LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

大韓民国の国旗

大韓民国の国旗(だいかんみんこくのこっき)は通称太極旗(たいきょくき)と呼ばれる旗である。白地の中央に置かれた赤と青の2色からなる「陰陽」で「太極」を表し、その周囲四隅に「卦」が配置されたデザインとなっている。太極旗のデザインは大韓民国の法令によって定められており、太極の青色部を上にして旗を掲揚するのは逆さであり誤りである。太極旗は、李氏朝鮮(高宗)時代の1883年旧暦1月27日に朝鮮国の国旗として初めて公布され、朝鮮独立運動を通じて朝鮮民族を象徴する旗として認知された。その後、1948年8月15日に大韓民国が独立を果たすと、1949年10月15日に大韓民国の国旗として法令でデザインが確定した。太極旗を初めて国旗として使用したのは朝鮮国(李氏朝鮮)であるが、李氏朝鮮が太極旗を自国の国旗とした経緯については明確に分かっていない。李氏朝鮮の国旗制定が具体的な問題として浮上したのは、1880年に日本から帰国した修信使・金弘集らが、清国の駐日公使館参事官黄遵憲によって書かれた『朝鮮策略』を持ち帰ってからである。『朝鮮策略』はロシアの南下政策に対して朝鮮がアメリカと連合すべきとする書物であるが、ここで初めて朝鮮の国旗の図案についての言及があり、朝鮮が清の属国であることを強調するため、清国国旗(黄龍旗)のように龍旗をそのまま使用することを主張した。そこで、李氏朝鮮は国旗制定にあたり、どの色の龍旗が良いか清国の助言を求めたところ、北洋大臣の李鴻章から「朝鮮国王の御旗である画龍方旗が清の黄龍旗と似ていることからこれを国旗として使用すればよい」という詔書を下賜された。そして、五爪龍(爪が五つ)は天子の象徴であるため冊封国の朝鮮の龍旗は爪を四つにせよと指示をされた。具体的な国旗の図案について最初の議論が行われたのは、1882年5月22日に行なわれる米朝修好通商条約の締結式で、李氏朝鮮の国旗が必要とされた時である。金弘集が国旗の図案について、1882年4月 (旧暦)に米朝修好通商条約締結を斡旋するため訪朝した清の馬建忠との会談を経て決定したとされる。その筆談の内容を記録した『清国問答』によると太極旗をデザインしたのは馬建忠であった。1882年4月11日の金弘集と馬建忠の会談では、条約締結において国旗が必要であり、個人的意見としてだが、白地に太極の印を置いて八卦を配してどうかと「白底青雲紅龍」の図案を提案し、金弘集はこれを了承している。ただし、調印式で実際に使われた朝鮮国旗に関する記録は残っておらず、韓国政府(行政自治部)は2004年に発見された冊子『海上国家の旗』("Flags of Maritime Nations") 第5版に収録された「ensign」(エンサイン)旗が調印式で使われた太極旗の原型であると推定している。太極旗の図案制定に関する最初の具体的な記述は、同年9月に訪日した朴泳孝によるものである。同年7月の壬午事変を機に、李氏朝鮮は日本との間で済物浦条約を締結し、その規定に従い謝罪の使節(特命全権大使兼修信使)として朴泳孝らを日本へ派遣した。その際、朴泳孝は約4ヶ月間に渡る訪日中の出来事を日記(『使和記略』)として記しており、その中に太極旗の図案制定に関する記述がある。『使和記略』によると、9月20日(旧暦8月9日)に仁川から日本船籍の明治丸に乗り日本へと向かった朴泳孝らは、太極文様の周りに八卦を描いた太極図の旗を持っていた。しかし、朴泳孝が船内でイギリス領事アストンとイギリス人船長ジェームスに対し、八卦と太極文様を描いた太極図を見せ国旗としての出来について相談した所、船長から「八卦が複雑で区別しにくく他国がこれを見て作るのに不便である」と助言を受けた。そのため、朴泳孝は八卦から四卦を削り、残りの四卦を45°傾けて四隅に配した図案を提案し、船中で大・中・小3本の太極旗を作ったという。