弁才天(べんざいてん)は、仏教の守護神である天部の一つ。ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー()が、仏教に取り込まれた呼び名である。神仏習合によって神道にも取り込まれ、様々な日本的変容を遂げた。経典に準拠した漢字表記は本来「弁才天」だが、日本では後に財宝神としての性格が付与され、「才」が「財」の音に通じることから「弁財天」と表記する場合も多い。弁天(べんてん)とも言われ、弁才天(弁財天)を本尊とする堂宇は、弁天堂・弁天社などと称されることが多い。日本の弁才天は、吉祥天その他の様々な神の一面を吸収し、インドや中国とは微妙に異なる特質をもち、本地垂迹では日本神話に登場する宗像三女神の一柱である市杵嶋姫命(いちきしまひめ)と同一視される。「七福神」の一員として宝船に乗り、縁起物にもなっている。古くから弁才天を祭っていた社では明治以降、宗像三女神または市杵嶋姫命を祭っているところが多い。瀬織津姫が弁才天として祀られる例もあるが少ない。「サラスヴァティー」の漢訳は「辯才天」であるが、既述の理由により日本ではのちに「辨財天」とも書かれるようになった。「辯」と「辨」とは音は同じであるが異なる意味を持つ漢字であり、意味の上では「辯才(言語の才能)」を「辨財(財産をおさめる、財産をつぐなう)」で代用することはできない。。その一方、琵琶湖竹生島やその他各地には「辨才天」の名称も存在する。戦後、当用漢字の制定により「辯」と「辨」は共に「弁」で代用することになったので、現在は「弁才天」または「弁財天」と書くのが一般的である。蔵-->京都府・浄瑠璃寺伝来(鎌倉時代 吉祥天像厨子絵)]]原語の「サラスヴァティー」はインドの聖なる河の名である。サラスヴァティーには様々な異名と性質があり、弁才天も音楽神、福徳神、学芸神、戦勝神など幅広い性格をもつ。像容は8臂像と2臂像の2つに大別される。8臂像は『金光明最勝王経』「大弁才天女品(ほん)」の所説によるもので、8本の手には、弓、矢、刀、矛(ほこ)、斧、長杵、鉄輪、羂索(けんさく・投げ縄)を持つと説かれる。その全てが武器に類するものである。同経典では弁才・知恵の神としての性格が多く説かれているが、その像容は鎮護国家の戦神としての姿が強調されている。一方、2臂像は琵琶を抱え、バチを持って奏する音楽神の形をとっている。密教で用いる両界曼荼羅のうちの胎蔵曼荼羅中にその姿が見え、『大日経』では、妙音天、美音天と呼ばれる。元のサラスヴァティーにより近い姿である。ただし、胎蔵曼荼羅中に見える2臂像は、後世日本で広く信仰された天女形ではなく、菩薩形の像である。日本での弁才天信仰は既に奈良時代に始まっており、東大寺法華堂(三月堂)安置の8臂の立像(塑像)は、破損甚大ながら、日本最古の尊像として貴重である。その後、平安時代には弁才天の作例はほとんど知られず、鎌倉時代の作例もごく少数である。京都市・白雲神社の弁才天像(2臂の坐像)は、胎蔵曼荼羅に見えるのと同じく菩薩形で、琵琶を演奏する形の珍しい像である。この像は琵琶の名手として知られた太政大臣・藤原師長が信仰していた像と言われ、様式的にも鎌倉時代初期のもので、日本における2臂弁才天の最古例と見なされている。同時代の作例としては他に大阪府・高貴寺像(2臂坐像)や、文永3年(1266年)の銘がある鎌倉市・鶴岡八幡宮像(2臂坐像)が知られる。近世以降の作例は、8臂の坐像、2臂の琵琶弾奏像共に多く見られる。中世以降、弁才天は宇賀神(出自不明の蛇神)と習合して、頭上に翁面蛇体の宇賀神をいただく姿の、宇賀弁才天(宇賀神将・宇賀神王とも言われる)が広く信仰されるようになる。弁才天の化身は蛇や龍とされるが、その所説はインド・中国の経典には見られず、それが説かれているのは、日本で撰述された宇賀弁才天の偽経においてである。宇賀弁才天は8臂像の作例が多く、その持物は『金光明経』の8臂弁才天が全て武器であるのに対し、新たに「宝珠」と「鍵」(宝蔵の鍵とされる)が加えられ、福徳神・財宝神としての性格がより強くなっている。弁才天には「十五童子」が眷属として従うが、これも宇賀弁才天の偽経に依るもので、「一日より十五日に至り、日々宇賀神に給使して衆生に福智を与える」と説かれ、平安風童子の角髪(みずら)に結った姿をとる。十六童子とされる場合もある。近世になると「七福神」の一員としても信仰されるようになる。室町時代の文献に、大黒天・毘沙門天・弁才天の三尊が合一した三面大黒天の像を、天台宗の開祖・最澄が祀ったという伝承があり、大黒・恵比寿の並祀と共に、七福神の基になったと見られている。また、元来インドの河神であることから、平安初期から末期にかけて仏僧が日本各地で活躍した水に関する事蹟(井戸、溜池、河川の治水など)に、また日本各地の水神や、記紀神話の代表的な海上神の市杵嶋姫命(宗像三女神)と神仏習合して、泉、島、港湾の入り口などに、弁天社や弁天堂として数多く祀られた。弁天島や弁天池など地名として残っていることもある。いずれも海や湖や川などの水に関係している。弁才天は財宝神としての性格を持つようになると、「才」の音が「財」に通じることから「弁財天」と書かれることも多くなった。鎌倉市の銭洗弁財天宇賀福神社はその典型的な例で、同神社境内奥の洞窟内の湧き水で持参した銭を洗うと、数倍になって返ってくるという信仰がある。日本各地で代表的な弁天と標榜するものは多い。武蔵野三大湧水と呼ばれる石神井川水源の三宝寺池、善福寺川水源の善福寺池、神田川水源の井の頭池には、いずれも弁天社(厳島神社)、善福寺弁財天、井の頭弁財天が置かれている。兵庫県六甲山山頂にある大きな磐座をご神体とする六甲比命神社は弁財天を祀る、とされる。六甲山麓・周辺には弁財天を鎮守神とする寺院が多いが、神呪寺の南の目神山の、役行者と弁財天が邂逅したという伝承のある場所の磐座には役行者の像が鎮座する。役行者はその後、天武天皇と共に、天河で伊勢神宮内宮荒祭宮の祭神を弁財天として祀る天河大弁財天社を創建した。また、弁才天の縁日は干支で「巳」の日とされており、60日に一度巡ってくる己巳」の日は特に縁起の良い日とされている。弁天信仰の広がりと共に各地に弁才天を祀る社が建てられたが、神道色の強かった弁天社は、明治の神仏分離の際に多くは神社となった。元々弁才天を祭神としていたが現在は市杵嶋姫命として祀る神社としては、奈良県の天河大弁財天社などがある。神奈川県の江島神社は主祭神を宗像三女神に改め、弁才天は摂社で祀られる。また、竹生島の宝厳寺では、弁才天を祀っていた本殿が市杵嶋姫命を祀る神社として分離され、宮島の厳島神社では、弁才天像が神宮寺へと移された。以上のように、近世以降の弁才天信仰は、仏教、神道、民間信仰が混交して、複雑な様相を示している。種子(種子字)は「ソ」である。市杵島姫命を祀る神社については宗像三女神や市杵島神社を参照。
出典:wikipedia
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