木村 カエラ(きむら カエラ、1984年10月24日 - )は、日本の女性歌手、ファッションモデル。東京都足立区綾瀬出身。本名:永山 カエラりえ(ながやま カエラりえ)、旧姓:木村。血液型はA型。夫は俳優の瑛太。事務所は、ソニー・ミュージックアーティスツ(T-BOOMにも在籍)から事務所分割により SMAエンタテインメントへ移籍後、事務所再統合により再びソニー・ミュージックアーティスツに所属する。私立聖母さゆり保育園、足立区立綾瀬小学校、中央区立佃中学校、東京都立向丘高等学校卒業。小6のときに原宿でカットモデルとしてスカウトされたことがきっかけで、雑誌「CUTiE」(宝島社)の読者モデルとなる。中学時代、スパイス・ガールズや芸能活動をしていた同級生たちに刺激を受けて歌手を目指す気持ちが強くなる。2001年、「ミスセブンティーン2001」(集英社主催)に選出され、ファッション雑誌「SEVENTEEN」の専属モデルとなる。モデルの仕事の合間にバンドの練習に明け暮れる日々を送る。2002年、インディーズバンド「ANIMO」を結成、「katie」という名前でボーカルを担当。18歳の時、当時所属していたモデル事務所のスタッフに誘われて行ったYUKIのライブを見て、大学進学をやめて歌手を目指すことを決意。日本人の母親とイギリス人の父を持つ日英のハーフ。英語は子どもの頃は喋れたが今は忘れて話せないとのこと。カエラ (Kaela)は本名ではミドルネームにあたる。一部メディアで、「(カエラは)ヘブライ語で「最愛」の意味で『木村カエラりえ』という本名は『木村家の最愛の娘、りえ』ということになる」と報道されたが、本人曰く「両親はそんな意味を知らず、語呂がいいからつけたんじゃないか」とのこと。自身が出演したテレビ番組において名前の由来を問われると、「ウィキペディアには違うことが書いてあった」と情報の誤りを指摘。「(カエラは)ヘブライ語で“愛”を意味する言葉らしいがそんな意味は全くない」、「(両親は)変わった名前がつけたかったみたい。誰の名前でもない名前を」と真相を明かした。また、かつてデビュー当時はよく「カエル」と間違えられたという。この名前は、名付け親が祖母であり、本当は「かえちゃん」と付けたかった母親に対し、祖母が語尾に「ラ」を付けるようにと言った事が由来であるという。身長153.5cm。細身の体型であるが本人いわく、肉好きの大食い。また胃下垂で食べても太りにくい体質であることをトーク番組で明かしている。血液型はA型であるが、『saku saku』初登場時点(18歳)では自らの血液型を把握していなかった。左利き。ギターは右弾き。株式会社クレハ「NEWクレラップ」の『大人に変身』編CMに出ているが、クレハ公式サイト上のCM視聴ページに出演者コメントの動画があり、そのコメントで「『出たい』と言っていた」と語ったり、以前よりクレラップのCMに出演したかったことを明かした。2009年4月21日より、ファッションサイト・プーペガールにアバターとして登場し、サイト内の「カエラショップ」の経営を行うなどしている。プーペガールのアバターは、本人も「なかなか似てるのがウケる(笑)」とブログ内でコメントしている。ゴールデンボンバーのボーカル鬼龍院翔は、高校時代同じクラスの同級生だった。同じクラスになった時に鬼龍院は木村のすぐ斜め前の席だったとのことで、鬼龍院がクラスの中で自己紹介した時「好きな食べ物はチョコです」と発言したことから、木村たちは「チョコ」とあだ名して呼んでいた。木村はPerfumeの知名度を大きく上昇させるきっかけを作った人物である。自身がパーソナリティを務めるラジオ番組『OH! MY RADIO』で、2007年3月28日放送分から4週にわたってPerfumeの楽曲をヘビーローテーションした。これは、偶然見かけた『チョコレイト・ディスコ』のPVに注目したことによる。「PVもすっごいかわいいし、曲もすっごくよくて。