タンゴはアルゼンチン・ブエノスアイレスやウルグアイ・モンテビデオのダンスおよび音楽。および、それを擬したダンス・音楽で、音楽業界から「タンゴ」と公認されたもの。ポピュラー音楽およびダンスの一形態で、カンドンベ、ミロンガ、ハバネラなど複数の音楽が混ざり合って19世紀半ばにブエノスアイレス、モンテビデオ近辺のラ・プラタ川流域で生まれたとされる。日本では、タンゴがヨーロッパに渡って変化したものをコンチネンタル・タンゴないし「ヨーロッパ・タンゴ」と呼び、それに対して元来のものをアルゼンチン・タンゴと呼んで区別することが多い。日本でのタンゴの普及は、昭和初期から戦前までにアルゼンチンから一部移入がされたものの、その後戦後にかけて移入したのは、むしろヨーロッパからムード音楽の一環としてのそれであり、いわゆる「コンチネンタル・タンゴ」の類であった。すなわち、競技ダンス・社交ダンスで用いられる1ジャンルのタンゴのための舞踊音楽であった。よって、長らくタンゴと言えばマランド、アルフレッド・ハウゼといったイメージで、多くの場合理解されていた。しかし1960年代からはオスヴァルド・プグリエーセ、フランシスコ・カナロなどの大御所たちもこぞって来日を果たしており、一部の聴衆から熱狂的な支持を生んだ。ただ、楽器の習得や様式の完成に非常に時間がかかり、専門的な教育機関も存在しない日本で学習するのは非常に困難なジャンルという認識もあった。いったん上記の競技ダンスや社交ダンスが一般的には下火になっていた1980年代後半、米国で成功した「タンゴ・アルヘンティーノ」公演が日本にも移入し、これ以降、アルゼンチン・タンゴが普及するようになった。現在は鬼怒無月のように調性を廃したタンゴ・アヴァンギャルド、エレクトロニクスをフル活用したタンゴ・エレクトロニコなどの新たな可能性が日々探られている。インターネット・ラジオも、アルゼンチンではない国からアルゼンチン・タンゴが24時間流れ続ける例が存在するなど、新しい聴取者層を獲得している。近年は日本のみならず韓国や台湾などもタンゴの音楽家が続々と増えており、技術的に本場とほぼ変わらないレヴェルのテイクも珍しくない。弦楽器の騒音的奏法、ヴァイオリン群による集団グリッサンド、バンドネオン本体への打撃、コントラバスのコルレーニョバトゥット、ピアノとバンドネオンのトーンクラスターが典型例だがピアノの内部奏法はタンゴ・アヴァンギャルドを除いて行われることがない。バンドネオンが用いられることが特徴である。また、非常に鋭いスタカートでリズムを刻むにも関わらず打楽器を欠く。オルケスタティピカに始まりキンテートを通過し、現在はこの枠ではくくれない編成も多い。またバンドネオンなしのピアノと弦のみの演奏もある。ギターの伴奏と歌によるタンゴも、カルロス・ガルデルらが録音を残し高く評価されている。アストル・ピアソラの作品のように、クラシック音楽の演奏家によりクラシック音楽のスタイルで演奏されるものもある。特に、1950年代後半頃からアコースティックギターなども使われるようになってきた。少しでも伝統を外すと「タンゴのイメージに合わない」・「アルゼンチン・タンゴを騙っているだけ」という苦情が寄せられることも多く、ウルグアイとアルゼンチンですら激しい対立があることで有名だが、多種多様な実験が多くの聴衆に受け入れられてきたことも事実なのである。楽器編成は通常のポピュラー音楽での管弦楽編成に近い。ムード音楽的演奏から、マランドのように歯切れの良いリズムを重視したアルゼンチンスタイルに近い演奏までさまざまである。一般的にはアコーディオンが用いられるため、バンドネオンの鋭いスタッカートではなく、オーケストラの分厚いくぐもったスタッカートが多い。小編成が圧倒的に多い。アルゼンチン・タンゴの中になかった楽器も積極的に取り入れられており、なおかつコンチネンタル・タンゴのような妥協を行わない点が特徴。かつてはオルケスタ・ティピカ・東京、坂本政一とオルケスタ・ティピカ・ポルテニヤのようなオルケスタ・ティピカを組織するのが一般的であったが、1970年代の低迷期に入ってからは小編成が有力となった。アルフレッド・ハウゼ楽団のようなコンチネンタル・タンゴの人気も日本ではかなりある。1990年代は日本でもアストル・ピアソラが人気を博したこともあり、ピアソラ・スタイルを表面的に模倣した楽団も見られた。毎年必ず行われる民音タンゴ・シリーズが有名。かつてのジャパニーズ・タンゴとは「法被を着てバンドネオンを弾き、着物を着て歌を歌い、LPジャケットには富士山が描かれる」といったステレオタイプなものを指していた。