オエノンホールディングス株式会社(英文名称:Oenon Holdings, Inc.)は、焼酎などの製造で知られる合同酒精株式会社(ごうどうしゅせい)を母体とする持株会社。東京証券取引所第1部上場。近年は旧森永製菓系列だった福徳長酒類や、旧独立系だったが森永醸造(福徳長酒類の前身)と資本提携した後に同じく買収された秋田県の酒類メーカー・秋田県醗酵工業、旧旭化成系列だった富久娘酒造など、多くの酒類メーカーを買収し拡大路線を歩んでいる。2003年頃からの本格焼酎ブームに乗り1992年に北海道の地焼酎として発売した紫蘇焼酎「鍛高譚」(たんたかたん)を全国的にヒットさせるなど地道な商品展開でも知られている。主要株主は第一生命保険、みずほ銀行、北洋銀行など。「オエノン」の由来は、自らの説明によれば、ギリシャ・ローマ神話に由来し、すべてを酒に変える女神「オエノ」をバイオ技術の象徴とし、多角化「オン」を目指そうとする意味としている。ギリシャ神話に登場するオエノはデュオニソスによって大地からワインを得る力を与えられた女神である。1924年に北海道拓殖銀行の主導により、旭川市でエタノール・焼酎を製造していた神谷酒造と北海道有数の酒類卸で清酒「北の誉」の醸造元であった野口本店(現:北の誉酒造)を中心に設立された。この背景には、第一次世界大戦終結後の戦後恐慌によって余剰気味だったエタノール・焼酎業者の整理統合と、関東大震災で被害を受けた神谷酒造の再建という意味合いがあり、札幌税務監督局長の野村盛康と拓銀頭取の水越理庸の要請により、流通面で力を持っていた野口がそれらの動きに力を貸すことになった。その後は焼酎・合成清酒・エタノール製造からブタノールやイソオクタンなどの製造にも乗り出し、第二次世界大戦前には同業他社と協和化学研究所(現:協和発酵キリンの前身)の設立に関与している。戦後は酒造業に事業の主力を移し、1960年に神谷酒造を吸収合併。1963年には清酒「富貴」の醸造元でもあった萬歳酒造も合併し、ワイン・清酒醸造にも進出した。イメージキャラクターに千葉真一を起用し、1970年代から1980年代にかけてCMや広告を展開した。また、「富貴」は合同酒精が販売元となってからは北島三郎や高橋英樹をイメージキャラクターに起用し、北島の「酒だ酒だ!酒なら富貴だい!!」のキャッチコピーで知名度を上げた。なお「富貴」は漫画家の赤塚不二夫が愛飲していたことでも知られた。「福徳長」は神戸・灘で1792年創業。後に福徳長酒造株式会社として法人化されたが1967年に灘誉酒造株式会社に合併。さらに1991年、灘誉酒造は森永醸造(1953年に森永製菓から分離設立)に合併され、森永醸造を存続会社とした。1991年に社名を福徳長酒類(株)に変更。2001年に合同酒精傘下となり、モリナガグループを離れた。主に廉価な日本酒および焼酎・合成清酒を生産しているが、鹿児島県での芋焼酎生産など新たな取り組みも為されている。西酒造の原酒を使用した製品には、三笠フーズの事故米を使用した商品もあり自己回収となった。など福徳長酒類の主力工場は福岡県久留米市、山梨県韮崎市、鹿児島県阿久根市に所在する。久留米工場は台湾製糖が1921年に製糖工場として建設したレンガ造りで、1943年に森永製菓に売却され、酒造工場に転用された建物が、現在でも使用されている。酒類不足であった太平洋戦争中の1945年4月、秋田県内の酒造会社・酒店等の出資で、合成清酒・焼酎および原料用アルコール(清酒、合成清酒、三倍増醸酒用)の供給メーカーとして、清酒「爛漫」醸造元の秋田銘醸(湯沢市)敷地内に設立。秋田県内の酒蔵に原料用アルコールを供給する立場から、合成清酒と焼酎は手掛けるものの、清酒は生産していなかった。1973年に湯沢市内で移転後、1974年に清酒「一滴千両」を製造していた湯沢銘醸(株)を合併して清酒生産に進出。2001年、合同酒精傘下となる。本社と工場は現在も湯沢市に置いている。製品は福徳長同様に、廉価帯の清酒、焼酎、合成清酒を主力とするが、1982年からは吟醸酒の生産にも取り組んでいる。など1681年、神戸市灘区、灘五郷の一つ西郷の一角、新在家にて花木本店→花木酒造として創業した。富貴、福徳長ブランドともども灘の生一本(灘の3F)である。花木酒造は1963年に経営破綻したものの、東洋醸造が事業を引き受け新会社・富久娘酒造を設立。さらに1970年に東洋醸造が旭化成グループ入りすると、同社も旭化成グループ入りとなった。1992年に東洋醸造は旭化成に吸収合併されるが、旭化成が2003年に酒類事業から撤退した際に全株式は合同酒精へ譲渡された。日本で初めての金箔入りの清酒や、「お燗機能つきカップ清酒」など斬新なアイデアで知られる。合同酒精の富貴や福徳長の普通酒の一部も生産している。1901年、北海道小樽市にて創業。旧・合同酒精創立時には発起人として加わっていて、以降も資本関係を有していたが、2007年にオエノンホールディングス傘下となる。本社札幌市。創業以来小樽市で醸造を行っていたが、2015年をもって醸造工場を廃止し、合同酒精旭川工場に一本化された。1870年、新潟県中蒲原郡沼垂町(現・新潟市中央区沼垂西)にて小野寺寛が創業。2015年現在も創業地の沼垂に本社工場を置き、酒造を続けている。新潟市でも市街地に残る数少ない蔵の一つ。ただし1964年の新潟地震の影響で井戸の水源が断たれたため、以降の仕込み水は同じく新潟県内の東蒲原郡阿賀町(旧三川村)の湧水「桂清水」を用いている。1951年に株式会社化、北の誉酒造の傘下となる。2007年、北の誉酒造がオエノンホールディングス入りしたことで越の華酒造も連動してオエノン系となったが、経営は創業家である小野寺家が引き続き行っている。1968年、静岡県清水市(現静岡市清水区)に乾式処理方法によるコーングリッツ製造、販売する目的で設立。資本金9,000万円は合同酒精株式会社(現オエノンホールディングス株式会社)、日本食品化工株式会社、三菱商事株式会社の共同出資。1972年、新鋭機器を多数導入し、原料処理能力を一日あたり250トンに増加。1974年、資本金が1億2,000万円に増資。九州大学農学研究院と芋焼酎『いも九』を共同開発し、製造している。
出典:wikipedia
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