ハタハタ("Arctoscopus japonicus"、鰰、鱩、雷魚、燭魚、英名:Sailfin sandfish)とはスズキ目に属する魚の一種。別名カミナリウオ、シロハタなど。日本では主に日本海側で食用にされ、秋田県の県魚である。煮魚や焼き魚に調理されるほか、干物、塩蔵、味噌漬けなどにもされ、しょっつると呼ぶ魚醤にも加工される。魚卵はブリコと呼ばれる。寿命は5年で体長20cm程になり、水深0-約550mまでの泥や砂の海底に生息する深海魚である。産卵は海域によって異なり11月から12月で、浅い岩場の藻場を中心に行われる。オスは1歳から、メスは2歳から繁殖活動に参加し、産卵では死亡せず数年間にわたり繁殖をする。餌は、端脚類、橈脚類、オキアミ類、アミ類イカ類、魚類を捕食している。生息域は北西太平洋で、特に日本海、オホーツク海、千島列島、カムチャッカ半島など。沖山宗雄(1970年)により日本周辺に棲息するハタハタの個体群は、3つの地域的な集団に大きく分類できるとされ、そののちのミトコンドリアDNA(mtDNA)の解析により、この3つが遺伝子的にも区別されることが明らかとなっている。また、これら個体群を更に地域群に細分化する研究者もいる。東北地方の太平洋側(三陸沖)での漁獲は少なく、定常的な産卵場所は確認されていない。回遊経路は解明されていないが北海道太平洋群や日本西岸群が三陸沖で捕獲されることから回遊範囲は広いと考えられる。体は体高が高く、左右に扁平でうろこがない。小さな歯が並ぶ大きな口が上向きに斜めに付く。鰓蓋に5本の鋭い突起がある。背ビレは前部と後部が完全に分かれ、かなり離れている。尾ビレ、胸ビレが大きく、特に胸ビレは非常に大きい。浮き袋は持たず、昼間は泥や砂に埋まって目や背ビレだけを出して隠れ、夜に行動する。卵塊(卵)の色は、赤、茶、緑、黄など様々である。色素は胆汁色素、カロチノイド類のイドザンチン、クラスタザンチン、ビタミンA2などで構成されイドザンチンの量によって決定される。色を決定する要因は十分に解明されていないが、餌の生物に含有されているアスタキサンチンを元に自身が生合成したイドザンチン、クラスタザンチンの量が影響していると考えられる。ハタハタは現在の分類学においてスズキ目ワニギス亜目ハタハタ科に属しているが、ミトコンドリアDNAの解析結果によれば、ハタハタはカサゴ目のカジカの仲間に近いことがわかっている。「ハタハタ」は古語では雷の擬声語で、現代の「ゴロゴロ」にあたる。秋田県で雷の鳴る11月ごろに獲れるのでカミナリウオの別名でも呼ばれ、漢字では魚編に「雷」で「鱩」と書く。また、冬の日本海の荒波の中で獲りにいくことが多いから「波多波多」と書くこともある。ほか、漢字では魚編に「神」で「鰰」とも書く。この字の由来について大田南畝は、体の模様が富士山に似ており、めでたい魚として扱われたためと著書に記している。秋田弁では「ハタハタ」の「タ」の音は有声化して無気濁音で発音される。このため、しばしば「ハダハダ」という音に聞こえ、これが地方名として収録される例もある。秋田では関ヶ原の戦いで佐竹氏が秋田に移封してきた年以降大漁になった事から「サタケウオ」とも呼ばれ、秋田に移った佐竹氏を慕って水戸からやって来たとの伝説がある。新潟県ではシマアジとも呼ぶ。鳥取県ではシロハタと呼ぶほか、カタハ、ハタと呼ぶ地域もある。底曳網、定置網、刺し網で漁獲される。昭和40年代までは秋田県において大量に水揚げされ、最盛期には15,000トンを超える漁獲量があった。きわめて安価で流通していたことから、一般家庭でも箱単位で買うのが普通であった。冬の初めに大量に買ったハタハタを、各家庭で塩漬けや味噌漬けにして冬の間のタンパク源として利用されていた。