄瀬棚線、1988年(昭和63年)2月1日のJR北海道松前線廃止による代行輸送を開始している。1998年(平成10年)1月28日に「函館市公共交通検討協議会」が設置され、函館市交通局のバス(市営バス)事業の民間一元化を含めた検討が行われた。1999年(平成11年)に行われた函館市長選挙において、市営バス事業の民間一元化を公約に掲げた井上博司が当選。市長就任後からさらに協議が重ねられ、2000年(平成12年)4月7日に市営バス事業の移管申し入れがあった。函館バスでは同年5月31日に函館市の資本参加を条件に受け入れる旨を回答し、一元化に向けての準備が進められることになった。同年6月20日に2段階に分けて移管する基本条件案を提示。同年10月11日に函館市および函館市労働組合では1年間の延長とそれまでの一部路線存続で合意。これを基に同年11月20日に函館市長と函館バス社長が基本協定に調印を行った。市営バスでは市営であるが故の高コストがあり、市営バスで赤字とされる路線でも函館バスであれば赤字を出さずに運行できる路線も多かった。また、採算性の乏しい郊外路線を維持するには、函館市内路線の強化は重要であった。函館バスは移管後1年間は市営バスの系統や運行本数の維持、函館市は営業所敷地・建物の10年間無償貸付などの条件の下、2001年(平成13年)4月1日、第一段階として6系統(日吉営業所 - 函館駅前)を除く市営バス日吉営業所の移管を受けた(車両44台、26系統)。合わせて函館山登山バスや臨時運行路線についても同日に移管を受けている。2002年(平成14年)4月1日には第二段階として市営バス昭和営業所の移管を受け、函館バス昭和出張所を旧市営バス昭和営業所に移転。2003年(平成15年)4月1日には最終段階として市営バス6系統の移管を受け、市営バス事業に幕を閉じ新たに函館バスでの運営が始まった。移管完了後、従業員数はあまり増えていない。乗務員は市営バス臨時職員の移籍や新規採用で補充したが、交番の工夫などにより最低限の増員に留め、車両も市営バスから継承した車両のほかでは予備車両の削減などでコスト削減を図っている。バスカードシステムは市営交通に合わせて導入したが、バス事業を受け入れたとは言っても異なる企業体であることには変わりなく、函館市交通局発行のイカすカードや一日乗車券などで函館バスに乗車した際、または函館バス発行のバス・市電共通乗車カードなどで函館市電に乗車した際や、移管に合わせて導入された乗継割引の按分など精算の面では課題が残っている。また、市営バス事業移管完了と同日に長万部と恵山の出張所が廃止され、乗客向けの営業を行わない車庫化されている。特に地方路線では、バス路線を維持するためにマイカー通学の自粛を呼び掛けており、学校側からの協力も得られているが、実際には節約のためマイカー通学をするケースが多く、少子化の中での通学需要の減少は地方路線維持ができなくなる要因のひとつとなっている。これに対し自治体はスクールバス運行の委託や定期乗車券代金の補助などを行っている。特にスクールバス運行の受託は契約料金は低めでも地方一般路線の維持よりはメリットがあることから、前向きに営業を行っている。また、高齢化の進行に伴う通院需要では、患者を取り込むために各病院が運行する自家用バスが新たなライバルと化しており、新しい営業戦略が必要となっている。本社・函館営業所 営業所記号T函館駅前バスターミナル案内所昭和営業所 営業所記号S日吉営業所 営業所記号H鹿部出張所 営業所記号SK森案内所北桧山出張所 営業所記号K知内出張所 営業所記号SR松前出張所 営業所記号M江差営業所 営業所記号E路線バス事業は奥尻町(奥尻島)を除く渡島・檜山管内全域の2市14町に乗り入れる函館バスにおける「五稜郭」停留所は五稜郭公園前停留場前(函館市営バスでの名称は「五稜郭電停前」)となる。1系統1準系統学校休日日は運休3系統31系統5系統6系統96系統空港循環線(とびっこ)8急系統9系統9-1系統14系統16系統4系統5-1・52系統27系統106系統94系統24系統35系統59・59-1系統10-6系統89・98系統112系統90系統79・97系統105・55系統53系統41系統50系統60・60-1系統6-2系統92系統34系統2系統11系統21系統25系統81系統101系統151系統122系統123系統(港先回り)・132系統(五稜郭駅前先回り)33系統103系統130系統9-3系統一部は自治体が運行主体となり運行業務を函館バスが受託するコミュニティバス。元町・ベイエリア周遊号日乃出・五稜郭循環バス市立病院・五稜郭循環バスリング[2014年](平成26年)よりリング美原とリング神山を一緒にして現在の経路となった。お元気バス谷地頭号北斗市南北市街地連絡バス系統番号は表示されないが、途中折り返し便の一部には付けられている。