『正論』(せいろん)は、産業経済新聞社が発行している月刊誌。1973年11月創刊。また産経新聞でも同名のオピニオン欄が連載されている。現在の編集長は小島新一。第二次世界大戦後の日本が復興を果たし高度経済成長で変貌をとげていくなかで、対外的には冷戦とイデオロギーの対立、国内的には、学園紛争や、進歩的文化人という左派勢力全盛の時代が到来したことから、1973年、「日本の自由な社会と健全な民主主義を守る」との信条に基づき、『サンケイ新聞』(現・産経新聞)6月25日付朝刊で、紙上に「正論」欄を新設した。この第1回は猪木正道の『悪玉論に頼る急進主義』だった。さらに、オピニオン面にこの「正論」を掲載するとともに、月刊「正論」を発行した。1990年2月より長期に渡り編集長を務めた大島信三時代に部数を伸ばした。本誌編集部を取材した『アド広報インテリンジェンス』を含め、右派雑誌の代表のようなイメージへの言及は多いが、大島は「(創刊時に比べて)時代状況は変わったかもしれませんが、急に愛国心を訴えたりもしない。ナショナリズムを声高に叫びたくもないですね」と述べた。また、世間が右傾化しているために部数が伸びているのではないかという質問に対して大島は「そうであるならば保守系の雑誌はもっと部数を伸ばしてもいいはずです。あまりイデオロギー的な時代状況は考えたことはありません」と回答している。また、大島はナショナリズムへの距離を置くために副島隆彦や福田和也などにも原稿を依頼した事例を挙げている。2006年1月には、上島嘉郎が編集長に就任した(その後、『正論』本体の編集長も兼任)。同時期の2006年1月からは『別冊正論』を季刊で扶桑社から発行している。一つのテーマに絞って特集を組む形式となっている。また、臨時増刊号や特別号も刊行されている。保守系の政治家や政党を好意的に取り上げている。一方、左派のメディアや人物を批判しており、メディアでは特に朝日新聞やNHKを批判している。外交面では、日米同盟を重視しており、歴史問題、領土問題、拉致問題などの政治問題、外交問題を抱える、中国(中国共産党)、韓国、北朝鮮(朝鮮労働党)、ロシアなどの諸国家について批判している。また、反原発にも批判的である。臨時増刊号や特別号ではこれらについての特集が組まれている。執筆者は概ね産経新聞のコラムや正論欄と同様の論調であり、産経本紙の正論欄の寄稿者や記者も加わっている。『広報IRインテリジェンス』2007年4月号によれば、当時編集長であった大島は編集のポイントとして「大いなるマンネリズム」を掲げ「いまどきオードリー・ヘプバーンを表紙に使っている雑誌はうちしかない。だからこそ読者は書店でもうちの雑誌をすぐ見つけられる。内容も読者が目をつぶって開いても大体分かるようにしてある。勿論いい内容の論考を掲載することが前提であることは言うまでもありません」と述べた。『アド広報インテリンジェンス』によれば、編集部は編集長の他はスタッフ3名のみだが、上部組織として正論調査室がバックアップしている。編集会議は月末に販売、広告、宣伝担当を加えて定期開催、企画に関しては随時検討を行っている。ライターに対しては「大上段に正論を振りかざす論調ではなく、読者に分かりやすく書いてほしい」と頼んでいると言う。カラーページが2000年代後半に至っても毎号2ページしかなかったが、経費節減のためだという。売上面では長らく先発の保守オピニオン月刊誌『諸君!』(文藝春秋社)の後塵を拝していたが、1990年代に部数を伸ばし、『諸君!』とともに保守論壇の中核的月刊誌としての地位を得た。具体的な数字としては大島信三が編集長に就任した1990年には2・3万部程度だったものが、2000年代には10万部を超えた。大島は、部数伸張の一因として読者投稿欄を充実させたことを挙げている。本誌の場合は毎号50ページ程度を割いており、大島は「今は誰もが世の中に何かを訴えたい、自分の思いをぶつけたいという欲求がある」と述べている。その他、大島は「宣伝費は増やさず、口コミで読者が増える作戦を展開」など寄しくも噂の真相と似た手法を回答している。その後、2009年1-3月の発行部数は6万5650部に減少しているが、それ以降の発行部数は一般社団法人・日本雑誌協会では公表されていない。物故したため担当連載が打ち切りになった。(肩書きは終了時点のもの)
出典:wikipedia
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