川崎 尚之助(かわさき しょうのすけ、天保7年(1836年)11月 - 明治8年(1875年)3月20日)は、江戸時代末期(幕末)の洋学者、会津藩士。尚斎と号した。一説には天保7年(1836年)11月、但馬国において、出石藩士川崎才兵衛の子として生まれたとされる。長じて後、江戸に出て、坪井為春らに蘭学、舎密術(化学)を学び、神田孝平、加藤弘之らと並ぶ屈指の洋学者として知られたという。江戸において会津藩の山本覚馬と知己になり、その縁から、会津藩藩校・日新館の蘭学所において蘭学を教授し、鉄砲・弾薬の製造も指導した。慶応元年(1865年)、山本覚馬の妹・八重(後の新島八重)と結婚。会津戦争では、八重と共に鶴ヶ城籠城戦に参加した。その後の尚之助について、かつては、江戸において手習いの師匠として暮らしたとの説が有力であったが、平成23年(2011年)に北海道立文書館にて発見された史料によると、会津松平家の家名存続が許され下北半島に3万石で立藩された斗南藩に移住、外国商人と米の取引を行うが詐欺に遭ってしまったために訴訟を起こされ、裁判中の東京で肺炎のため死去したとされている。
出典:wikipedia
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