下海岸線鉄山線鹿部海岸線函館・鹿部線函館・長万部線函館・瀬棚線(瀬棚号)鹿部駅線濁川温泉線砂原線瀬棚線(国鉄瀬棚線代行バス)太櫓線久遠線函館・松前線(松前号)、木古内・松前線(JR松前線代替バス)函館・知内線函館・江差線松前町地域生活バス「大漁くんバス」小砂子線江差・八雲線檜山海岸線江差・稲見線江差・館線、富里線江差木古内線(JR江差線代替バス)五稜郭タワー・トラピスチヌシャトルバス函館山登山バスロープウェイシャトルバス松前さくら号函館市内路線50-2系統奥尻線上の湯線美谷線函館・洞爺湖線函館・大成線(大成号)湯の川・空港線(めぐりっこ)鰔川・旭岱線姫川線中乗り、前降りで整理券方式による料金体系になっている。支払方法は、運賃箱に整理券を投入し運賃が表示された後に料金を投入する(複数人同時支払いの場合は、先に人数分の整理券を投入する)。専用のバス・市電共通の磁気カードも使えるが、首都圏で主流となっている交通系ICカードは使えない。同じ乗降地でも経由が違うと料金も異なるので注意が必要である。なお、函館バスウェブサイトでは料金についての案内は無いが、2014年4月12日より駅すぱあとで検索ができるようになった。函館市内の指定停留所で函館バス同士または函館市電を乗り継ぎ、指定停留所降車から目的地降車までが2時間以内の場合に乗継割引が適用される。函館バスと函館市電が並行する区間への乗り継ぎは函館市電にのみ適用される。函館市外においても主要・分岐停留所にて接続をとる路線があり、一部では直通運賃が適用される。貸切バス事業は函館運輸支局管内での発着が認められており、車両は5台保有する。塗装はかつて東急グループに属していたことから、東急バスに準じたシルバーに赤ラインの通称「銀バス」色が使われる。長距離路線や郊外線の一部は平成初期までは白地に青色ラインが入った専用塗装車で、東急旧貸切カラーを経て現在は貸切バスとともに東急貸切色(マーキュリー)が使用されている。函館市からの購入補助を受け、2005年(平成17年)にハイブリッドノンステップバスを、2008年(平成20年)エコハイブリッドノンステップバスを、いずれも北海道で初めて導入している。2008年(平成20年)には京浜急行バスから車椅子乗降用スロープを装備しない初期型ワンステップバス、2009年(平成21年)には東急バスからノンステップバス黎明期の1997年式都市新バスの三菱ふそう・エアロスターが導入されている。また、グループを離脱した現在でも東急バスからの移籍車が少なからず在籍している。寒冷地のため、転入した車両には灯油燃焼式暖房装置取り付けなどの暖房の増強が行われているが、初期のノンステップ車両ではロングシート座席下が一段高い床となっていて暖気送風器を設置するスペースがなく、前向きシートに変更した上で座席下に設置しているため、完全に段差の無い座席が2~3席程度になってしまっている車両もある。また、後付け燃焼装置や最前部座席の廃止などにより、前中部の座席数が首都圏の標準的な車両よりも少ない。郊外・長距離路線は主に前扉折戸車や貸切兼用車を中心に運用されているが、交通バリアフリー法施行後2002年(平成14年)からは2扉ワンステップ車両を導入し、座席を2人掛け主体にするなど座席定員減少を最小限に抑えている。東急バスから移籍した車両は側面方向幕を中ドア後ろに移した以外はほとんどそのままで使用されているが、一部には中ドアを埋めて2ドアからトップドアに改造されたものがある。2000年頃には3ドアから後ドアを埋めて2ドアにしたもの、3ドアよりトップドアに改造したものも在籍していたが、これらはその後経年により廃車された。また函館市営バスからの移籍車のうち、函館山への路線に使用されていた車両は高出力エンジンを搭載していることから、一部は座席をハイバックシートに交換した上、東急グループの貸切色に塗り替えられて長距離路線に転用され、各営業所に転属していた。こちらも2013年時点では経年により全車廃車されている。コミュニティバス「リング」には、東急コーチ美術館線で使用されていた車両を、外装を若干変更した程度でそのまま使用している。これは、東急コーチ美術館線の車両は、外装だけでなく内装などもこれまでの函館バスにはみられなかったタイプであったことから、低コストで十分なアピールを実現するために選定されたものである。函館浪漫號に用いられるボンネットバスは、1959年にいすゞ自動車で製造された。エイチ・ビー観光株式会社(エイチ・ビーかんこう)は、函館バスの観光貸切部門の一部を分離独立させて2006年(平成18年)4月1日に発足した企業。車両は13台保有し、事業は函館運輸支局管内での発着が認められている。
出典:wikipedia
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