9月25日(8月14日)に神戸へ到着した一行は宿泊先の西村屋で初めて完成した太極旗を掲げ、10月3日(8月22日)には太極旗小本と共に国旗制定を本国に報告したとされる。イギリス人船長の助言に基づき、分かり易いように八卦から四卦に、そして四卦を四隅に配列した太極旗は周易の専門家からすればおかしく、韓国で刊行されている太極旗の書籍では、現在の太極旗は誤りだと主張しているという。日本の日刊新聞「時事新報」は1882年10月2日付の紙面でこの太極旗を紹介しており、あわせて太極旗を国旗とした経緯について下記の通りに掲載している。翌1883年旧暦1月27日(3月6日)、高宗は王命で太極図と四掛の絵柄からなる太極旗国旗として制定し、統理交涉通商事務衙門の指示によって八道四都(朝鮮全土)へ国旗に関する通知がなされた。これにより、太極旗が正式に朝鮮の国旗として使われるようになった。1949年に大韓民国の法令で制作方法が制定されるまで、太極旗の詳細なデザインは統一化されていなかった。そのため、同じ時代でもさまざまなバリエーションの太極旗が存在している。太極旗が制定される前から、李氏朝鮮では太極と八卦を文様とする旗が、国王の象徴である「御旗」として使われていた。ソウル大学校の奎章閣に保管されている資料によると、「御旗」には太極の周りに八卦を配置した「太極八卦図」が用いられており、太極図は『太極図説』に描かれていた周氏太極図の陰陽部分が用いられていた。ただし、これは国王専属のもので、国全体を象徴するものではなかった。従来、八卦を四卦に減らし左に45°傾けた太極旗のデザインは、李氏朝鮮の特命全権大使兼修信使である朴泳孝が1882年9月に日本へ向かう船の中で考案されたものとされ、1882年10月2日付の「時事新報」に掲載された太極旗が視認できる最古のものとされてきた。だが、1882年7月に発行された古書『海上国家の旗』("Flags of Maritime Nations")が公式に太極旗を視認できる最古の資料であると2003年に確認されたため、朴泳孝の訪日以前の段階で既に太極旗の原型が考案され、実際に使用されていた可能性が出てきている。1883年の制定時点における太極旗の実物は朝鮮本国に残っておらず、アメリカのスミソニアン博物館が所蔵する1884年製の太極旗(通称:デューイの太極旗)が実物サイズでもっとも古いものである。また、韓国に現存する実物は、1890年に高宗からアメリカ人顧問へ下賜された太極旗(通称:デニーの太極旗)が最古のものとなっている他、 清国の『通商章程成案彙編』(李鴻章編、1886年刊行)等、他国の史料の中に絵で伝えた太極旗が残されている。だが、1883年に制定された太極旗の規定は、デザインについて「太極図と四掛の絵柄」と曖昧な表示しかしていなかったため、四隅に置かれる卦の配置方法や色、中央にある太極図(陰陽魚)の構図や配色(色の濃淡)でいくつものバリエーションが生じてしまっている。なお、太極旗が考案された1883年時点で、李氏朝鮮は清王朝の冊封体制に服属していた。この為、1886年に清の李鴻章によって編纂された『通商章程成案彙編』に収録された太極旗は、清国の国旗、軍旗、商船旗の後に位置づけられており、同時に「大清国属 高麗国旗」と明記して掲載されている。このことから、当時の朝鮮は清から従属国として扱われていたことが分かる。日韓併合後、太極旗は朝鮮独立運動の活動家にとって「独立時代の象徴」となっていったが、具体的なデザイン方法は決まらないままだった。そのため、1919年樹立の大韓民国臨時政府は、1942年6月29日に「国旗統一様式」を制定・公布して太極旗の作り方を統一させようとした。たが、臨時政府の影響力自体が限定的だったため一般の朝鮮人に広く知られることは無く、臨時政府の軍事組織である光復軍ですら「国旗統一様式」と異なる太極旗を使用していた。また、第二次大戦の日本降伏宣言(玉音放送)直後、朝鮮では朝鮮人民共和国の樹立が宣言されたが、数日で崩壊したため太極旗に関する取り決めは特になかった。