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オセロ (遊戯)

オセロ (Othello) は、2人用のボードゲーム。交互に盤面へ石を打ち、相手の石を挟むと自分の石の色に変わり最終的に石の多い方が勝ち。単純なルールながらゲームとしての複雑さは人間がゲームの木の全展開を把握可能な程度を超えており、いまだにコンピュータによる全解析は達成されていない。“A minute to learn, a lifetime to master”(覚えるのに1分、極めるのは一生)がオセロのキャッチフレーズである。オセロは商標であることから、ほぼ同一ルールのゲームとして「リバーシ」「白黒ゲーム」「源平碁」の名称が使われることもある(リバーシ・源平碁・白黒ゲームの節も参照)。一言で言えば、プレイヤーは「石を黒白交互に挟むように打ってひっくり返し、最後に石が多い方が勝ち」となる。具体的には次の通りゲームを進めていく。オセロは先手が黒、後手が白である。公式ルールにおける黒白の決定は「伏石」というコイントスに近い方式で行われる。引き分けを認めない場合は、段級位が上の者が石を1個、相手に見えないように手で隠して盤の上に置き、上面の色を相手が当てる。的中であれば的中させた者が、不的中の場合は石を隠した者が「黒番・白番を選ぶ権利」、あるいは「石の数が同数で終局した場合に勝者となる権利」のどちらかを選択する。引き分けを認める場合は、同様に段級位が上の者が石を隠し、相手が上面を選択してその面の色の手番を持つことになる。引き分けを認めるか否かは大会によって異なる。オセロは黒白の有利不利はコンピュータでは解析されていない。終局までパスがない場合、最後に打てるのは白なので白有利とする選手もいるが、黒番は定石を主導できることが多く、黒を得意とする選手もいる。ハンデをつける方法としては、対局前に隅に次の通り黒石を置く方法で行われる。ハンデ戦の場合は下手が黒を、上手が白を持つが、上手先手で対局を開始する。オセロの形勢を判断するとき、石の数の多寡で考えられることも多いが序盤・中盤では誤解であり、序盤・中盤の形勢判断は石の数ではなく打てるマスの多寡でなされるものである。1973年に日本の長谷川五郎がオセロを発表し、発売と共に玩具業界としては空前の大ヒット商品となり一家に一台あるといわれるほどスタンダードゲームとなった。以来、何十回もの全日本オセロ選手権大会や世界オセロ選手権大会(ともに後述)が毎年開催されている。オセロの名称の由来はシェイクスピアの戯曲「オセロ」で、「黒人の将軍・オセロと白人の妻・デスデモーナを中心に敵味方がめまぐるしく寝返るというストーリーに、黒白の石がひっくり返りながら形勢が次々変わっていくゲーム性をなぞらえた。緑の盤面は、戯曲オセロの戦いの舞台、イギリスの緑の平原をイメージして作った」と日本オセロ連盟のサイトに長谷川のコメントが記載されている。このネーミングは長谷川五郎の父親で、旧制水戸高等学校(水高)の教授であった長谷川四郎によるものである。なおオセロの大ヒットに伴い、シェイクスピア関係の様々な名称を商標登録する企業が当時続出したが、オセロ以外でヒット商品の名称になった事例はその後ほとんどない。オセロの誕生に至る歴史は日本オセロ連盟のサイトに長谷川のコメントが記載されている。『オセロは第二次世界大戦が終わって間もない頃、茨城県の水戸市で生まれたゲームで「黒板をおいた青空授業が9月から始まりました。オセロの原型はそういう環境の下に生まれました。囲碁(相手の石を囲んだら取る)をよく知らない中1の生徒達のガヤガヤワイワイの中から、相手の石を挟んだら取るというルールが生まれました』。しかし、長谷川はその後積極的にこのゲームをすることはなかった。長谷川は1960年代末から製薬会社の営業として仕事をしていたが、入院中の患者に時間潰しのゲームを要望された際、囲碁や将棋を教えたがなかなか患者たちは馴染まず、妻と家庭の牛乳瓶の紙蓋を集めて現在のオセロを自作、教えたのが今に至るオセロのきっかけである。