なんか懐かしい感じというか、今の時代にない感じで面白い」「この子たちがいつか大きく羽ばたいてくれないかということを私は誰よりも今一番願ってます」「いつか『タモステ』(テレビ番組『ミュージックステーション』のこと)で共演できることを祈ってます」などと発言した。この一連の放送で採り上げられた楽曲がCMディレクターの耳に留まった事がきっかけとなり、2007年7月から2008年6月まで放送された公共広告機構(現:ACジャパン)・NHK共同キャンペーンCMの起用が決まった。その後、2007年8月22日には初めてPerfumeを同番組のゲストに招き対面を果たしたほか、2008年4月18日放送の『ミュージックステーション』では両者の共演が初めて実現した。2008年4月22日放送の『OH! MY RADIO』に2度目のゲスト出演をしたが、木村が東海道新幹線の人身事故の影響のため豊橋駅で足止めとなり番組の開始に間に合わないため、到着するまで30分以上の間、Perfumeの3人でパーソナリティ代打を務めた。2009年7月4日に開催のイベント「HOT STUFF30th Anniversary Special Live out of our heads」で、一日限定ユニット「木村カエラ∞Perfume」(読みは「キムラカエラパフューム」)を結成。きゃりーぱみゅぱみゅにも女子高生読者モデルだった頃から注目していて、自身のブログで彼女のブログについて取り上げたこともある。また、いま一番注目しているアーティストとして、Charisma.com(カリスマ・ドット・コム)を挙げている。3歳からエレクトーンを習い、11歳の時にピアノに転向。小学校低学年の時、globeのKEIKOの力強い歌声に衝撃を受け、歌に目覚める。中学の時には合唱クラブに入っていた。子供の頃から歌手になるのが夢だった。モデルで活躍しながらも、常に「どうしたら歌える道に進めるか?」と考え続けていたという。そして、親に大学に行くことをやめてでも歌を歌いたいと言い、絶対に10代でデビューしなければと思っていた。音楽番組「saku saku」のMCの仕事が決まった時は「夢に近づいている」と思ったが、周囲は皆いつもふざけていてガンダムの話ばかりしているような人々だったために裏切られたような気分になった。また自分が目指していた音楽性やファッションをともに体現するアヴリル・ラヴィーンが先にデビューしてしまい、「このまま行ったらアヴリルの真似をしてデビューした子になってしまう」と、さらに焦りを感じるようになった。そこで意を決してsakusakuの番組プロデューサーだった武内和之に、「英語歌詞も歌うような西海岸風の、ロックでバンドっぽい音楽をやりたい」と切り出したことでようやくCDを出せることになった。好きなバンドはニュー・ファウンド・グローリーとSum 41、好きなボーカリストはグウェン・ステファニーと椎名林檎。特にノー・ダウトの頃のグウェン・ステファニーにはすごく影響を受けたという。高校生のときにHi-STANDARDやBRAHMANなど、バンドにすごく惹かれた時期があってその流れで聞くようになったNo Doubtだが、ボーカルのグウェン・ステファニーの、女性が男性に負けない勢いで歌う「女性でロック」という部分に衝撃を受け、「自分もバンドの中ではこうでありたい」と思った。2005年頃に聞くようになったThe Raptureの影響で2006年のアルバム『Circle』で打ち込み系の音楽をやるようになり、リリー・アレンの曲を聞いて可愛い歌い方やサウンドに過激な歌詞という違和感をぶち込んだおもちゃ箱をひっくり返したようなサウンドの影響の元、2009年のアルバム『HOCUS POCUS』を作った。ランシドのTIMの大ファンであり、自らもモヒカンフリークと名乗って頻繁に髪型や髪の色を変えている。最近の気になる歌手としては、カナダを中心に活躍するグライムスの名を挙げている。ライブツアーはあまり大ホールを利用せず、収容人数1000人程度のライブハウスを中心に活動している。
出典:wikipedia
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