赤塚城(あかつかじょう)は、現在の東京都板橋区赤塚五丁目にあった日本の城。遺構は現存しないが、城址は東京都立赤塚公園の一部として整備され、広場、梅林、桜並木などがある。康正2年(1456年)に市川城から移った千葉自胤によって築城されたと伝えられる。但し、伝承によればそれ以前に源頼朝が挙兵後に徳丸を通過した際に立ち寄ったとも言われており、正確なところは不詳である。赤塚千葉氏は後北条氏の有力な家臣として活躍したが、天正18年(1590年)に豊臣秀吉の小田原征伐で後北条氏が滅亡すると、千葉氏も所領を没収され、赤塚城は廃城になった。現在は赤塚城址として板橋区史跡に指定されている。周囲は都立公園として整備されているが、城跡というより憩いの広場の様相であり、本丸跡を示す石碑の他には空壕などの遺構がわずかに残るのみである。ふもとの赤塚溜池公園は毎年3月上旬頃「赤塚梅まつり」で賑わう。穏やかな休日には付近を散策する人も多い。中世の平山城だが、実際には砦と呼ぶべき規模の物であったらしい。本丸は武蔵野台地北東端の段丘の上に築かれており、城の北側は徳丸ヶ原と呼ばれる湿地帯だった。ため池は赤塚城の内堀だったとされるが、周囲の開墾が進んだ明治以降は農業用水として使用され、今日では釣りの楽しめる池として親しまれている。現在は小高い丘に本丸跡の「赤塚城址」があり、ふもとに板橋区立赤塚溜池公園、板橋区立郷土資料館、板橋区立美術館が隣接する。徒歩数分圏内には東京大仏(赤塚山乗蓮寺)(二の丸跡)や板橋区立赤塚植物園がある。鉄道:バス:
出典:wikipedia
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