1963年頃には長谷川の自宅で数人の仲間とゲーム研究と実験が繰り返され、最初に8×9の盤で間接挟みでも石を返す複雑なルールのものができた。1970年10月頃、メルク社(西ドイツの製薬会社)からチェスセットが日本の薬品関係者に贈られると、長谷川は今まで実験中であったゲームを8×8のチェス盤を用い、このチェス盤にぴったり合う牛乳瓶の紙蓋を石に選び、複雑な間接挟みをやめて簡明な直接挟みのみのルールに整理し、「オセロ」と命名した。長谷川自身が担当していたある病院の医局長から、「このゲームは社会復帰を目指す患者のリハビリに適し華がある」と太鼓判を押されたといわれるほど評判になり、初期の全日本オセロ選手権大会の実力者に病院関係者が多いこともそれを裏付けている。最初に製作されたオセロの石のサイズ(34.5ミリメートル)は、当時の牛乳瓶の紙蓋とほぼ同じ大きさである。これは長谷川が商品化に向けてオセロを試作した際、牛乳瓶の紙蓋を用いて石を製作したためである。現在も公式試合ではこのサイズの石を用いている。オセロは1973年4月25日に「オフィシャルオセロ」が発売され、それ以降オセロ盤のバリエーションが順次追加されている。オセロの競技人口は、 2001年に長谷川氏が著した文献『オセロの勝ち方』 によると約6000万人と書かれている。 ただしこの競技人口は、ルールを知っている人全てが含まれており、参考扱いでもある。将棋(600万人:レジャー白書)や囲碁(220万人:レジャー白書)、チェス(レジャー白書では調査対象外。日本チェス協会のサイトで確認できる会員名簿では400人弱)などに比べると多いとしているが、定義を統一した調査を行われたわけではない。現在はコンピュータゲームやスマホゲームが全盛の中、アナログゲーム同士を比べる意味は低くなっている。なお、休み時間の遊戯用として小学校の教室内にアナログのボードゲームであるオセロ盤や将棋盤などが置いてあるケースがよく見られている。また、オセロ盤を設置する老人ホームやデイサービスセンターが増え、ゲームを楽しむ高齢者も多くいる。以下のように、何度かの変遷をたどっている。1973年のオセロ発売当初、オセロの商標だけでなくオセロの形式(8×8の緑盤、黒白のひっくり返す石等)は意匠権があった。ゆえに当時長谷川が商品化を持ち込み販売を応諾したツクダが商標権、意匠権に基づき独占販売を行ってきた。しかし意匠権の20年の期限が切れた現在、商標を除けば他メーカーでも同様のゲームを販売することは可能となっており、現在類似ゲームはネットを中心に数多く見られるようになっている(リバーシ、白黒ゲーム等)。安価なポータブルゲームとして、コンビニや駅前の店などに、リバーシ、白黒ゲーム等の名称でオセロとほぼ同じゲームが販売されていることも最近は見かけられる。また長谷川は、オセロの盤面を8×8から10×10に拡大した「グランドオセロ」、そこから隅を切り落とし、八角形状にして8つの隅を持つ「エイトスターズオセロ(旧称『88オセロ〈エイティエイトオセロ〉』)」を考案して市場に送り出したが、これらはマイナーゲームの域を出ていない。コンピュータゲームやスマホゲームが全盛の中、アナログのボードゲームの売上は減少しており、オセロもその例外ではない。アナログのボードゲーム販売強化手法の一つとして、オセロと他の家庭用ボードゲームを一緒にして販売されるケースも多い。この場合、オセロ石を活用して様々なバリエーションの派生ゲームが追加されるケースもある。オセロの石を使って、マス目の少ない囲碁、おはじき、積み木崩し、トランプのチップ等で遊ぶケースがあるが、日本オセロ連盟が公式にルールを定めたものはない。1973年にオセロがヒットする以前、オセロと似た白黒の駒を使うボードゲームとして「リバーシ (Reversi、レヴァルシー)」や「源平碁」があった。