『びんびんシリーズ』とは、フジテレビ系列で1987年から2000年代にかけて断続的に放送されているテレビドラマのシリーズ。制作は東宝。徳川龍之介(田原俊彦)と榎本英樹(野村宏伸)のコンビが、作品ごとに役どころを変えながら活躍する作品で、2人にとって最大の当たり役とも言われている。連続ドラマとしては「月9」枠で、毎週月曜日21:00 - 21:54(JST)に3シリーズが制作され、スペシャル版が断続的に何度か放送されている。『ラジオびんびん物語』は、1987年8月3日から9月21日まで放送された。シリーズ第一作。実在のラジオ局であるニッポン放送を舞台に、徳川龍之介・榎本英樹がラジオ局の営業マンとしてドタバタ劇を繰り広げた。シリーズ平均視聴率は17.7%。ニッポン放送が舞台である事から実際に放送されていた同局の番組宣伝がドラマ内で行われたほか、同局の看板アナウンサーである上柳昌彦もキャストに名を連ね、複数回出演していた。さらにはニッポン放送のイメージキャラクターでもあった南野陽子が「ナンノこれしきっ! スペシャル」(実在した番組ではあるが、「スペシャル」は劇中番組であり架空のもの)に出演するという設定でゲスト出演するなど、当時同局で放送されていた番組の出演者(「番組協力」という形)や同局アナウンサーなどが毎回、数シーンゲスト出演していた。『教師びんびん物語』は、1988年4月4日から6月27日まで放送された。シリーズ第二作。ドーナツ化現象の進展により大幅に生徒数が減少した東京・銀座の銀座第一小学校(中央区立泰明小学校がモデルとされている)を舞台とした学園ドラマ。シリーズ平均視聴率22.1%、最高視聴率24.9%を記録した。熱血教師・徳川龍之介とその後輩の教師・榎本英樹のコンビを中心に、小学生の揺れ動く心理状態や、近隣の小学校との統廃合問題で揺れる学校運営などを描いた。1988年10月6日放送。徳川・榎本の二人がセキュリティポリスとなり、某国王女の身辺警護を務める中でのドタバタを描いた。日本版「ローマの休日」。田原・野村のほかに、小林聡美や池上季実子が出演している。『教師びんびん物語II』は、1989年4月3日から6月26日まで放送された。シリーズ第三作。徳川龍之介がひょんなことから東京・御茶ノ水の名門私立小学校「聖橋大学附属小学校」(ロケ地は昭和第一高等学校)に赴任し、中学受験を目指す児童たちを教えることに。慣れない進学校での勤務でも相変わらずの熱血指導を行う徳川と、受験戦争の中で苦しむ児童達とのふれあいを描いた。シリーズの平均視聴率26.0%、最高視聴率31.0%を記録(月9初の30%以上を達成)し、シリーズ最大の成功作となった。蛭子能収が芸能界でのデビューとなった作品でもある。徳川と榎本は第1話で初対面という設定であり、前作と物語上のつながりはない。Iでは萩原がダメ教師役、阿藤が教頭役であったが、IIではその立場が逆転している。田原が歌う「ごめんよ涙」も大ヒットした。1989年12月にVHSでソフト化されている。1989年10月4日放送。びんびんシリーズの出演者のNG集やインタビューなど。1999年5月14日放送。題名の通り徳川・榎本コンビが巡査に扮したサスペンスタッチの作品。びんびんシリーズとしては10年ぶりの復活となった。視聴率18.3%。当時田原はほとんどタレントとしての仕事がない状態だったことから、その境遇を見かねた野村が田原の再起のきっかけにしてもらおうと、フジテレビの関係者にびんびんシリーズの復活を提案したことが同作品制作の発端だと言われている。2000年3月17日放送。徳川は雇ってくれる学校がなく、コンビニでアルバイトをしていた。一方榎本は私立高校の教師となっていたが、急遽学校の事情で教頭に抜擢される。ところが榎本の勤務する高校では、他の高校との合併が計画されており、裏ではそれに伴い教員のリストラや問題児の処理(実質的な追放)が画策されていた。そんな学校に、産休に入った教員の代わりということで徳川が採用され赴任してくるのだが…。このスペシャルでは榎本が結婚しているほか(榎本の妻役は横山めぐみ)、舞台が高校となっている(他のシリーズでは全て小学校が舞台)など、他の「教師びんびん」シリーズとはやや毛色の異なる作品となっている。2001年3月16日放送。学校を辞め学習塾の教師となった榎本と、都内の公立小学校の教師を務めている徳川。そんなある日、徳川の教えるクラスに在籍するある生徒が病気で長期入院するが、親の希望で他の生徒には「親の仕事の都合で急遽転校することになった」と説明。それが発端でいろいろとドタバタが起きる。
出典:wikipedia
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