2010年代は、このようなスタイルを日本人がとることは最早ない。1910年代からタンゴ演奏が始まったため、日本より伝統がある。アコーディオンが使われるためコンチネンタル・タンゴに分類する評論家もいる。しかし、「短調にこだわり哀調を込める」ことが必須になっているため、コンチネンタル・タンゴの朗らかさとは一線を画しているのが特徴。現在はアストル・ピアソラ国際演奏コンクールの優勝者も輩出するなど、演奏水準の高さには定評がある。毎年必ず行われるTangomarkkinatが有名。タンゴでは、作曲者の作ったメロディーは大切にされるものの、演奏する楽団の編曲により、新たな旋律や副旋律がつけられたり、変奏 variación がつけられたりすることが当然のようになっている。たとえば、ラ・クンパルシータは、ヘラルド・マトス・ロドリゲスの作曲したメロディーの他に、ロベルト・フィルポが付け加えた中間部が好評を呼び、著名度が高いタンゴとなった。タンゴについては、やはり演奏する楽団の編曲の良し悪しが、聴いている聴衆の満足度につながるものとされる。これはバッハのコラール編曲と事情が似ており、コラール原曲より付された対旋律のほうが有名、といった古事を継承している。なお、楽譜からはずれる即興演奏は、避けられる方向であったが、アストル・ピアソラのように即興演奏を好むタンゴ演奏家もいる。ピアソラは徹底的に「書き譜」を売ることで顰蹙を買ったが、タンゴ楽団の譜面には自分たちの芸風を示したメモは一切書かないのが本当は主流で、伝統的にはすべて演奏様式は口承である。アストル・ピアソラやそれ以降の楽団のモダンタンゴの解釈については、古くからのタンゴ愛好家で違和感を覚えるような声が多くあった。これは、ジャズやジプシー楽団から引き抜かれた人物が独自の癖を披露したからである。その一方で、そのモダンタンゴに感銘を覚えるタイプのタンゴ愛好家も増えてきている。21世紀に入ると、古典またはアルカイックタンゴ専門の楽団も出現している。タンゴの曲の多くには、スペイン語(リオプラテンセ・スペイン語)の歌詞がついているが、"La última curda" (最後の酔い) の "curda"(酔い) のようにブエノスアイレス地方の俗語である ルンファルド ( がよく用いられる。日本の西和辞典で引きづらいこともしばしばである。また、vos (あんた,túに相当する) およびそれに相当するという南米の言い回しボセオ() が出てくることもある。ボセオについては、日本の西和辞典では、具体的な活用形ですらも取り上げられているとはいえない状態である。英語の や、その他のサイトで調べるしかない。ラ・クンパルシータのように、ひとつのタンゴの曲に、違った複数の歌詞が付けられることがある。よく知られた例 ラ・クンパルシータ エル・チョクロ フェリシアタンゴの歌詞について、カミニート の ガビノ・コリア・ペニャロサ や、スール Sur の オメロ・マンシ のように、作者に敬意が表される場合も少なくない。歌詞が文学的なタンゴは歌がつけられた演奏になる傾向にある。地名・招聘した人物への敬意が示されていることもある(輝ける東京)。歌詞なしで演奏されることも、ごく普通である。フェリシア や パリのカナロ のように、歌詞なし演奏がほとんどの曲もある。また、レスポンソや、タンゴ 「とろ火で」 のように歌詞がつけられていない場合もある。原曲にスペイン語の歌詞がつけられているタンゴに、別の言語の歌詞がつけられる場合もある。エル・チョクロ が、キッス・オブ・ファイア として、英語の歌詞がついて、アメリカで歌われヒットした。日本では、菅原洋一が第31回NHK紅白歌合戦で、ラ・クンパルシータを日本語の歌詞で歌っている。冴木杏奈が着物姿で、カミニートを歌っている映像が YouTube で、アップロードされてある。淡谷のり子も、日本語の歌詞で、ラ・クンパルシータやジーラ・ジーラを歌っていた。原語がスペイン語でない歌が、タンゴとして演奏される場合もある。コンチネンタル・タンゴの歌が、そうなる。シャンソンでは、小雨降る径 "Il pleut sur la route" と、恋心 "L'amour, c'est pour rien" が、タンゴとして演奏される場合もある。ファン・ダリエンソ楽団はサービスと称してスペイン語で原曲を歌わせ、そのまま日本語の訳詞で歌わせる、ということも行わせた。複数の作品のサビを数曲ほど接合させる例(トロイロ)もある。