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ディープ・スロート (ウォーターゲート事件)

ディープ・スロート()とは、1972年にアメリカで起こったウォーターゲート事件で、事件を調査報道した『ワシントン・ポスト』のボブ・ウッドワード記者に指導する形で情報を示した、当時のニクソン政権内部の重要な情報源の人物の通称である。長い間正体は不明であったが、事件から33年後の2005年になってその人物の正体が判明した。ウォーターゲート事件は1972年6月17日深夜に、米大統領選挙の予備選挙のさなかに、ワシントンのウォーターゲートビルにあったアメリカ民主党本部に5人の男が盗聴装置を取り付けるために侵入して逮捕されたことから始まった事件で、その後に当時のリチャード・ニクソン大統領の再選委員会の警備主任が犯行に加わっていたことが発覚した。直後に水面下でホワイトハウスの大統領補佐官らがすぐにもみ消し工作を行い、ニクソン大統領は事件6日後にこのもみ消し工作を承認した。当初は事件の詳細がつかめず、「三流のコソ泥事件」とされて同年11月の大統領選挙には何ら影響せず、ニクソン大統領が再選を果たした。この間もマスメディアも事件への関心は薄く、唯一『ワシントン・ポスト』のみが事件の報道を続けていたが、翌年の1973年3月に侵入犯のマッコードが証言でニクソン再選委員会及びニクソン政権側近が関与していると暴露し、その後に数々の不正の発覚やもみ消しを否定したニクソン大統領への疑惑が拡大して、やがて大統領執務室での会話を録音したテープの存在が明らかになってから、このテープの提出をめぐる大統領側と議会・特別検察官側との攻防が続き、特別検察官の解任、司法長官及び次官の辞任、最後には大統領のウソが録音テープから明らかになって下院で大統領弾劾の発議がされて、ニクソン大統領は辞任に追い込まれた。ウォーターゲート事件が起こった1972年1月に公開され、大ヒットしたポルノ映画『ディープ・スロート』からで、当時の『ワシントン・ポスト』編集局次長によって名付けられた。当初、この事件は単なる「盗聴騒ぎ」としてそれほどには注目されていなかった。そのなかで『ワシントン・ポスト』の2人の記者、ボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインは事件発覚の日から取材を続けて、やがて取材に限界を感じていたボブ・ウッドワードは3年前の海軍在籍時にホワイトハウスに書類を逓送する役目の時にたまたま同席した「政権内部の重要人物」と親しくなり、その後も彼と接触を続けていたことで、1972年10月の深夜にワシントンのポトマック河畔のある駐車場で「政権内部の重要人物」と会い、事件の真相についてに彼に聞いたことがこの「ディープ・スロート」の発端である。ボブ・ウッドワードはこの重要な取材源を隠すことに最大限の注意を払い、彼も自らの話を記事にすることをしないことをウッドワードに約束させて、ウッドワードとの話に応じた。ただし、後にウッドワードが述べているように、一般的に政権内部のことについての情報を提供したことはなく、「政権内部の重要人物」はウッドワードの問いかけに具体的に答えることはせず、どこに行けばそれに関した重要な情報が得られるか、そのことを伝えていた。ウッドワードはやがてこの「政権内部の重要人物」からの情報を柱に違う角度からの記事を書いていき、そしてワシントン・ポスト内でこの重要な情報源の人物を編集局次長が「ディープ・スロート」と名付けた。「ディープ・スロート」は厳密には内部告発を行なったわけではなく、世間に対して自ら何かを訴えたわけでなく、情報を自分で漏らしたわけでもない。情報を入手して世間に明かしたのは、『ワシントン・ポスト』の2人の記者である。具体的に「ディープ・スロート」が行ったのは、情報を得る方法を記者達に示唆したことである。「ここに情報がある」という風に直接的に情報を示すかわりに、「こういう情報を探せ」という様な道筋をおおまかに示した。具体的に道筋を見つけたのは、あくまでも記者たちの仕事だった。