大本営発表(だいほんえいはっぴょう)とは、太平洋戦争(大東亜戦争)において、大日本帝国の大本営が行った戦況などに関する公式発表であった。当初は、おおよそ現実に即していた発表を行っていたが、ミッドウェー海戦の頃から海軍による損害矮小化・戦果過大化の発表が目立ちはじめ、勝敗が正反対の発表すら恒常的に行ったことから、現在では「内容を全く信用できない虚飾的な公式発表」の代名詞になっている。当初は陸海軍合同の「大本営陸海軍部発表」、陸軍単独の「大本営陸軍部発表」、海軍単独の「大本営海軍部発表」に分かれていたが、早々1942年(昭和17年)1月には統合され「大本営発表」に改称された。大本営発表は846回行われ、発表の形式としては報道の形でアナウンサーが読み上げるものと、大本営陸軍部・大本営海軍部の報道部長が読み上げるものとの2種類があった。ラジオ発表では、放送前後などに『陸軍分列行進曲(観兵式分列行進曲 / 抜刀隊 / 扶桑歌)』や『軍艦行進曲』といった楽曲が流された。第1回の大本営発表は1941年(昭和16年)12月8日午前6時に行われ、7時にラジオ放送(日本で唯一の放送局だった「社団法人日本放送協会」、現在のNHKラジオ第1放送)で、対アメリカ・イギリス戦(太平洋戦争)の開戦第一報が報道された。以下は臨時ニュースのチャイムの後に当時のアナウンサーが読み上げたその発表文である。この後、マレー作戦や真珠湾攻撃を筆頭とする陸海軍による一連の南方作戦の概況が陸軍部・海軍部・陸海軍部によって続々と発表されている。以下は南方作戦における大本営発表の一例として、また「南方資源地帯の確保」という理由で始められた太平洋戦争において、日本陸海軍および大日本帝国の戦略上最重要攻略目標たるオランダ領東インドの油田・製油所制圧作戦ことパレンバン空挺作戦に関するものである(大本営発表昭和17年2月15日)。開戦翌日の1941年12月9日夜、大本営海軍報道部長前田稔海軍少将はラジオにて国民に対しその大戦果を報告、以下はその声明の末尾で海軍報道部長が語った文章である 。戦況が好調に推移していた開戦以後約半年間は内容もおおよそ現実に即しており、最初期に至っては上陸戦時の軍隊輸送船の被害さえも公表されていたが、日本海軍が大敗した1942年6月のミッドウェー海戦を契機に、海軍は戦意高揚のため大損害の事実を過小に発表するようになった。同年6月10日、ミッドウェー海戦およびダッチハーバー空襲を報じる海軍部の発表(大本営発表昭和17年6月10日午後3時30分)では、「我が方損害」として「航空母艦1隻喪失、航空母艦1隻大破、巡洋艦1隻大破。未帰還機35機」としているが、実際の損害は「航空母艦4隻喪失・重巡洋艦1隻喪失・重巡洋艦1隻大破・駆逐艦1隻大破。飛行機289機喪失」と極めて多大なものであった。これに先立つ同年5月の珊瑚海海戦にて海軍部は既に大本営発表で「戦果の水増し」を行っており、さらに2月のニューギニア沖海戦では実際の撃沈撃破戦果は皆無にも関わらず(かつ陸上攻撃機隊17機中15機を喪失する大損害)、言葉を濁しつつも「航空母艦1隻撃沈」という虚構の大戦果を発信している(「航空母艦1隻大破、大火災……その被害状況等より察し撃沈せられたるものと認めらるるもその終焉まで見届くるに至らざりしを以て沈没確実ならず」)。以下はミッドウェー海戦を報じる大本営発表昭和17年6月10日午後3時30分の抜粋である。一方で、主に陸軍による陸戦ではガダルカナル島の戦い(ケ号作戦)における「撤退」を「転進」、アッツ島の戦いにおける「全滅」を「玉砕」と言い換えるなど間接的な表現を使用しているものの、以後の全滅戦であるクェゼリンの戦い、サイパンの戦い、テニアンの戦い、拉孟・騰越の戦い、沖縄戦などにおいては「"全員壮烈なる戦死を遂げたると認む"("全員壮烈なる戦死を遂げたり")」・「"全員最後の斬込を敢行せり"」・「"全力を挙げて最後の攻撃を敢行"("全戦力を挙げて最後の攻撃を実施せり")」・「"○○日以降細部の状況詳かならず"("爾後通信絶ゆ")」などと事実上の敗北を意味する直接的な語句を多用し、各地における日本軍守備隊の全滅自体は素直に認めている。また、「勇戦」・「敢闘」・「力闘」・「多大なる損害を与え」・「大損害を与え」・「敵を撃砕」などといった美辞麗句や取り繕った表現を使用、敵軍部隊損害の過大視こそしてはいるものの、「優勢なる敵軍」・「有力なる敵部隊」・「敵は○○に上陸を開始」・「有力なる米軍部隊は○○に上陸」・「極めて困難なる状況下」・「我に数十倍する敵」・「(日本軍守備隊は)寡兵よく戦い」など、『連合軍は日本軍より戦力で遥かに勝っている、その連合軍の大反攻で日本軍は劣勢下、各地では全滅も相次いでいる』といった苦難の戦況を国民が容易に連想可能な表現をも同時に使用している。さらには、サイパンの戦いや沖縄戦に関する大本営発表では現地の日本人民間人が戦闘に巻き込まれていることも公表している(「"サイパン島の在留邦人は終始軍に協力しおよそ戦ひ得る者は敢然戦闘に参加し概ね将兵と運命を共にせるものの如し"」、「"四、沖縄方面戦場の我官民は敵上陸以来島田叡知事を中核とし挙げて軍と一体となり皇軍護持の為終始敢闘せり"」)。そのため、主に陸軍による陸戦に関する大本営発表は末期においても必ずしも虚報と言えるものではない。