しかし乱獲などにより1976年(昭和51年)以降は急激に漁獲量が減ったため(1979年(昭和54年)の漁獲量は1,386トンで最盛期の1割未満)、1992年(平成4年)9月から1995年(平成7年)8月まで全面禁漁が施行された。その後、資源保護の取り組みが効果を現し2001年は特に大量の産卵が行われ、2002年以降は産卵のため浜に大量に押し寄せて来る姿が見られ、日本海沿岸各地の漁場往年の賑わいを取り戻しつつある。鳥取県もハタハタ漁獲量が多い産地の1つである。秋田県周辺で獲れるハタハタは産卵の為に海面近くまで寄って来た親魚を獲り、卵を抱えているのが特徴であるのに対し、鳥取県周辺で獲れるハタハタは餌を求めて日本海深海を回遊しているハタハタを底引き網で漁獲するため、卵がないかわりに脂がのっているのが特徴である。そのため漁期も秋田が11月から12月ごろであるのに対し、鳥取では9月から5月ごろが漁期となっている。秋田県による禁漁と広域の漁獲制限漁が行われる以前は獲量が減少していたため、富山県水産試験場等により稚魚種苗を放流した資源増殖も研究されていた。食べ方は塩焼き、干物、味醂干し、田楽、ハタハタ汁、甘露煮、飯寿司(なれずし)など。鱗が無いことと小骨が少なく脊椎も身から簡単に離れるため、一匹丸ごとかせいぜい頭を落としただけの状態で煮たり焼いたりすることが多い。鮮度のよいハタハタを焼いた場合、尾びれの付け根で骨を折っておくと頭のほうから脊椎が全部きれいに抜け食べやすい。合わせ味噌を付けて焼く田楽は山形県庄内地方でもよく食べられる。新鮮なものは、水煮(山形県では湯上げという)にして醤油を付けて食べたり、ハタハタ汁(味噌汁)にもされるが、先に味噌を溶かした汁を作り、最後にハタハタを入れないと煮崩れる。ハタハタ寿司はなれずしの一種で、保存食となる。取り出して刻んだ野菜などと共に食べる。塩蔵したものや味噌漬けにしたものを煮たり焼いたりして食べることも多い。これらはタンパク源が少なくなる雪国の冬を乗り切るための重要な食材であった。鳥取県には一度塩漬けしてから甘酢に漬けたハタハタと、酢で味付けしたおからで作るしろはたずしがあり、4月が旬のため、賀露大明神春祭りの行事食となっている。韓国でも江原道などの日本海側では、トルムク()と称して食用にされる。主にチゲの材料にするが、子持ちのものを焼いて食べる場合もある。ハタハタを塩漬けにして発酵させ、その液を漉したたものは「しょっつる」(塩魚汁または塩汁)と呼ばれる魚醤となる。これを用いてハタハタ、野菜、豆腐などの「しょっつる鍋」をつくる。秋田では醤油や魚醤による鍋のことを「かやき」と呼ぶため、しょっつる鍋もしばしば「しょっつるかやき」と呼ばれている。なお、「かやき」は大きな貝を鍋代わりに使う意味の「貝焼き」が訛ったものと思われる。秋田方言でハタハタの卵は「ブリコ」と呼ばれる。ハタハタ漁の時期、雌の多くは直径2-3mmの卵をたくさん腹に抱えており、この卵の周りはヌルヌルとした感触をもった粘液で覆われている。生のハタハタを焼いた場合、この卵の固まりをかじると口の中で小気味よくプチプチとはじけてうま味が広がる。塩漬けや味噌漬けにして保存したハタハタの場合、卵の皮がゴムのように硬くなり噛むと顎が疲れるくらいになる。このくらい皮が硬くなると、噛んだ時の音が「ブリッブリッ」という鈍い音になる。これが「ブリコ」と呼ばれるゆえんである。秋田音頭の歌詞に出てくる「男鹿で男鹿ブリコ」のブリコとはこれのことである。
出典:wikipedia
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