ユーストア () は、愛知県稲沢市に本社を置く、ユニー株式会社が運営していたスーパーマーケットであるが、ほとんどの期間は同名の法人が運営をしていた。店舗は、愛知県・岐阜県・三重県・静岡県・滋賀県・京都府の1府5県に展開していた。「ユーストア」は、低コストによる未開発地域への店舗開発を基本に郊外を主力ターゲットに店舗展開を行うことで、鮮度の良い商品を安く提供する経営方針で展開したスーパーマーケットである。そのため、既成の市街地や商店街といった不動産価格の高い地域に出店するのではなく、人通りが少なくても地価は安くて広い敷地を確保できる郊外の田園地帯などで、近隣から自動車で来店しやすい道路状況になっている地区に広めの駐車場を併設した店舗を出店する戦略を採った。なお、この広めの駐車場を持つ平屋建ての店舗を郊外に多数展開する戦略は、1972年(昭和47年)にアメリカで見学したKマートが急速に店舗を伸ばしていたことに着目したところから生まれたもので、同社が当時展開していた出店形式を元にしている。この形式での店舗として、当社設立前にユニー本体が「ユーマート大樹寺店」(のちのユニー大樹寺店)を開店しており、実際に営業する実験を行った後に会社を立ち上げる形となった。また、1974年(昭和49年)から施行になった「大規模小売店舗法」への対応策として誕生した側面を持つため、布袋店(売場面積1,4530m²)や蟹江店(売場面積1,4670m²)のように設立当初は規制対象の売場面積約1,500m²を下回る規模での出店を行っていた。しかし、1982年(昭和57年)以降は売場面積500~1,500m²の店舗も規制対象となったことから、法律の規制を避けて出店するという目的には、あまり役立たない形となった。そうした目論見違いが一部あったものの、会社設立から1993年(平成5年)5月まで約17年間社長を務めた家田美智雄は、低コスト路線を徹底することで高収益企業へと成長させたと言われている。そして、設立初年度から家田の社長在任中は毎年して増収を記録し続けた。(この連続増収記録は2005年(平成17年)2月期決算まで28期続いた。)また、この間には店舗の閉鎖も行わず、出店した全店舗を営業し続けていた。その結果、1990年代初めごろには「大手総合スーパー系列の食品スーパーとしては唯一の成功例」と評されるところまで成長して業界の注目を集め、イトーヨーカ堂やしまむらなどと共に日本の小売業界を代表する優良企業と呼ばれるようになった。こうした低コストを実現するため、年間売上高が約500億円で店舗数が19店に達していた1987年(昭和62年)10月時点でも本部はわずか16名で運営し、生鮮食料品が多く必然性が低いとして「販売時点管理システム(POS)」の導入も家田の社長時代には行われなかった。その一方で、鮮度の良い商品を安く提供することを目指すため、「定休日前に売り尽くしをすることで、冷凍ケースなどの清掃を行い、休み明けの木曜日から鮮度の良い商品の販売を行う」との考えのもと、当時の定休日であった水曜日の前日に「火曜特売」を実施するようになったのも当時社長だった家田美智雄の発想であったとされている。(この「火曜特売」は、のちにユニーグループ全体で行われるようになった。)こうした低経費・高効率の経営体質を作り上げたことから、「家田美智雄」は当社の社長を退任する頃までには“怪物”の異名をとるほどの名物経営者として知られるようになった。「家田美智雄」の退任後の後任の経営陣も低経費・高効率の経営路線は維持するとしたものの、1995年(平成7年)10月に全店には「販売時点管理システム(POS)」を導入するなど一部で経営戦略が転換された。その一方で、2002年(平成14年)2月期には「自家発電装置」を店舗に導入するといった新たなコスト削減策も取られるようになった。しかし、競争が激化したことから、2005年(平成17年)には初の店舗閉鎖に踏み切るといった方向転換も図られた。そして、2005年(平成17年)2月期決算まで28期続いた連続増収記録は、2006年(平成18年)2月期決算で途切れ、同年度は創業以来初の最終赤字転落となった。その後、少し持ち直して2007年(平成19年)2月期決算は2期ぶりの増収で4期ぶりの経常増益となったものの、当期損益では約2.2億円の損失と赤字が続いた。2008年(平成20年)2月期中間決算は競合がさらに激化し、前年割れ店舗が64店舗と大幅に増えたことなどに伴い、減損会計処理を行って中間純利益は37.79億円の損失となった。結局2008年(平成20年)2月期決算は、競争が激化した影響で既存店売上高が約3.5%減で全店でも売上高が約2.2%減と落ち込み、発注見直しなどの軽削減やユニーグループのPB商品の拡充による粗利益率の改善などにもかかわらず、減損損失を約71.22億円を計上したことが影響して当期純利益は約31.97億円の損失と3期連続の赤字で、最後の年間決算を終えることになった。2008年(平成20年)4月10日に同年8月21日にユニーと合併すると発表した。予定通り2008年(平成20年)8月21日に株式会社ユーストアはユニーに吸収合併されて企業名としては消滅し、組織・店舗運営はユニー内で再編したユーストア営業本部が継承することになった。なお、本社についてはグループの本社機能集約に伴って、2002年(平成14年)6月にユニーの本社同じ場所に移転している。合併時点では店舗ブランドとしての「ユーストア」は存続し、合併後の2008年(平成20年)11月21日にフォレオ大津一里山内にユーストア一里山店を出店している。また、この店舗ではユーストアのロゴマークをローマ字の黄色のものへと変更したしかし、ユニー・ユーストア・ラ フーズコアを統合して2月21日から「ピアゴ」という業態とすることになり、店名としても消滅することになった。なお、精華台店のみは「アピタ」へ店名変更されており、変更時期も他店よりも少し遅れる形となった。出店は店舗を集中的に展開する「ドミナント」の形成を目指し、ユニーグループの本拠地である名古屋市郊外を中心とする愛知県への展開から始めた。そのため、1993年(平成5年)11月19日に静岡県浜名郡新居町(現:湖西市)に新居店を出店して静岡県へ進出した際にも、進出当初の1・2年の間に10店舗を開業することで一気に静岡県にドミナントの構築を目指そうとしている。なお、この静岡県への進出を足掛かりに首都圏への出店も目指していたが、実現せずに終わっている。ユーストアのコマーシャルやレジ袋などには、以下のキャラクターが登場する。
出典:wikipedia
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