1948年7月12日、米軍軍政庁の統治下で大韓民国の独立準備をしていた大韓民国制憲議会は、太極旗を大韓民国の国旗とすることを正式に決定した。だが、その場でも太極旗の詳細なデザインは決められなかったため、韓国政府は実務上の必要性から1949年1月に「国旗是正委員会」を設置し、同年10月15日に「国旗製作法」を公布して史上初めて詳細な太極旗の作製方法を確定させた。これ以降、太極旗のデザインに基本的な変更はなされておらず、2007年1月26日以降は同日公布の「大韓民国国旗法」によって太極旗の図柄配置や標準色等の詳細な規格が定められている。「朝鮮独立の象徴」であった太極旗は、ソ連軍の監督下に置かれた北朝鮮(38度線以北の朝鮮地域)でも朝鮮民主主義人民共和国の建国直前まで使われた。日本の降伏宣言(玉音放送)直後、北朝鮮各地では朝鮮建国準備委員会(後の朝鮮人民共和国)の地方組織(人民委員会)が設立され、組織の旗として太極旗を使用していた。その後、1945年9月中に北朝鮮全域へソ連軍が進駐したが、ソビエト民政庁は北朝鮮各地の人民委員会を後援する形で占領行政を進めたため、太極旗は朝鮮人の行政旗として使われ続けた。モスクワ三国外相会議(同年12月)の取り決めで朝鮮は最終的に単独政府を樹立して独立する予定となっていたため、1946年に社会主義者達による自治組織・北朝鮮臨時人民委員会が樹立されても、太極旗は「朝鮮の旗」として人民委員会で使用され続けた。だが、1947年10月20日に米ソ共同委員会が決裂して単独政府の樹立が不可能になったため、北朝鮮人民委員会は北朝鮮単独の政府樹立を目指すようになり、国旗についても民族主義者が使う従来の太極旗とは別個の旗を設けることになった。北朝鮮人民委員会は1948年2月初旬に新国旗の原案を完成させた上で、同年9月8日に太極旗とは別の旗を新しい朝鮮国旗として制定し、その翌日に朝鮮民主主義人民共和国を建国した。以後、朝鮮民主主義人民共和国が統治する北朝鮮で太極旗は使用されていない。大韓民国の国旗に関する事項は、別途特別な法規定が無い限り、大韓民国国旗法(2007年1月26日公布、2014年1月28日最終改正)に従って運用される(同法第3条)。太極旗が大韓民国の国旗であることは、同法第4条で明記されている。韓国において太極旗は、韓国という国家を具現化する道具として扱われており、1972年には韓国への忠誠心の宣誓として「国旗への宣誓」が制定されている。太極旗の原理の太極と四卦は『周易』が起源であり、韓洪九は、「われわれ固有の文化や伝統ではなく、中国の『周易』からの借りものです。」と述べる。そのため、韓国では「太極旗の韓国化」「脱中国化」が推進されている。例えば、1957年に「わが国旗を大切にする会」発行の『国旗解説』では、太極八卦は檀君の教えに基づいており古朝鮮から使用されてきたと主張している。同じく1995年に大韓民国国旗宣揚会が太極旗変遷史展示会を開催したときに刊行した図録には、1392年製作と称する梵鐘が掲載され、その梵鐘には四卦の太極旗が鮮明に描かれている。韓洪九は、「もし事実であれば驚くべきこと」と評するが、梵鐘の実物は今まで公開されていない。なお、大韓民国国旗宣揚会は、太極旗は檀君の道徳理念を反映していると主張している。元大韓民国教育部長官のは、エジプト・ローマ・アテネ・ビザンチン・アメリカ先住民の土器の遺物や新羅の曲玉など太極と類似した文様を探し出し、「古代の人類共通の宇宙観」を表出しているのであって、中国固有のものではないと「強弁」している。1959年、李瑄根は太極旗のデザインは『周易』から作案されたものではなく、「中国易学者の思考様式」で「これ以上無駄な解釈論議をし続けることは皆が慎むべき」ことであり、「今後誰しも文化教育部が既に決定したところ」に従って「国旗図案の易学的解釈に固執したり、みだりに主張したりしないように求める」通達を出した。太極旗の制作方法は、大韓民国国旗法第7条によって規定されている。