例として、以下は太平洋戦争最末期に行われた沖縄戦の事実上の終了を報じる大本営発表昭和20年6月25日14時30分であるが、内容は主に「沖縄守備隊の防衛線は強力な連合軍部隊に突破され、守備隊は最高指揮官以下最後の総攻撃を行い全滅、残存将兵の行方も分からず」というもので、実際の戦況をほぼありのままに発表している。しかし、海戦において撃沈艦船数など明確な戦果を詳述する必要に駆られている海軍の大本営発表は、先述の珊瑚海海戦・ミッドウェー海戦ののち一連のソロモン諸島の戦いを経て、翌1943年(昭和18年)1月のレンネル島沖海戦の頃には実際の戦況たる現実からすっかり乖離した虚報と化していた。これらの過大かつ誇張された戦果発表がなされた原因のひとつに、大本営が戦況を正確に把握していないことがあり、現地部隊指揮官の報告した戦果をそのまま発表したために現実と乖離した報道となった場合も多い。一方で、大本営においても大本営陸軍部参謀堀栄三中佐のように、海軍の過大戦果発表を疑問視する者は存在していた。なお、開戦前の1941年から1944年までの期間、大本営発表のみならず各種の宣伝・広報に携わっていた大本営陸軍報道部員(兼陸軍省報道部員)平櫛孝少佐は、「陸軍報道部員が愚直なほどのやぼてん人間の集まりだったということにつきる」と前置きしつつ、当時、強気・虚構の発表を次々と行う海軍報道部に対して陸軍報道部員が抱いていた感情や、陸軍報道部内の空気を以下の如く述懐している。なお、戦時中の戦争報道は大本営発表に寄らず、現地にいる報道班員による報道が、新聞などの各マスメディアにて盛んに行われており、その中では最前線における兵站の補給難、兵士の飢餓、マラリアやデング熱など感染症の蔓延、連合国軍の圧倒的な戦力といった実情は、おおむね伝えられていた(例として、多数の餓死者の出たガダルカナル島の戦いについて、陸軍報道班員の手記を集めた『ガダルカナルの血戦』(昭和18年7月20日発行)では「戦う勇士は、戦う前にまず飢餓を征服しなければならなかった」など飢餓の蔓延や補給の苦難について詳細に述べている)。かつ、大本営発表自体でも主に陸軍発表では上述の通り日本軍の苦戦は伝えられている。俗説で、しばしば大本営発表の内容だけを引用して「戦時中の日本国民は前線の悲惨な実情を伝えられなかった」とされることがあるが、それは誤りである。1945年8月6日の広島市への原子爆弾投下に関する大本営発表は以下の通り。一方で同月9日の長崎市への原子爆弾投下に関しては、原子爆弾による国民への影響を懸念して、一般の空襲情報と同じ軍管区司令部発表(西部軍管区司令部発表)で公表されている。9日のソ連対日参戦に関しての第一報は以下の通り。大本営発表としての放送は、戦闘行動が続いていた1945年8月14日、第840回を数えた段階で実質的に終わった。その最後の大本営発表の内容は以下の通りで、神風特別攻撃隊による虚構の戦果を公表するものであった。玉音放送の放送が終わった敗戦後は「大本営及帝国政府発表」との名称で、第841回(8月21日13時)、第842回(8月21日17時)、第843回(8月22日15時30分)、第844回(8月23日17時30分)、第845回(8月24日17時30分)、第846回(26日11時)まで、計6回行われた。内容は陸海軍の行動でなく、アメリカを中心とする連合国軍の日本占領に関わる事項を伝えることに終始した。最後となる第846回の発表全文は以下の通り。1943年11月から12月にかけて行われた6次に渡るブーゲンビル島沖航空戦は日本の惨敗に終わったが、大本営海軍部は虚偽の多大な戦果を発表し続けた。この発表は、ラジオ・トウキョウを通じて欧米にも受信されており、日本の戦果発表を真に受けた投資家の行動によって、ニューヨーク証券取引所の株価が下落し、アメリカ経済を混乱させた。これに驚いた連邦政府は事態の収拾を図るために、アメリカ海軍長官フランク・ノックスに「日本の発表は絶対に真相ではない」との声明を出させた。後に類似の事態が台湾沖航空戦でも発生している。虚偽報道が期せずしてブラックプロパガンダとなった好例である。大本営発表は上記のような歴史を持つため、この名称「大本営発表」は転じて、天皇皇族、日本国政府関係者、財界人、権勢を誇る組織・団体(あるいは有名人など)に利する目的で作成された情報操作や虚偽が含まれている可能性が高い「公式発表」(広報文書や記者会見、文書のみでの回答等)を揶揄しつつ、『全然信用出来無いデタラメな発表』として呼ぶため、用いられるようになった。この「公式発表」のみを情報源とするのが発表報道である。また、田原総一朗は、東日本大震災での福島第一原子力発電所事故に際し、日本の報道が「危機感を煽ることを抑えて、極端な情報は出ていない」のに対して、世界の報道では福島第一原子力発電所を「最初から原子炉の炉心溶融を前提にした報道内容」で、国内外で報道内容の乖離があり、日本国内のマスメディアでは、独自取材が少なく、東京電力や日本国政府の公式発表に頼っている姿勢を、『大本営発表に頼りすぎている』と批判した。
出典:wikipedia
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