これは先人への敬意が込められる。このような形態では歌手は歌わない。「主旋律がアルペジオのような動きをするのはやめましょう」というのが四声和声法の鉄則だが、古典タンゴの代表作「フェリシア」のように、最初からメロディーがアルペジョで動くことも普通に行われる。アルフレド・デ・アンジェリス楽団はベースや中声部のバンドネオンがアルペジョで動くこともある珍しい集団である。モダンタンゴの時代に入ると近代和声の影響を徐々に受けて減ったが、それでもバンドネオンセクションは依然として平行進行が好まれる。オスバルド・プグリエーセ楽団やエドゥアルド・ロビーラはバンドネオンの左手や弦楽セクションを用いて対位法的な趣味を前面に打ち出しており、この点に気が付いていたようである。このため、器楽では楽でも声楽では厳しいメロディーラインが多くなり、歌手は「アルペジョにはいると加速または減速がはいる」独特の修練を必要とする。タンゴは、始めはフォルクローレから出発した。 初期のタンゴでは、ギター・バイオリン・フルートのアンサンブルで演奏されて、バンドネオンは定着せず、ミロンガ・カンドンベと同種のラプラタ諸国の民俗音楽であった。バンドネオンの導入により、タンゴの差別化がなされるようになった。ミロンガについては、タンゴとして演奏されることもある。カルロス・ガルデルは、フォルクローレ歌手として活動を始めて、その後タンゴを歌いだした。ガルデルの歌にギター伴奏のタンゴに、タンゴ愛好家の人気があり、今でも頻繁に聴くことができる。また、タンゴ楽団によるヴァルス(バルスとも呼ばれる)すなわちアルゼンチン当地のワルツの演奏も、よく聴かれ、フランシスコ・カナロ楽団の黄金の心 Corazón de oro が有名である。ブエノスアイレスのタンゴ生演奏の店タンゲリア tanguería では、フォルクローレの演奏も行っているところもある。東京の六本木にありタンゴバプとして有名だった店 「六本木カンデラリア」 (閉店) の店主の高野太郎は、フォルクローレ歌手である。タンゴもフォルクローレも、どちらもレパートリーとしている歌手も、目立つ。エドガルド・ドナートがクラシック系統の音楽学校であるフランツリスト音楽院の優等生だったように、アルゼンチンでも日本もふくめ他地域でもクラシック音楽を専門的に学んだ人がタンゴ界で活躍することは、めずらしくない。タンゴも最初期のエル・エントレリアーノから、半音階をとりいれたりしている。また、カデンツァなど、クラシック音楽の用法が、タンゴに応用されている。スペインのクラシック音楽の作曲家イサーク・アルベニスも、有名な「タンゴ」を作曲している。タンゴの「ビクトリア・ホテル」の作曲者のフェリシアーノ・ラタサはクラシック音楽の作曲家と、伝えられている。 クラシック音楽に対抗意識をもちつつ対話していたタンゴの権威にアストル・ピアソラがいて、アルゼンチンに来たアルトゥール・ルービンシュタインに自作の曲を見てもらったり、ナディア・ブーランジェから作曲を学んでいたというエピソードがある。また、クラシック音楽家でも、演奏にタンゴをあえて選ぶ人も出てきている。チェロ奏者のヨーヨー・マが、ピアソラ作曲のリベルタンゴを演奏曲目に選んでいる。エドガルド・ドナートは、ウルグアイのジャズのカルロス・ウォーレン楽団に所属していたこともある。フランシスコ・ロムートは、ジャズピアニストとしても活躍していたこともあった。アストル・ピアソラは少年期はタンゴよりもジャズを好んでいたといわれている。タンゴも時代が下りモダンタンゴに近づくと、ジャズの影響が見られる曲も増えてくる。ちなみに、ピアソラは、ジャズ・タンゴを提唱しているし、ジャズの演奏家としている表現もみかける。タンゴもジャズも、ピアノとコントラバスとギターという楽器を使用するということでは、共通している。ただ、ジャズの曲をタンゴとして演奏されたりすることは、なかなかありえない。エル・チョクロをキッス・オブ・ファイア として、ジャズで演奏されて注目されたことがある。アディオス・ムチャーチョスについてアメリカのジャズの権威のルイ・アームストロングの歌の録音もある。アメリカのルロイ・アンダーソンのブルー・タンゴ が、ジャズ楽団でも演奏されている。それ以外の例で、モダンタンゴ以外のタンゴがジャズとして演奏されることはあまりない。1940年代を過ぎるとフランチーニ=ポンティエル楽団やサルガン楽団、トロイロ楽団は近代和声を拡張したジャズに影響された大胆な和声を積極的に織り込むようになった。