同法に基づく制図方法は下記の通りである。太極旗は、白地の旗、旗の中央にある赤と青からなる太極円(太極文様)、及び旗の四隅にある乾()・坤()・坎()・離()の四種類の卦(四掛)によって構成されている(大韓民国国旗法第7条第1項、及び第2項)。韓国政府(行政自治部)は、太極旗の各部に込められた意味合いについて、自国民に対し下記の通りに解釈している。この解釈は儒教経典の一つである『易経』繋辞伝にある「太極-両儀-四象-八卦」の宇宙生成論に由来しており、円で表される天地未分の太極は両儀=陰陽が生じている様子を描き、四方に配されている四卦は八卦を代表する四正卦(乾・坤・坎・離)であると共に、その初爻と第二爻で両儀から生じる四象(太陽・少陰・少陽・太陰)を表すとした、いわゆる伏羲の先天図に通ずる思想である。太極旗は、朱子学にもとづいた先天太極図(古太極図)系統の太極図―いわゆる陰陽魚の太極図―ともいえるが、卦を大きく配して四象を兼ね、より先天図としての特徴が分かりやすい図案になっている。先天太極図と比べてみるならば、まず一般的に白黒で配色される陰陽が、韓国国旗では赤青で彩色されている。また先天太極図に特徴的な陰中陽と陽中陰を表す魚眼(陰陽魚内の丸)が欠けているが、これは魚眼部分が表す坎・離の卦を円外に配して円内は純粋に陰陽両儀のみを表しているためで、先天太極図が円内に太極-両儀-四象-八卦すべてを重ねる構図であるのに対して韓国国旗は太極と両儀、四象と八卦を重ねつつ順に四方へと広げていく構図といえる。周りの卦は伏羲先天八卦方位に配されているが、八卦を四卦に減らしたために四正卦の南北東西が上下左右に配置される先天太極図とは異なり、左上・右下・左下・右上の四隅に配置されている。なお、太極図は中国文化圏に広く普及する図案であり、モンゴルの国旗にも小さな太極図が使用されている。また、韓国との関連性に関係無く、国旗以外の図案やロゴマーク等(大韓航空、シマンテック、ペプシコーラ、浜松市章など)にもしばしば用いられる。2005年頃、アップルコンピュータが商品ロゴに用いた際は、韓国のネット上で話題となった。韓国では全国民が国旗を尊重・愛好しなければならず、国及び地方自治団体は国旗の尊厳が維持されるように必要な措置を講じなければならない(大韓民国国旗法第5条)。そのため、韓国ではデモ活動等で国旗を意図的に毀損した場合韓国警察に逮捕される可能性がある。ただし実際の運用面において、国旗が上下逆さまだったり間違った図案の国旗を使用したケースが、韓国外はおろか国内においても、イベント時の掲揚やテレビのニュース配信の際に度々ある。太極旗は、下記のいずれかに該当する場合は掲揚されなければならない(大韓民国国旗法第8条第1項)。国家と地方自治体、公共団体の庁舎は国旗を年中掲揚なければならず、下記の場所でも可能な限り年中国旗を掲揚することが求められる(大韓民国国旗法第8条第3項)。また、学校や国軍部隊の掲揚台においても、毎日日中のみ国旗を掲揚することになっている(同法第8条第4項)。太極旗は毎日24時間掲揚することが出来るが(大韓民国国旗法第8条第2項)、夜間には適当な照明が必要とされる(同法第8条第3項)。また、旗が激しい雨・雪・風等で毀損される恐れがある場合は、掲揚しない(同法第8条第5項)。国旗を日中のみ掲揚する場合は以下のように行う(同法第8条第6項)。韓国に関連した組織では、しばしば太極旗のデザインを応用した旗を制定している。韓国海軍の艦首旗(国籍旗)は、青地のカントン部に太極旗を配置した上で、四掛を海軍の象徴である軍艦の錨に置き換えている。また、韓国陸軍の軍旗は、太極旗の太極文様と韓国国花の槿を組み合わせた愛国的なデザインを採用している。その他、在日本大韓民国民団(民団)の団体旗も、太極文様と槿の組み合わせによって、民団と韓国本国との関連性を強調している。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。