その後、ウッドワードが取材し見つけたものに対して、「ディープ・スロート」は「それではまだ不足だ。もっと探せ」とか、「同じ種類の情報をもっと探せ。二重チェックせよ」などと言い、あるいは「それでいい」と合格点を与えることもあった。「ディープ・スロート」は、どのような情報があるかを明らかに知っていたことになるが、自分で直接教えることはしていないため、秘密漏洩をしたわけではない。「ディープ・スロート」が誰なのかは、長い間謎であった。一般には「ディープ・スロート」は、ウォーターゲート事件の真相を知っていたが、何らかの理由で自ら告発者となることが出来なかったと考えられた。ニクソン政権幹部で、事件の隠蔽工作を行ったとされるフレッド・ラルーや、ジョージ・H・W・ブッシュ、ヘンリー・キッシンジャーらの名が噂された。また、レン・コロドニーとロバート・ゲトリンの著書「静かなるクーデター」(新潮社刊)では、ペンタゴンからニクソン政権に送り込まれた大統領特別補佐官アレクサンダー・ヘイグ准将以外ではありえないと論じられた。そして2005年5月31日、事件当時のFBI連邦捜査局副長官だったマーク・フェルトが自分が「ディープ・スロート」であったことを、雑誌「バニティ・フェア」の記事をきっかけとして、公表した。事件を取材したウッドワードもマーク・フェルトが「ディープ・スロート」であったことを認め、ウッドワードはその年の秋に内幕を明かした『ディープ・スロート 大統領を葬った男』(伏見威蕃訳、文藝春秋、2005年10月)を刊行している。マーク・フェルトは2008年12月18日、カリフォルニア州サンタローザ市内の自宅で95歳で死去している。ただし、後に明らかになったことだが、1972年10月にウッドワードとフェルトが初めて「密会」してから数日をおかずに、大統領執務室の録音テープから、ハリー・ロビンス・ハルデマン補佐官がワシントン・ポストに情報を入れたのはマーク・フェルトであったとニクソンに報告している。その報告の情報源はワシントン・ポスト内であったと、ウッドワードは後にその著作で書いている。「ディープ・スロート」の正体がマーク・フェルトであったことが明らかになると政権幹部としてその行為への様々な評価が噴出した。元上院議員のマイク・グラベルは「彼は英雄であり、自由勲章を与えられるべきだ」と告発を称賛した。一方、ニクソンのスピーチライターでもあったパトリック・ブキャナンは「彼が30年以上隠し通してきたのは、自分の行為を恥じているからだ」と非難した。43代大統領ジョージ・W・ブッシュは、マーク・フェルトの評価について「判断するのは難しい」と述べた。動機の一つに、マーク・フェルトのFBI長官昇進問題への個人的な不満があったとされる点も、評価が分かれる一因とみられる。映画監督アンドリュー・フレミングは、「ディープ・スロートの正体はわずか15歳の2人の女子学生であった」とする大胆な設定のコメディー映画『キルスティン・ダンストの大統領に気をつけろ!』(1999年。キルスティン・ダンスト、ミシェル・ウィリアムズ主演)を製作した。コミック『ウォッチメン』においてアラン・ムーアは、ニクソンに送り込まれたヒーロー「コメディアン」によってウォーターゲート事件は隠匿され、結果ニクソンが大統領の座に座り続けたとする歴史改変を行っている。ゲーム版においてはこの一件が中心となっており、ディープ・スロートことフェルト、およびワシントン・ポストの記者ウッドワードとバーンスタインらが殺害されるに至った経緯が描かれる。テレビドラマ『X-ファイル』に登場する情報提供者の名も同じディープ・スロートで、設定はウォーターゲート事件で『ワシントン・ポスト』に情報提供した人物とされている。転じて、現在「ディープ・スロート」は、「政府の不正行為に関する情報を提供する高官」「内部告発者」「密告者」などを意味する慣用句として使われている(ただし、上記の通りディープ・スロートは自ら内部告発や不正の暴露を行ったわけではない)。

出典:wikipedia

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