この展開を嫌い、古典和声にこだわり続けたダリエンソやデ・アンジェリスのような硬派のタンゴ楽団もいる。近代和声を用いた名曲の第一号がマリアーノ・モーレスの「Uno(1943)」という見解を示す識者は多い。この作品はジャズのようなナインスコードが偶発的に出現するが、このような艶のある表現はレトロタンゴの時代では決してみられなかった。小雨降る径 と、恋心については、タンゴとして演奏される場合がある。タンゴの曲がシャンソンとして歌われる例は、あまり見当たらない。日本では、タンゴ歌手として出発した菅原洋一が、シャンソンを歌っている。シャンソン歌手の高英男が第12回NHK紅白歌合戦で、同じくシャンソン歌手の芦野宏が第13回NHK紅白歌合戦で、カミニートを歌っている。シャンソン生演奏の店シャンソニエで、月何回か、タンゴの生演奏を行うところもある。スペインの歌手のフリオ・イグレシアスや、メキシコのトリオ・ロス・パンチョスのように、タンゴ歌手でないスペイン語圏の歌い手も、タンゴのレコード録音がヒットすることもある。タンゴは今から約130年前に、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの港町ラ・ボカ地区から始まったとされる。ただ、その前から、アフリカ系アルゼンチン人のコミュニティーで、「タンゴ」 と称する音楽がはやっていた。アルゼンチンタンゴ・ダンスはスペインやイタリアからの貧しい移民のフラストレーションのはけ口として、ボカ地区の酒場で生まれた踊りといわれる。日頃の不満を歌にし、最初は単身赴任の男性達が酒場で荒々しく男性同士で踊ったとも、娼婦を相手に踊られるようになったともいわれる。しかし、実際には記録はほとんど残っていないため、正しいことはわかっていない。ただ、リズムに関してはキューバのハバネラ、ヨーロッパ伝来のワルツ、アメリカ伝来のフォックストロット、アフリカ起源のカンドンベ、アルゼンチンのパンパで生まれたミロンガなどが、初期のタンゴに影響を与えた。このように多くのタンゴ楽団に接した者ほど、アストル・ピアソラを避ける傾向にある。ラウル・オウテーダも同様である。〜1910年頃ロセンド・メンディサーバル 作曲アンヘル・ビジョルド 作曲ドミンゴ・サンタ・クルス Domingo Santa Cruz 作曲フェリシアーノ・ラタサ Feliciano Latassa 作曲エンリケ・サボリド 作曲ホセ・ルイス・パドゥラ José Luis Padula 作曲ビセンテ・グレコ 作曲1910年頃〜1940年頃アグスティン・バルディ 作曲ロベルト・フィルポ 作曲ヘラルド・マトス・ロドリゲス 作曲ペレグリーノ・パウロス Peregrino Paulos 作曲フランシスコ・ロムート 作曲エドガルド・ドナート 作曲ヘスス・ベントゥーラ Jesús Vntura 作曲エドゥアルド・アローラス作曲エンリケ・デルフィノ Enrique Delfino 作曲サムエル・カストリオータ Samuel Castriota 作曲フアン・デ・ディオス・フィリベルト 作曲マヌエル・ホベス Manuel Jovés 作曲カルロス・ガルデル 作曲セパスティアン・ピアナ Sebastián Piana 作曲 カトゥロ・カスティージョ 作曲 フアン・デアンブロージョ Juan Deambroggio 作曲エンリケ・サントス・ディセポロ 作曲ペドロ・ラウレンス Pedro Laurenz 作曲フリオ・セサル・サンデルス Julio Cécar Sanders 作曲フランシスコ・カナロ 作曲アレハンドロ・スカルピーノ Alejandro Scarpino & ファン・カルダレーラ Juan Caldarella 作曲ファン・カルロス・コビアン 作曲1940年頃〜1960年頃フランシスコ・カナロ & マリアーノ・モーレス 作曲マリアーノ・モーレス 作曲オスヴァルド・プグリエーセ 作曲アニバル・トロイロ作曲ファン・カナロ Juan Canaro 作曲1950年頃〜オラシオ・サルガン作曲アストル・ピアソラ作曲作曲者の国籍より分類ドイツヨゼフ・リクスナー 作曲ハンス・オットー・ボルグマン 作曲デンマークヤーコブ・ガーデ 作曲フランスジョルジュ・ビゼー Geroge Bizet 作曲 ヘンリー・ヒンメル Henry Himmel 作曲アメリカ合衆国ルロイ・アンダーソン 作曲
出典:wikipedia
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