当時のこれらのゲームについては、1981年に長谷川が著した文献『オセロの打ち方』には「(オセロの)原型」として紹介されている。オセロと比べ「非常に似通っている」または「全く別のゲームに近い」等、様々な意見がある。後述の現物や文献を参照のこと。「源平碁」は昔の現物の写真がインターネット上で確認できる。また世界オセロ連盟のホームページに、オセロとリバーシを比較したコメントがある。源平碁の説明書を読むと、パスのルールがはっきりしていないなど、ルールに曖昧な点がある。「リバーシ」については、『世界遊戯法大全』(松浦政泰 編、1907年、博文館)においてはレヴァルシー(Reversi)という記述があるが、英語表記を見ればわかる通り「リバーシ」について記述されたものである。初期配置は図を見るとオセロと同様であり(色は異なる)、パスの場合は相手が打てること(パスが連続したら連続して打てること)、隅を取れば有利になるといったことも書かれている。これらは別のゲームだが「オセロ」は商標であることと、現在のオセロのルールが世界標準であることから、オセロの販売メーカー以外の他社からオセロとほぼ同ルールのゲームが「リバーシ」や「白黒ゲーム」等の名称で販売されることがあり、この場合は盤や駒もオセロとほぼ同じタイプのものが使われている。このため、現行の「リバーシ」はオセロの別名のような扱いをされることが多い。オセロにはルール上偶然の要素はない。ゲーム理論では、オセロは将棋やチェス、囲碁、囲連星などと同じく二人零和有限確定完全情報ゲームに分類される。オセロはルールが単純であるため、古くからプログラミングの教材として、あるいは実際の製品としてコンピュータ上で開発されてきた。1980年には、家庭用ゲーム機である Atari 2600用のオセロが発売されている。また、アスキーによりオセロプログラムを対局させる「マイクロオセロリーグ」が企画され、その模様は記事として掲載された。1986年には同社からオセロを題材とした思考ゲームのプログラミング解説書も出版された(森田ら(共著)『思考ゲームプログラミング』)。当初はコンピュータの性能が低かったため人間は容易にコンピュータに勝つことができた。しかし徐々に、特に終盤でコンピュータに読み切られて圧倒されるようになった。1997年に当時のオセロ世界チャンピオン村上九段がコンピュータに6連敗したことが転換期となり、現在高性能のオセロプログラムには人間はまず勝つことができない。例えば無料オセロアプリケーションであるゼブラはパソコン及びスマホで利用できるが、極めて強く人間で勝てるのは世界チャンピオンクラス以外は存在しない。歴史順としては、探索空間の狭い順にチェッカー・オセロ・チェスにおいてコンピュータが人間のチャンピオンに勝利し、その後は将棋や囲碁が焦点になっていった。チェッカーについては双方の最善手が解明されているが、オセロはまだ完全には計算されていないゲームのひとつである。オセロの盤をn×nに一般化した場合、ある与えられた盤の状態においてプレイヤーが必ず勝つことができるかを判定する問題はPSPACE完全であることが分かっている。盤の大きさが4×4あるいは6×6のケースは全て計算されており、例えば6×6のケースについて双方が最善の手順を取った場合、16対20で後手が必勝となることがその手順とともに解明されている。しかし8×8の局面数に対しては、現時点では最善手順は発見されていない。全日本オセロ選手権大会(1973年~)や世界オセロ選手権大会(1977年~)など、幅広く大会が行われている。なお第1回世界オセロ選手権大会は東京で行われているが、現在でも日本は世界最強国である。2006年に行われた第30回世界オセロ選手権大会は、三十(みと)と、オセロの発祥地である茨城県の水戸市をかけて同市で行われた。

出典:wikipedia

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